Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui http://fknb291.info/

投壜通信 | 投瓶通信 | Flaschenpost | Message in a bottle

◇ 投壜通信 - パトモス

「航海者は遭難の危機に臨んで、自分の名と自分の運命を記した手紙を瓶に封じ込め海へ投げる。幾多の歳月を経て、砂浜をそぞろ歩いていて、わたしは砂に埋もれた瓶を見つけ、手紙を読んで遭難の日付と遭難者の最後の意思を知る。わたしにはそうする権利がある。わたしは他人あての手紙を開封したりはしない。瓶に封じ込められた手紙は、瓶を見つけた者へあてて書かれているのだ。見つけたのは、わたしだ。つまり、このわたしこそ秘められた名宛人なのである・・・・略・・・。(この)手紙も、詩と同じように、これといってはっきりと一定の人間に宛てられているわけではない。それにもかかわらず、両者は名宛人をもっている。つまり、手紙は砂に埋もれた瓶に気づいた人のものであり、詩は<後の世の読者>のものなのだ。」

          オシップ・エミリエヴィチ・マンデリシュターム(早川眞理訳)

「・・・詩は、それが言語の一発言形態であり、したがってまたその本質上対話的なものである以上、ひとつの投壜通信のようなものであるかもしれません。いつか、どこかしらに、ひょっとして心の陸地に、流れ着くことがあるかも知れないという・・・もちろん必ずしもいつも強い希望をもてるとは限らない・・・信念の下に投げ込まれる投壜通信。詩は、このようなありようにおいても、途上にあるものです・・・何かにむかって進んでいます。何かにむかって?何か開かれているもの、所有することのできるものにむかって、ひょっとして話しかけることができるかもしれない<あなた>にむかって、話しかけることのできる実在にむかって。」

 パウル・ツェラン (飯吉光夫訳)

http://www2.odn.ne.jp/constanze/mandelistam.html


◇ Flaschenpost 柿木伸之からの投壜通信

「詩は、そう、それは言葉の現われるひとつの形式で、その本質からして対話的なのですから、ひとつの投壜通信 (eine Flaschenpost) なのでしょう。それは──もちろん、いつも希望に満ちてはいないにしても──信念のもとに投げ出され、いつかどこかの岸に打ち寄せられることがあるのかもしれません。おそらくは心の岸辺に。」 (Paul Celan )

http://homepage.mac.com/nob.kakigi/Home.htm


◇ 2003年春季研究発表会の予稿集 - 日本独文学会 Japanische Gesellschaft für Germanistik

詩人はすべてユダヤ人−詩集『誰でもない者の薔薇』集中討議
„Alle Dichter sind Juden.“
 — Zur Aktualität des Gedichtbande „Die Niemandsrose“ von Paul Celan
司会:北   彰 

 当シンポの発表母体は中央大学人文科学研究所の「パウル・ツェラーン研究」チームである。このチームはツェラーンの第4番目の詩集『誰でもない者の薔薇』の簡潔な全注釈刊行を目指し5年にわたり一篇一篇の詩の注釈を積み重ねてきた。個別詩の注釈過程から浮かび上がってきた詩集全体を貫くモチーフからいくつかを選び,あわせて最近出版された妻ジゼルとの往復書簡集などから明らかになった詩集執筆時期における伝記的事実をも紹介しながら,詩集の全体像の概要を得るべく集中討議をおこないたい。

http://www.jgg.jp/modules/archiv/index.php?content_id=43


群像社 話題の本

マンデリシュターム読本
中平耀  3,000円+税 2001.8刊
(ロシア作家案内シリーズ3)


図書新聞 2002年7月6日
投壜通信は敵に宛てられ もっとも遠い敵に届く

評者 瀬尾育生(詩人)


詩を出すとはどういうことか。
一般的に「公的」な発言が同時代の不特定多数に対してなされる場合とはちがい、「詩の言葉は、その不定の読者を『未来』に向かって開いている」。そのことをマンデリシュタームは有名な投壜通信という比喩であらわし、パウル・ツェランがそれを受け取った。
だが、その比喩を何度目かに受け取った者が仲間内でうなずきあっているだけでは、
プライヴェートな、見えない教会のようなものを形づくる」ことにしかならない。
そのことへの反省をうながしつつ、評者は今一度「投壜通信」を投げ入れたマンデリシュタームの側から、現在と未来に対して言葉を発するとはどういうことであったかを、本書とともに考え直していく。20世紀という時代に詩人と言葉が担わざるを得なかった運命を考察する巻頭書評。

http://gunzosha.com/review.html


佐藤雄一: 「投瓶通信」というのを、リテラルにマンデリシュターム ... - Twitter

「投瓶通信」というのを、リテラルにマンデリシュタームの文脈に引きつけて言えば、決して「没コミュニケーション的な作品でも誰かに受けとめてもらえる可能性を信じて闇雲に投げる」という単純な話しではない。むしろアクメイズムはロシア象徴主義未来派の晦渋さを批判するエコールだった
8:53 AM Jan 22nd webから

