Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

197分20秒

D
150分台、宮台真司さんの「前向性記憶障害(前向性健忘)」以降の議論が考えさせられます。


◇ 2009-01-28 - Fairytale/Diary  童話日記
http://d.hatena.ne.jp/kosuke_ikeda/20090128
美術家・池田剛介さん(http://www3.ocn.ne.jp/~artsysm/)のレポート。


アーキテクチャと思考の場所 - 言葉の垂れ流し
http://d.hatena.ne.jp/tarenagashi/20090128/p1
id:tarenagashiさんのレポート。


◇ 思想地図シンポジウムVol.3「アーキテクチャと思考の場所」@東工大 - logical cypher scape
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20090129/1233222005
シノハラユウキさん(id:sakstyle)のレポート。

      • -


>>>浅田彰磯崎新宇野常寛濱野智史宮台真司東浩紀(司会)「アーキテクチャと思考の場所」@東京工業大学 世界文明センター

建築、社会設計、そしてコンピュータ・システムの3つの意味をあわせもつ言葉「アーキテクチャ」。それは、現代社会で、多様なニーズに答え、人間を無意識のうちに管理する工学的で匿名的な権力の総称になりつつある。では人文的な知は、そのような権力の台頭にどう対峙すればよいのか。
建築家の磯崎新社会学者の宮台真司、経済学者の浅田彰を招き、新世代の論客が論戦を挑む。

日程| 2009年1月28日(水)
時間| 17時30分〜20時30分
会場| 大岡山キャンパス 講堂

※申し込み不要

http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=60


>>>文フリ感謝/1/28思想地図シンポ - 東浩紀の渦状言論
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081120#p10


◇ 1/28東工大思想地図シンポ - 東浩紀の渦状言論
http://www.hirokiazuma.com/archives/000476.html


>>>濱野智史アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081120#p11


>>>再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070424#p7

■オープニング・シンポジウム「ネットワーク社会の文化と創造」
第一回「ネットワーク社会の文化と創造─開かれたコミュニケーションのために」
http://hive.ntticc.or.jp/contents/symposia/20060610/
宮台真司 斎藤環 藤幡正樹 浅田彰
(※2006年6月10日(土)ICC 5F ギャラリーA)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080512#p8


工学院大学シンポジウム(磯崎新氏・山本理顕氏と)での宮台発言 - MIYADAI.com Blog
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=241


>>>早稲田文学十時間連続公開シンポジウム ニコニコ動画まとめ
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081024#p2


>>>“残り四本。東浩紀、かく語りき。40分連続インタビュー。批評とは何か。文学とはどう あるべきか。ゼロアカの意義は。”
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080826#p6


>>>「ライトノベル的 VS ケータイ小説的」―ファスト風土の文学的想像力―@ジュンク堂新宿店 打ち上げの映像
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080910#p2


>>>決断主義トークラジオ
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081031#p12

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090124#p2


東浩紀さん@BUILDING K - round about journal

24日、11:00東浩紀さんら来訪@BUILDING K。『思想地図』vol.2でも活躍している濱野智史さん、西田亮介さん、入江哲朗さんらとともに。「批判的工学主義」が実際にどのような空間を生んでいるのか、「超線形設計プロセス」の批評性とは何か、実際にご覧になって頂いた上で、意図を説明させて頂いた。

途中から内見モードの東さんが、やけにリテラシーの高い濱野さんにツッコミを入れているという構図。

東さんに「超線形プロセス」の方法はgoogleドキュメント的であるとご指摘頂いた。一見パタン・ランゲージ的でもあるが、履歴というアイディアはない。そのことを強調した方がいいとアドバイスを頂く。

その後、履歴を残すこと、ランゲージとログの違い、暗黙知形式知の関係における単純な事実を積み重ねることの意味など議論。そのまま文字に起こしたいくらい濃密な時間となった。

そのまま28日のシンポジウムと次号の作戦会議が続く。

http://www.round-about.org/2009/01/building_k_4.html


山本理顕 編『徹底討論 私たちが住みたい都市 身体/プライバシー/住宅/国家 工学院大学連続シンポジウム全記録』

建築家 VS 社会学者!都市の現在と行方をめぐって、伊東豊雄×鷲田清一松山巖×上野千鶴子、八束はじめ×西川祐子、磯崎新×宮台真司カップリングで展開されたシンポジウムの全記録。都市のかたち、時代のかたちを問い直し、21世紀の住み方をめぐって建築家と社会学者・哲学者が繰り広げる熱い議論。

http://www.xknowledge.co.jp/book/detail/58254431
http://www.amazon.co.jp/dp/4582544312


