Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080521#p2)

■「写真の九〇年代──受容の観点から  倉石信乃」より

[略] 若い世代に顕著に見られたグラフィティ的な感覚さえ「大文字のアート」としての写真に対抗的なものとして錯覚された。グラフ雑誌の一部が先鋭化し、また写真の公募展が新規に一定の権力を形成して、従来にない経路で新人が登場した。展示空間でのインパクトを意識した八〇年代的な「ビッグ・ピクチャー」の「単数的タブロー」とは異なる、手元での小さなレスポンスを慈しむ写真が、シークエンシャルで複数並列的なイメージ形式を携えて定着した。
 しかし、そんな親密な好奇心の発露にも、膨大に拡がる無関心の領分から、もの言わぬ反駁が待ち受けている。装われた無関心もまた、ふつうの、ただの無関心に迎撃されるだろう。無数の好奇心の持ち主がとけやすい塊のように「緩やかな自閉の輪」として連なり、「私」と違う誰か、よく似た誰かとの差異を測定・分類し、安堵したり不安になったりしている。他者とのインターコースを曖昧に遮断する社会・国家から表現へのやる方ない反映ぶりを、留保なく肯定する言葉の試技は、滅び去るべきだ。自己と非自己を分別する技術の錬磨を、比喩にもならない「空虚」に載せて送り届ける幾多の産物。それをともかく肯定しておけと唱える要請はしかし、微熱のように続く。

『J-フォトグラファー 新世代の写真家108人の徹底データファイル KAWADE夢ムック』所収
http://www.amazon.co.jp/dp/430997581X
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060528#p4



▽『J-フォトグラファー(略)』は、2000年3月15日発行。
▽「若い世代に顕著に見られたグラフィティ的な感覚」を
 「「大文字のアート」としての写真に対抗的なものとして錯覚」させることを唱導したのは、公募展? 批評の不在?
▽「グラフ雑誌の一部が先鋭化し」=『流行通信』『STUDIO VOICE』『SWITCH』『ロッキング・オン・ジャパン
  『H』『barfout!』『CUT』『CUTiE』『DUNE』『relax』『composite』『トキオン』『プチグラ』…………
▽「ビッグ・ピクチャー」の「単数的タブロー」=八〇年代的。
▽シークエンシャルで複数並列的なイメージ形式=いわゆるブック的な構成(※ブックという言葉自体コマーシャル業界的)。


倉石信乃『反写真論』(オシリス
http://www.osiris.co.jp/pl06.html
http://www.amazon.co.jp/dp/4309903630/