http://twitter.com/yy_sato/status/8076098259


◇ アクメイズム - ロシア文学:用語集

1910年代、ロシア革命の前夜に、当時のブルジョア文化の危機的状況のなかに生まれたロシア詩のモダニズム的傾向をいう。主として〈詩人組合(ツェフ・ポエートフ)〉のグループの詩人たち、グミリョーフ、ゴロデツキー、アフマートワ、マンデリシタム、クズミンM.A.Kuzmin、ゼンケビチM.A.Zenkevich、ナルブトV.I.Narbut、サドフスキーB.A.Sadovskiiらが詩誌《アポロン》(1909-17)を牙域にその主張を展開した。アクメイズムの名称はギリシア語の“アクメ(最高頂)”からきており、アクメイズムに詩人たちは象徴主義の美学に反発して、神秘的な彼岸への探究をやめ、可視的な現実を重視し、具象的な言語で物事を正確に表現しようとした。しかし、そこには社会性が欠如しており、革命後のソ連ではデカダンスの一派として排斥され、文学運動としては消滅した。個々の詩人はその優れた資質ゆえに、ソビエト時代になっても詩人として活躍した。“雪どけ”後、再評価の動きがあらわれた。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/history/akme.html

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ラカンアルチュセールデリダ――ジジェクの『汝の症候を楽しめ』をきっかけに/浅田彰 - 批評空間【Web CRITIQUE】
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/010801.html


浅田彰/「投壜通信」について - 重力 - ハイブリッド・マガジン
http://www.juryoku.org/asada.html


大杉重男/無作為の作為について―浅田氏への反論 - 重力 - ハイブリッド・マガジン
http://www.juryoku.org/musakui.html

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◇ 「投瓶」の検索結果 - 蝶を曳く−文芸時評
http://d.hatena.ne.jp/hinonaname/searchdiary?word=%C5%EA%C9%D3


>>>東浩紀さんのツイッターより
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100422#p2


※過去の「投瓶通信」関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%C5%EA%C9%D3%C4%CC%BF%AE


◇ 第9回《Twitterニコニコ動画編》 まとめと結論 - 濱野智史の「情報環境研究ノート」 | WIRED VISION

[*1] ここでは、「炎上」や「祭り」といった現象が頻繁に引き起こされる第一次的な要因として、WWWのオープン性を挙げていますが、さらに第二次的な要因として、次のようなものを考えることができます。掲示板やブログ等、「非同期型アーキテクチャ」が中心となるWWW上では、第2回でも引用したARTIFACTの加野瀬氏が指摘するように、WWW上のコミュニケーションは「常に双方向な訳ではなく、基本的に一方通行で、たまに相手から反応があった時のみ双方向になる」(ARTIFACT)という性格を持ちます(ちなみに、ウェブ日記やブログを書くという行為を、斎藤環氏は、ビンに手紙を詰めて海に流す「投瓶通信」の比喩で表しています。つまり、「ネット上に何かを書けば、どこかには届いて誰かがそれを読んでくれるかもしれない」という心理によって、人々はWWW上での「独り言」の発話に動機付けられるというわけです)。こうした「双方向性の希少さ(レア度の高さ)」という特性は、裏を返せば、掲示板やブログ上で、「炎上」や「祭り」や「ネットイナゴ」という現象が、しばしばネット上で広く注目されるに至るのか――野次馬的な参加者を多く集めていくのか――を暗に説明しているように思われます。
それはこういうことです。インターネットは、本文でも述べたように、関心の矛先もアジェンダもばらばらに散らばった、基本的には「多義性」の高い空間である。こうした状況において、「炎上」や「祭り」といった事件に野次馬的に言及が増大していく現象というのは、それ自体が、「いまこの事件こそが注目に値する」というアジェンダ・セッティングのためシグナル――いわば「のろし」のようなもの――として機能している、ということです。つまり、ネット上の集合的沸騰状態は、人々がアジェンダを確保し、「多義性」を縮減するための準拠点(reference point)になっているということ。「炎上」や「祭り」といった現象は、しばしば「孤独な若者たちが繋がりを求めているからだ」と心理主義的に理解されがちではあるのですが(それもまた真実なのでしょうが)、こうした機能主義的な理解を行うことも可能でしょう。

http://wiredvision.jp/blog/hamano/200707/200707260916.html

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◇ MS. Found in a Bottle - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/MS._Found_in_a_Bottle
エドガー・アラン・ポー「壜のなかの手記」(壜の中の手記)。


◇ 瓶詰の地獄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%B6%E8%A9%B0%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%8D%84
夢野久作「瓶詰の地獄」(瓶詰地獄)→http://www.aozora.gr.jp/cards/000096/files/2381_13352.html

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◇ Flaschenpost – Wikipedia
http://de.wikipedia.org/wiki/Flaschenpost


◇ Message in a bottle - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Message_in_a_bottle


◇ Message in a bottle (disambiguation) - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Message_in_a_Bottle