Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui http://www.nobuhiro-fukui.com/

メモ

◇ (3)福間健二 - 調節作用 ししらいぞう

アキレスと亀』に登場する、たけし演じる“自称”画家は、アート界の流行やら絵画の歴史やら社会的インパクトやらにたいして「傾向と対策」的に“雑に”顔色をうかがいつつ、のらりくらりと一生涯画家/アーティストであろうと、“雑に”試行錯誤する。この、雑に、テキトーに、テンション低くそれを行うという有りようが、たけしのシャイネス(と知性)を感じさせて微笑ましくもありますが、そのようにして、生涯を画家/アーティストとして全うするということのみを指向するこの映画における創作活動が最終的に「母性による肯定」に帰結するのをみていると、この映画に登場する大した衝動も必然性もなく垂れ流される絵画群の寒々しさは、そのままたけしの近年の映画群の「どうでもよさ」と重なってみえますし、その向かうところが結局のところ「承認」「自己実現」でしかないという貧相な光景としてあらわれてきます。

承認/自己実現のために「ポジション取り」をする、そのために“長所”をアピールしたり作品内に盛り込んだりすること“さえ”も、「どうでもいいこと」だと北野武は『アキレスと亀』で言っているふうだとおもった。ただただ母性的に無条件に肯定され承認されたいだけなんだ、結局ね、あれこれと冴えてみせたから承認されるとか面倒クセーし、そんなこととは関係なく頭を撫でられたいんだ本当のところは、と。


そんな身も蓋もない心情に沿って誠実に形成されたとおぼしき『アキレスと亀』は、それゆえにハンパなく退屈で無刺激な作品として私たちの前にあらわれてきたのでしたが、しかし、現在の「日本映画」の大部分を占めるのが、何らかの、あるいは誰かしらの、承認のための消費材、サプリメントとして供給/需要されるために垂れ流されているだけのモノだと感じられます。それらが『アキレスと亀』に比べて「より退屈でない」としても、それが作り手や消費者の優位性に結び付かず、その無自覚な様はかえって北野武の聡明さを相対的に際立たせてしまう。

傑作と世評高い『ぐるりのこと。』でさえ、「傑作とはこんなかんじ」「イケてる演技設計とはこんなかんじ」「リアルってこんなかんじ」という“長所”パーツの適所配分作業が「演出」という名のもとに行われる(大いに期待した『東南角部屋二階の女』にしてもそのテの作品で、ひと昔まえの「傾向と対策」的な「シネマ」を召喚した、カビ臭い映画だと思った)。それは結局高橋洋のいう<支配的になりつつある画面や音のもっともらしい審美>を反芻もしくはちょびっと更新する、同じゲームボード上での退屈な椅子取りゲームに過ぎないんじゃないか。ある均一的な観念として共有される「傑作感」や「作家感」を構成するために、それこそデータベース消費的に「傑作素」「作家素」を召喚してレイアウトする。そのゲームに参加する観客も、同じデータベースから「批評素」「感想素」を瞬時に取り出し、安心して感動したり斜に構えたり出来る。
そういった姿勢は、たとえば作り手にとって「映画監督であること(ありつづけること)」が主眼であって、「映画=表現を為していたら、その結果、監督/俳優/アーティスト等と呼ばれた」といった姿勢とは異なるということで、そこで生まれる作品はようするに『公募ガイド』しか読んだことがないひとが書いた小説みたいなもんで、その参照する手近にある「リアルへの審美」は、<現在>にも<世界>にも接続性をもたずに無限バリエーションとしての映画の量産を促す。そこには、「消費」があって「経験」がない。“映画”ともあろうもの(?)が、単なる文化/サブカルチャーの一ジャンルとして、幾多のカルチャーと同じく<母権的な承認を求めて自己目的化したコミュニケーション>のために存在するだけだとしたら、そんなもの有っても無くてもどっちでもいいものでしかないじゃないか‥。

“若さ”を失うということが、人生の審美や感じかたが、次第にある一定の方向に収斂してゆき、だんだんと人格が保護的にオートマチックに作動してゆく割合が増えてゆくことだとすると、他の硬度や質感をもつ審美/リアリティと接するたびに、その都度(確固たるものと思われた人格の総体が)脅かされるようにして変質を被る、ある意味“即興的に”人格を形成する境界の振動が繰り返されることが“若さ”の顕れだということになる。
そのたびごとに、「成功」や「維持」への「最適化」(つまり「傾向と対策」的な姿勢)とは無縁な振動を更新することは、愚かな、バカっぽさとして、「置きにいく球」で「とにかく成功したいだけ」のゲーム参加者からは侮蔑の対象とされることかもしれません。しかし個人的には、ゲーム上での最適化などというしみったれた作業を、わざわざ出かけて行ってスクリーン上でみたいとは思わない。

http://bataaji.blog53.fc2.com/blog-entry-502.html


◇ @n291: パソコンの整理をしていたら下書きのテキストデータが出 ... - Twitter

パソコンの整理をしていたら下書きのテキストデータが出てきました。ツイートしたのかどうかすら忘れていました。読み返してみると、ものすごく昔のことのように感じます。【2011年05月27日 - Twilog】http://j.mp/IWsjb1

https://twitter.com/#!/n291/status/197654852338319360


◇ @n291: 作品のサプリメント化や一行コメント状況といったことで ... - Twitter

作品のサプリメント化や一行コメント状況といったことで、たまに思い出す記事はこちらです→【昨今の映画状況についての座談会[寺脇研荒井晴彦宮台真司]での宮台発言です。 - http://MIYADAI.com Blog】http://j.mp/HY9N1U

https://twitter.com/#!/n291/status/193315840282738689

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>>>「」と「」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100422#p5


>>>真昼のアンタンシテ 「イズミズム」第5回(QJ連載)より
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080523#p5