Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「対象に恋して」





「対象に恋して」
「被写体に恋して」という本欄のタイトルに反するようですが、私は「被写体」という言葉を使わないようにしています。なぜなら、「被写体」という言葉は、撮るよりも前に、その対象がもたらすであろう効果と効用を先取りしてしまっているからです。また、「シャッターチャンス」という言葉も同様です。仮にシャッターを切ってもよい瞬間をそう呼ぶのなら、すべてが「シャッターチャンス」になりうるからです。こうした言葉は、知らず知らずのうちに、写真を既存のイメージに閉じこめ、その可能性を奪ってしまいます。
 写真の強みとは、言葉では認識できないものを、あるいは、言葉があることでかえって認識されないものを、言葉とは違ったかたちで浮かび上がらせられることではないでしょうか。あらかじめ準備された言葉やイメージに囚われることなく、そこにある物や空間を見てみようというのが私の基本的な態度です。指標から指標をたどる制度化された視覚からの逸脱。そこに写真の可能性をみます。



新潮45』2008年7月号 巻頭連載「被写体に恋して」より


>>>『新潮45』7月号「被写体に恋して」

昨日発売された
新潮45』7月号の巻頭カラーページに
写真が掲載されています。


毎号、さまざまな写真家を紹介している
「被写体に恋して」という連載記事です。


2見開きに4点の写真と
「対象に恋して」というテキストが載っています。
もし書店で見かけたら手にとってみてください。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080619#p2


>>>ハードディスクから発掘

ちなみに私は、「被写体」「シャッターチャンス」「写真行為」といったふうな言葉を使わないようにしています。
……と、同様に「リアル」「リアリティ」などという言葉も当時から使わないようにしています。


現実というものは確かにあるでしょう。
しかし、その現実というのは仮に人間の五感で捉えたものであったとしても、
「現実そのもの」ではなく、現実から受けた感覚刺激が脳内に現象したものにすぎないという。
つまり、人間であれ、カメラのような機械であれ*1
「現実そのもの」にアクセスすることは不可能だと思っています。*2

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20110124#p2


>>>「ノー・マンズ・ランド」についてのステートメント(600字) ※2010年1月
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100815#p6


>>>「写真とは何か?」などという根源的な問いは、捏造された疑問符である。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090721#p3

*1:結局は人間がそのアウトプットを感覚することになります。

*2:だからこそ、それをふまえたうえでの迂回の戦略なり何なりが常に必要になってくるという。