>>>東浩紀ポストモダンと情報社会」2008年度@東京工業大学
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081220#p9

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071221#p5)

■批評の精神分析 東浩紀コレクションD (講談社BOX

・内容
現代思想界のトップランナー東浩紀が、現代社会を形成する主要な題材を網羅し、語り尽くした真剣勝負の全十一対談。各界の第一線で活躍する対談者―宮台真司村上隆大澤真幸巽孝之斎藤環高木浩光佐藤心更科修一郎元長柾木福嶋亮大稲葉振一郎仲俣暁生―との対話を通して浮かび上がってくるのは、ゼロ年代の若者が生きるべき社会への指南と展望―!これぞ必読。
・目次
第1章 データベース的動物の時代(宮台真司東浩紀
第2章 スーパーフラット再考(村上隆東浩紀
第3章 虚構から動物へ(大澤真幸東浩紀
第4章 サイバーパンクからアルケミーパンクへ!(巽孝之東浩紀
第5章 シニシズム動物化を超えて(大澤真幸斎藤環東浩紀
第6章 工学化する社会と書物をめぐって(高木浩光東浩紀
第7章 どうか、幸せな記憶を。(佐藤心更科修一郎元長柾木東浩紀
第8章 オルタナティブの思想(福嶋亮大東浩紀
第9章 ポストモダン以後の知・権力・文化(稲葉振一郎東浩紀
第10章 工学化する都市・生・文化(仲俣暁生東浩紀
第11章 ナショナリズムゲーム的リアリズム大澤真幸東浩紀

http://www.amazon.co.jp/dp/4062836297
http://spn02253.co.hontsuna.com/article/1969047.html


東浩紀コレクションD - 東浩紀の渦状言論
http://www.hirokiazuma.com/archives/000342.html
先日のベルリン行に持ってったんですが、読書に集中できず、
また、いろいろと忙しくしてたこともあって、数頁をめくる程度でした。
帰ってきてから、ちょぼちょぼと読んでますが、とても面白いです。オススメ。
*1


◇ 2007-12-11 - http--d.hatena.ne.jp-k11-(小田寛一郎さんのブログ)

「宮台・東対談〜『動物化するポストモダン』を読む〜」の東浩紀さんの発言より

その工学的で動物的な世界のなかでは、データベースから抽出されたシミュラークルを次から次へと交換することでなんとなく生きていく人々が大多数を占める。むろん、それに違和感を覚える人々は確率的に出てくるでしょう。今後はそういう人々が哲学や思想を支えていくはずです。そこではいちおう、社会的なシステムへの「批判」がなされる。しかしそんな批判も、大局からすればデータベースの一部にすぎない。世界に違和感を覚える人々のために用意された、消費財のオプションにすぎない。たとえば『批評空間』の読者が動物的ではないのかといえば、まったくそんなことはない。浅田彰さんの華麗な文章を読んで「よしきた」と反応している人々は、結局ポストモダニズムのデータベースに反応しているにすぎない。これは「猫耳」に反応しているのと構造的に変わらない。哲学や思想は、いまではそのレベルに落ちている。

いまはなんとなくこういうデータベース的な思考でなんでもかんでもなされているような気もする。音楽とかの芸術も例外なく。関係性を選ぶっていうのはひょっとしたらこういうことかもしれないと思う。消費材のオプションとして何かを提供してしまう、せざるをえない、のなら何もしない方がいいとか思ってしまうが、それはもっと良くない。「データベースから抽出されたシミュラークルを次から次へと交換する」せざるを得ない、というのは分かるなあと思う。そして宮台さんも言われているようにそれはだんだんダルくなってくる。樫村愛子さんが「ネオリベラリズム精神分析〜なぜ伝統や文化が求められるのか〜」で(おそらく動物化に対して)再帰性について述べているけれど、それが自分の中だけの堂々巡りでないとはなかなか言い切れないのが難しいなあと思うし、明日はこれがあります。

http://d.hatena.ne.jp/k11/20071211

*1:i-podも持ってったんですが、こちらも帰国する日のテーゲル空港まで一度も使用せず。
  出発時刻まで少し時間があったので、Clusterの『Cluster II』を聴いたのみ。
  本当は『Zuckerzeit』を聴こうと思ったんですが、i-podに入れそびれてました。
  Faustの『Faust IV』Disc2とどちらを聴くか迷って『Cluster II』をセレクト。
  ※邦題は『幻星』だというのをたった今知る。http://www.amazon.co.jp/dp/B0007WZURO

