Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

自己の信念に情報が従属し、選択的にしか受け入れられない(jouno)

「問題は、「メディア・リテラシーが必要とされる」とか、「うそをうそと見抜けないやつ」を馬鹿にする言説には、誰でもリテラシーの有無にかかわらず本質的にだまされうる存在であるという認識がかけているし、メディア・リテラシーが、メディア情報の恣意的な再解釈にならないための歯止めになりうる部分が欠けている。そうした歯止めがないかぎり「わかってるやつ」と「わかってないやつ」という符牒によって内外を分ける言説としてしか機能しないのではないか。」
jounoさんのhatena「under the sign of saturn」2004-12-06:メディア・リテラシー より
http://d.hatena.ne.jp/jouno/20041206/1102344331


鎌田哲哉の言葉を繰り返す

鎌田哲哉新左翼であるかニュー・レフトであるかは
よく知らないしそんな事には興味はないそして僕自身
新左翼だとかニュー・レフトだとかいうものにはかな
り懐疑的ではあるんだけども鎌田哲哉の書く文章には
大いに刺激を受けることが多いのも確かなのだった。
(2005年12月のメモより)


※以下、一度リンクを張ったテクストですが、
 鎌田哲哉さんの「「叢書重力」刊行によせて」より
 http://www.juryoku.org/webju.html


(…………)
我々は、参加主体が徹底して機会均等的=地方分権的でありながら、
出資はもちろん企画や発言の責任をも自らが実名で負う小出版組織
の確立を通じて、新聞文芸誌その他の社畜の暴力とインターネット
の匿名の暴力を一挙に同時に駆除しようとする。
(…………)
既成事実への屈服と自己検閲に抗して、「なかったこと」にされた諸問題
を存在させる試み。みかけ上小さな事柄を戦うことがそのまま、社会の不
正全体への異議につながる普遍的問題提起の反復。「叢書重力」の下部構
造の構築は、これらの批評的実践をより強固に、持続的に可能にするだろ
う。「重力」編集会議の進路は、公開的な記録と多事争論、とりわけWEB
上で頻出する恣意的とんずら=リセットを許容しない活字出版の自由こそ、
社会の同質化圧力に対する最も強力な批評原理であることを改めて証明す
るだろう。だが、「重力」が何をいかに正当に批判しようが、社会は我々
に対して多彩な権力の行使を決して停止すべきでない。直接的でわかりや
すい弾圧であれ、緩慢で散文的な黙殺であれ、我々に躊躇し遠慮する必要
は少しもない。それらは本質的な文学者や科学者を繰り返しテストする永
遠の試金石であり、「重力」が何ものかである限り、我々も一切の困難を
突破して自らの使命を頑強に遂行するはずだからだ。人間は誰もが自らに
必要な事柄を自らに必要な仕方で試みる。だがその時に、口先や割引や詐
欺的はったりで何かをしたことにする自己欺瞞を我々は最も望んでいない。