Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ブライトバンド

◇ 「雨雲の動き」を知る - 「雨雲の動き」で分かること - 日本気象協会 tenki.jp

右の図は、2010年2月1日の気象レーダー画像です。愛知県北西部に円形の赤いエコーが確認できます。この円形の赤いエコーは、「ブライトバンド」と呼ばれています。ブライトバンドは、気象レーダーから発射された電波が雨雲の融解層によって反射されることで、実際よりも強いエコーが観測される現象です。融解層とは、雨雲の中で気温が0℃に近く、氷の粒が溶け始める層のことをいいます。融解が始まり、表面が水の膜で覆われた氷の粒には電波を強く反射する性質があるため、このような強いエコーが発生するのです。

http://tenki.jp/docs/note/rader/page_3.html


◇ ブライトバンド 17時追加 - チーム森田の“天気で斬る!”
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/59048054.html


◇ hugujo: 気象庁レーダーにヘンな輪っかが出てる。 http:/ ... - Twitter
https://twitter.com/hugujo/status/293339104438001664/photo/1

「復興」という名の悪夢 - toriiyoshiki's Blog

仕事柄、物事の暗い側面を見つめることが多い。
きのう阪神淡路大震災から18年を迎えた神戸。
多くの観光客で賑わう街に
いま震災の傷跡を見ることはない。
しかし、人知れず、復興の“後遺症”に苦しむ人たちがいる。
「復興災害」という言葉さえ囁かれるほどだ。

http://toriiyoshiki.blogspot.jp/2013/01/blog-post_18.html

デレク・ベイリー - 工作舎

即興演奏の可能性を切り拓き、数多くのミュージシャンに影響を与えたデレク・ベイリー。唯一の研究本として知る人ぞ知る伝説の書 “Derek Bailey and the Story of Free Improvisation” 、ついに邦訳! ベイリー本人はもちろん、ミュージシャン仲間の膨大なインタビューを再構成し、ベイリーの生涯、音楽観を浮き彫りにする。

訳者はベイリー著『インプロヴィゼーション』の訳者陣の一人でもあり、永きにわたり交流を続けた木幡和枝。日本版オリジナルの秘蔵写真、1978年のインタビューなど付録も充実。

http://www.kousakusha.co.jp/DTL/bailey_pre.html

出張blanClass@MOTアニュアル2012「風が吹けば桶屋が儲かる」 橋本聡 [場時盗風:美術館のものを奪う計画] 計画作成・発表・検討 - ブランクラス|blanClass

出張blanClass@MOTアニュアル2012「風が吹けば桶屋が儲かる
橋本聡
[場時盗風:美術館のものを奪う計画] 計画作成・発表・検討


日 時:2012年1月29日(火) 14:00〜18:00(+18:00〜)
場 所:東京都現代美術館 MOTアニュアル2012「風が吹けば桶屋が儲かる」展 企画展示室2階 ほか
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/140/1
発表者:小林耕平、小林晴夫、高嶋晋一、橋本聡、眞島竜男
聞き手:森田浩彰 ほか
企 画:橋本聡
監 修:基礎芸術 Contemporary Art Think-tank


<タイムスケジュール>
・第1部(14:00-):計画発表
・休憩も兼ね:常設展示室などを歩きながら計画について話す
・第2部(-18:00):検討及び、その場でさらに計画を探求
・終了後のトーク(18:00-):東京都現代美術館隣の公園あたりで

USTREAMでの中継:http://www.ustream.tv/channel/blanclass-night

http://blanclass.com/japanese/schedule/20130129/

パースペクティブのためのメモ(生誕年)*1

土門拳 1909年
名取洋之助 1910年
桑原甲子雄 1913年
石元泰博 1921年
大辻清司 1923年
長野重一 1925年
東松照明 1930年
奈良原一高 1931年
細江英公 1933年
川田喜久治 1933年
深瀬昌久 1934
高梨豊 1935年
森永純 1937年
中平卓馬 1938年
森山大道 1938年
内藤正敏 1938年
土田ヒロミ 1939年
須田一政 1940年
荒木経惟 1940年
篠山紀信 1940年
潮田登久子 1940年
鈴木清 1943年
長船恒利 1943年
春日昌昭 1943年
藤原新也 1944年
倉田精二 1945年
鬼海弘雄 1945年
山崎博 1946年
牛腸茂雄 1946年
関口正夫 1946年
田村彰英 1947年
石内都 1947年
宮本隆司 1947年
渡辺兼人 1947年
島尾伸三 1948年
山中信夫 1948年
柴田敏雄 1949年
谷口雅 1949年
山内道雄 1950年

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山岸章二 1930年
西井一夫 1946年

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安部公房 1924年
重森弘淹 1926年
多木浩二 1928年
福島辰夫 1928年
中原佑介 1931年
磯崎新 1931年
寺山修司 1935年
吉増剛造 1939年
岡田隆彦 1939年
金子隆一 1948年
平木収 1949年

      • -


松本俊夫 1932年
松田政男 1933年
金坂健二 1934年
鈴木志郎康 1935年
飯村隆彦 1937年
足立正生 1939年
原一男 1945年
原將人 1950年

      • -


高松次郎 1936年
赤瀬川原平 1937年
榎倉康二 1942年
菅木志雄 1944年
若江漢字 1944年
眞板雅文 1944年
野村仁 1945年
彦坂尚嘉 1946年
植松奎二 1947年

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粟津潔 1929年
杉浦康平 1932年
横尾忠則 1936年

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常盤とよ子 1930年
吉田ルイ子 1938年
渡辺眸 1942年

NEW JAPANESE PHOTOGRAPHY 写真家たちの併走者 - papersky

1974年、15名の日本人写真家による『New Japanese Photography』展がMoMAニューヨーク近代美術館)で開催された。参加写真家は、土門拳石元泰博東松照明、川田喜久治、内藤正敏、一村哲也、土田ヒロミ、深瀬昌久奈良原一高細江英公森山大道、秋山亮二、ケン・オハラ(小原健)、田村彰英、十文字美信。そして、キュレーターは、MoMA 写真部門ディレクターのジョン・シャーカフスキーと『カメラ毎日』編集長の山岸章二。日本の写真がはじめて本格的に海外に紹介された記念碑的な展覧会として、その意義は写真関係者の間では周知のものだ。しかし、そのカタログの謝辞に、翻訳などの手助けをした石元泰博の名に続いて、ある日本人の名が記されていることはあまり知られていないだろう。


“Toshio Saito”。その名の後には、「各写真家の過酷な個人基準に応じて、展覧会プリントを制作してくれた」という言葉が添えられている。


細江英公、ケン・オハラをのぞく13名のプリントを仕上げた“Toshio Saito”とは、現在、赤坂にあるPhotographers’ Laboratory でモノクロのプリンターを務める斉藤寿雄さんのことである。謙虚な斉藤さんは照れてしまうかもしれないが、「戦後日本写真と併走してきた伝説のプリンター」と呼んで、異議を唱える人はいないはずだ。

http://www.papersky.jp/2010/11/30/new-japanese-photography/