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071103#p3)

■まもなく『挑発する知』文庫版が筑摩書房から出ます! - MIYADAI.com Blog

 この種のポストモダン思想を真に受ける馬鹿は困るというのが仲正の主張ですが、『〈帝国〉』を真に受けたらアメリカン・グローバライゼーションに対して丸腰になってしまうというムフの主張はこれと似ます。ちなみにムフは、ギデンズやベックらの「市民社会」の境界線を疑わない似而非リベラルぶりを、ラディカル・デモクラシー的に批判します。
 ムフの「政治的なるものへの鈍感さ」は、私のシステム理論用語で言えば「真理の言葉よりも機能の言葉を重視せよ」という命題です。「真理の底が抜けるまで再帰的な観察を徹底せよ」と言ってもいい。ちなみに機能の言葉とは、全命題をif-then文とする――if-then文の前提をもif-then文とし、そのまた前提をもif-then文とする――言語ゲームです。
 20世紀後半的な言語ゲーム、あるいは「全ての認識は人が置いたものに過ぎない」という意味でのpositivism(実証主義という翻訳は間違いです)の本義を自覚する言語ゲームです。それと比較すると、真理の言葉は明白に19世紀的で、その分「政治的なるもへの鈍感さ」を帰結しやすいと言えます。私の考えでは、左翼的言説が陷りやすい陥穽です。

 私の知る限り、ヨーロッパの教養人たちは、こうしたアメリカ的な特殊性に意識的です。例えばアメリカ流フェミニズムを真に受ける唐変木はいません。アメリカ流市民宗教の派生物を手放しで礼賛したりはしないのです。なぜならこうした市民宗教こそがブッシュ政権の背景だからです。だからムフによるマルチチュード(雜民)論への疑いは、自然です。
 ところが日本の教養人はアメリカの特殊性が分からない。「エヴァンゲリオン」批評でも、作品の設定が、ゼーレ的神学とゲンドウ的神学とシンジ&ミサト的神学という3つの救済観的意味論のせめぎ合い、というシンプルな図式であることが分からない。宗教的背景に言及する人もいますが、ペダンティックの域を出ない。神学リテラシーが低いのです。
 『諸君!』『正論』的な論壇人が、こうしたアメリカの特殊性についての教養を全く欠いたまま、「日本はアメリカなしではやっていけない」などと素朴にホザくでしょう。「アメリカなしではやっていけない」と思うように仕向けることをソフトパワーと呼ぶことを知らないのも問題だけど、それもそもそもアメリカの特殊性への認識欠落に由来しますね。

 私は映画批評の仕事もしていますが、アメリカのドキュメンタリーは極めて特殊です。マイケル・ムーアでもいいし、アル・ゴアの『不都合な真実(An Inconvenient Truth)』でもいいのですが、「みんなはアイツが悪い奴だと思っているけど、本当に悪い奴はコイツだ!」とフィンガーポインティングする作品ばかり。
 要は、ブッシュ政権プロパガンダに対する、ムーアやゴアからのカウンタープロパガンダなのです。カウンタープロパガンダプロパガンダの一種です。だから、二元論的な勧善懲悪で、感情的フック(感情の釣針)とカタルシス(感情の浄化)に満ちています。ヨーロッパの教養人から見ると、「え? それってドキュメンタリーなの?」と感じます。
 ヨーロッパの人たちはドキュメンタリーもアートだと捉えます。アート(芸術)とは初期ロマン派的な観念で、接触した後に日常を脅かされてしまうものを言う。接触した後に地面が液状化したように感じられる作品だけが、アートです。二元論的勧善懲悪は、日常の感情的作法を延長しただけだからアートではなく、だからドキュメンタリーじゃない。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=572


>>>宮台、東浩紀の〒(郵便)本を語る その1〜3 - 宮台真司東浩紀を語る!
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071020#p2


◇ マル激トーク・オン・ディマンド 無料放送回 - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局
http://www.videonews.com/free/


http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%b5%dc%c2%e6%bf%bf%bb%ca

「現場」研究会特別編 シンポジウム開催報告 80年代におけるアヴァンギャルド系現代美術――画廊パレルゴンの活動を焦点として――

市原研太郎 大村益三 暮沢剛巳 藤井雅実 吉川陽一郎
http://genbaken.com/genbaken/minutes0807special_00.html
http://genbaken.com/genbaken/


