Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

10年前の記事より

◇ FOCUS=[アンケート]アート・シーン2001 - artscape

倉石信乃●写真
例えば写真の作り手であれ受容者であれ、情報拡散的な仮想空間においてサーチ・エンジンを効率的に運用しうるオペレーターが権力基盤を強化するだろう、などと知れたことを再度予測と称して記してもよいし、そこに注入される風俗的・意匠的刺激には不感症的にも過敏にも反応できよう、さらには新奇な刺激の中から価値すらも検知できようが、転換期には旧いテクノロジーに殉ずるふりをしてその実過激な反復を徹底する者が勝ち残る可能性も否定できない、だがやはり、コンピュータの写真に与える影響がより深刻となるのは確実で、さしあたり着目されるのは、情報端末的・「携帯的」なハードウェアと映像装置との「婚姻」なのだが、外部との「間接的な接点」を確保してラインの一部に連なっていなければ気が済まない心理に否応なく組み込まれていく、あの苛立たしくも焦がれた強迫から生み落とされる映像が、いかなる身体性・物質性を帯同/剥離していくのかはやはり見逃せない、だからといって、ケータイのキーを押すのに熟達した主体がただちに新しい写真の担い手たりうるわけではなく、「携帯的」な情報の送受信システムが促すのが、複数の異なる情報の絶えざる慌ただしい短絡・転送ならば、その先に放置される分裂症的な情報の堆積「層」に、いかなる新奇な「遠近」の秩序が、誰の手引きでどのようにもたらされるかは、しばし監視されてしかるべきだろう、同時に、依然として物質としての写真を顕揚する努力は、狭隘な教条主義にも銀塩への濡れた郷愁にも拘泥せずに、反権力的なテロルを、いかに素朴なやり方でも個人的にハンドメイドで炸裂させることと不可分でなくてはならず、かかる持続と持続に伴う自発的な変革の誓約を期するのに極めて有効な展覧会の一つが、世紀を超えてドイツ・エッセンでいま開催されているロバート・フランクの個展「Robert Frank: HOLD STILL-Keep Going」(2月11日まで、Museum Folkwang, Essen)に他ならず、それは実際衝撃的な「新しさ」を慎ましくかつ決然と内包した展観であるが、今年、ヴェネツィアや横浜で行なわれる大がかりな国際美術展の中で写真がいかに遇されるかという「メジャー」な問いの傍らに、写真に始まり写真を超え出ていく漂流を幾度となく生き直している先覚者の存在を、改めて銘記しておきたいと思うのだ。
[くらいし しの 写真批評]

http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/focus/0101/focus_3.html