Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui http://www.nobuhiro-fukui.com/

2006年1月のメモから

世代的なものもあるのでしょうが、僕らは昔ながらのヒューマニズムを素朴に信仰することができない。否定できない力としてのヒューマニズム。そういうふうにヒューマニズムを行使することには、やはり抵抗をおぼえる。だからといって人間の生の営みを否定しているわけではない。アンチヒューマニズムにもまた、安易なヒューマニズムと同様の、人類愛(人類憎悪)を装った自己愛が忍び寄る。あるいは、他者や事物を相対化することのできない盲目性。そこには、見えているのに見ようとしない見ることのできない、ありがちな陥穽が待ち構えているように思える。ハート&ネグリのいうマルチチュード(またはジャンク)にあてはまるであろう僕たちは、今の時代にあって何ができるのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、今日も生きている。翻って考えて……みるまでもなく、このナンセンスとバッドテイスト、迂回を重ねる自己韜晦的なアティチュードは、ニヒリズムではない。断じて。それは写真と同じく「鏡」であり「窓」だと思っている(シャーカフスキーとはまた違った意味で)。少なくとも自分にとっては、「撮ること」とどこかで繋がっている非常に重要な部分だと思っている。


※書き飛ばした文字列をそのままコピペしたため、
 意味が取りづらくなっていますが、
 あえて加筆修正しません。