◇ 『現代美術の最前線』(1984年 画廊パレルゴン2)
・前半(図版) http://genbaken.com/contents/pdf/saizensen/saizensen_pic.pdf

i 序文:ニューウェイヴの現場からの歴史として 藤井雅実
ii 作家別図版
芥哲也 天野博之 井口大介 池ヶ谷肇 伊藤誠 岩瀬京子 大村益三 岡崎乾二郎
荻野裕政 奥野寛明 海発準一 加藤真治 金子靖憲 加茂博 川島清 菊池敏直
黒川弘毅 後藤寿之 小林重之 小林亮介 酒井信一 佐々木悦弘 島久幸
菅野由美子 須崎敬文 関口敦仁 高木英章 高橋裕二 竹田康宏 田代睦三
田中睦治 玉置仁 藤堂良浩 沼尻昭子 花井重信 平林薫 平原正明 松居永樹
松浦寿夫 丸山常生 ムラカミヤスヒロ 八百板力 矢野美智子 山崎克己
山本裕子 山本正弘 吉川陽一郎
カラー図版

・後半(テキスト) http://genbaken.com/contents/pdf/saizensen/saizensen_text.pdf

作家コメント
座談会
[1] 受動的能動――現代の戦略
井口、奥野、海発、金子、関口、(大村)
[2] 理論と体験、あるいは作品の力
岡崎、酒井、松浦、(吉川麻利)
[3] 制度の物語とコードの自主管理
池ヶ谷、大村、佐々木、藤堂、小林(重)、加藤、八百板、伊藤七男
[4] 開かれたエクリチュールとしての美術
大村、荻野、黒川、矢野
[5] 「作品」のリアリティ
川島、島、吉川、(大村)
「美術」の解体=懐胎、あるいはポリプラクティス 藤井雅実
I "前衛"とその"終焉"の「歴史=物語」(イストワール)
I-1 "前衛"の二極的展開の物語
I-2 「終焉」="自己言及の逆理"(セルフリファレント パラドックス)
I-3 遊動する名辞(シニフィアン)"美術の蘇生"
II とりあえず「新潮流」(ニューウェイヴ)、形成史と諸戦略
II-1 「新潮流」形成の歴史(物語)
II-2 「新潮流」;"戦略"と"布置"
II-3 47の示差的分類と分類の自壊
III 「裏の形而上学」と複数的な相互実践
III-1 「美術」「美学・美術史・批評」
III-2 異化の再編成"大衆"と"前衛"
III-3 懐胎された揺動(ゆらぎ)と複数実践(ポリプラクティス)

※関連情報 http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081221#p5

清水穣さんの研究領域は?

◇ 清水 穣 - ReaD 研究者(詳細情報)
http://read.jst.go.jp/public/cs_ksh_008EventAction.do?action4=event&lang_act4=J&judge_act4=2&knkysh_name_code=1000170981


◇ 清水 穣 言語文化教育研究センター - 研究者情報 - 同志社大学
http://kenkyudb.doshisha.ac.jp/rd/search/researcher/192007/index-j.html
同志社大学のサイトには、「リヒター 森山大道」と明記されています。
勘違いでした。
あくまでも「◆キーワード :写真論 電子音楽 シュトックハウゼン リヒター 森山大道」という表記でした。

      • -


>>>再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060205#p5
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080227#p8


※過去の清水穣さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%c0%b6%bf%e5%be%f7

西井一夫『写真的記憶』(青弓社)より

飯沢耕太郎『写真の力』
 これは、「ユリイカ」「イメージ・フォーラム」「WAVE」「is」「ZOOM」などカタカナ雑誌に書かれた、主に海外の写真家の仕事を紹介・解説したものを集めて一冊にしたものである。死体、廃墟、自写像、狂気、双子、少女、ボンデージ、戦争、ソフト・フォーカスなど目次に並ぶ字を見ただけで一目瞭然に、「流行」的イメージの流れのなかに写真を当てはめて、少し気のきいた言い口でファッション化していく(ソフト・フォーカスな物言い(19))、写真の無力化への加担そのものである。そのことにまったく気づいていないでタイトルが付いているところがなんとも言いようもない。いろいろ言う気はないが、一つだけ苦言を呈しておくと、「Memento Mori」という章はページにして二十ページもないのだが、その文章中に「おぞましい」という言葉が、私が数えただけで六回も繰り返される。こういう単一の修飾語しか持たない物言いは、いかにも薄っぺらで貧しい。
白水社)('89・9・25)
(19)少しあとでファジーという言葉になった。

http://www.amazon.co.jp/dp/4787270729
御用ジャーナリズム的なメディアに載らないだけで
オフレコでは写真関係者からよく耳にする類の話ですが、
西井一夫さんの指摘を考えるためにも、
下記サイトを再度チェックしてみようと思います。


