Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ジャン=ジャック・ルソー - Wikipedia

ジュネーブでの幼年期
1712年、フランス語圏の都市国家ジュネーヴにて、市民階級の時計師の息子として出生。生後8日にして母を喪う。
7歳頃から父とともに小説や歴史の書物を読む。この時の体験から、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた。1725年、父は退役軍人との喧嘩がもとでジュネーヴから逃亡せねばならぬ仕儀となる。兄も家出してしまい孤児同然となったジャン=ジャックは、母方の叔父によって牧師に預けられ、その後、公証人の許で書記の仕事を覚えようとしたり、彫金工に弟子入りするなど苦しい体験をする。3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求した[5]。
1732年、ジュネーヴを離れ、ヴィラン男爵夫人の愛人となり、その庇護の下でさまざまな教育を受けた。彼は一人で膨大な量の書物を読み、教養を身につけた。また、孤独を好んだ。この時期については晩年、生涯で最も幸福な時期として回想している。

哲学、思想、学術研究

ルソーは、一般的に政治哲学や社会思想の側面から語られることが多いが、哲学や倫理学、人間学、自然学の他、音楽や音楽理論、文学や文学理論、舞台芸術などの芸術分野など、幅広い関心を持ち、多方面で独自の思想を残している。
ルソーを含む近代哲学者の思想的影響を受けたとされ、ルソーの死後に始まったフランス革命においては、「反革命派」と名指しされた者に対して迫害、虐殺、裁判を経ない処刑が行われるなど、恐怖政治が行われた。マクシミリアン・ロベスピエールナポレオン・ボナパルトといった指導者たちが「一般意志」などルソーの概念を援用し、人民の代表者、憲法制定権力を有する者と自称して、独裁政治を行ったということは、歴史的事実である。しかし、ルソーの存在しない時代において行われたそれらがルソーの理想するところであったかどうかについては、留意すべき点である。そして、後述のように、そもそもルソー自身は、その思想において、代表制の政治に非常に懐疑的である。
また、「ダランベール氏への手紙:演劇について」においては、演劇の持つカタルシスの機能を批判した[10]。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%BC