◇ Photologue - 飯沢耕太郎の写真談話 | コラム | 家電 | マイコミジャーナル
http://journal.mycom.co.jp/column/photologue/index.html


飯沢耕太郎:著者で見る|artscape
http://artscape.jp/report/review/author/1197769_1838.html


※過去の西井一夫さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%c0%be%b0%e6%b0%ec%c9%d7

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>>>中平卓馬『なぜ、植物図鑑か』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

私がずっと写真表現一般に対して、とくに森山大道の写真に対して抱いていた警戒心は「手の痕跡」という言葉でまさに言い表されている。90年代以後に登場した日本の若い写真家がモノクロではなくカラー写真を使って、それこそ「図鑑」のような「記録」としての写真を撮り始めたとき、私ははじめて写真を面白いと思った。そしてその後、中平卓馬の「なぜ、植物図鑑か」を読むことで、ようやく私は、自分が森山大道荒木経惟の写真や、西井一夫の写真論になぜだかずっと感じてきた嫌悪感ーーとまではいかないが、それに近い釈然としない感情ーーは、ようするに中平卓馬がこのときに自問自答した問題を、それよりはずっと浅いレベルで感受していたにすぎないのだ、ということを悟ったのである。

中平の文章は、「写真を撮る」という行為が彼にとって「批評」にほかならないこと、その批評は世界に向けられるだけでなく、自分自身にも向けられていることを告げて終わる。写真評論家とか写真批評家という人を私はほとんど信用しないが、中平卓馬は写真そのものによって写真に対する批評を行ったという意味で、真の批評家だったのだということを、この小文は教えてくれる。

もちろん中平卓馬には遠く及ばないが、私も彼にあやかって、小説を「物語」として「読む」だけでなく、「事物」としての小説を「見」つづけていきたいと思う。

http://d.hatena.ne.jp/solar/20071103#p1

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071107#p6
*1


【参考】無題(写真) - 大森俊克 SHOW TIME - LOAPS
http://www.loaps.com/column+index.id+54.htm

*1:「日本の若い写真家がモノクロではなくカラー写真を使って、それこそ「図鑑」のような「記録」としての写真を撮り始めたとき」というくだりは、正確ではないでしょう。

「そして思う。都築響一は日本人の生態を撮るヴェッヒャーなのだと。坂川栄治/AD、装丁家、文章家、写真家。」@コマーシャル・フォト2009年2月号

立ち読み。
「V」ではなく「B」ですね。


× Bernd und Hilla Vecher
○ Bernd und Hilla Becher


◇ 着倒れ方丈記「COMMERCIAL PHOTO」 ―2009年2月号 青幻舎 新刊情報

今回のテーマは実にカテゴライズしやすかったのではなかろうか。エルメス、シャネル、
マルジェラ、コムデギャルソン等、その自ずから分化された項目数は、国内外で82種に
及ぶ。見渡すとなるほど日本人がいかにブランド好きなのかがよくわかる。迷い悩んで作
り上げる自分流ではなく、どのレッテルを選ぶかが自分流になっている人たちが見える。
その生活までもが見えてくる。やはり今回の標本箱も面白い。
そして思う。都築響一は日本人の生態を撮るヴェッヒャーなのだと。
坂川栄治/AD、装丁家、文章家、写真家。

http://www.seigensha.com/review.htm
http://www.seigensha.com/

YouTube - The BPA ft David Byrne & Dizzee Rascal - ToeJam

http://jp.youtube.com/watch?v=xzQt5-z_TE0


◇ The BPAToe Jam feat. David Byrne & Dizzee Rascal」|無料動画 GyaO[ギャオ]|音楽

ファットボーイ・スリムノーマン・クックと愉快な仲間たちによる新プロジェクト、その名もブライトン・ポート・オーソリティ(The BPA)がついに始動! 2009年1月28日にリリースされるデビューアルバム『ウィア・ゴナ・ニード・ア・ビガー・ボート』から「トゥ・ジャム」をお届けします。デヴィッド・バーンとディジー・ラスカルをフィーチュア!!


▽Release Information
New Album 『ウィ・ゴナ・ニード・ア・ビガー・ボート』
2009.1.28 Release
AVCD-23660 / ¥2,000 (tax in)

http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0070725/