Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

土山陽子さん関連

◇ CiNii 論文 -  「人間家族」展(一九五五年)の復元による意味の変遷について(分科会II-C[映像論],研究発表II,第六十回美学会全国大会報告発表要旨)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110008464980


表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (2)

2015年6月19日から20日にかけて行なわれたシンポジウム「The Family of Man in 21st Century: Reassessing an Epochal Exhibition」について、この場を借りてご報告させていただきたい。会場はルクセンブルク北部のクレルヴォー城内にあるThe Family of Man 美術館であった。この写真展は冷戦期の西側陣営の政策に結びついたプロパガンダ性において数々の批判がなされてきたが、筆者は初めて同展を訪れた際の鑑賞体験を通して、1950年代とは異なる現在の展示効果について考察するために研究を続けてきた。


よく知られていることではあるが、展覧会について簡単に説明しておく。当時、MoMAの写真部門のキュレーターであったエドワード・スタイケン(1879–1973年)によって企画された写真展The Family of Manは、1955年にMoMAで公開された。それはいくつかの複製によって、世界38ヵ国を巡回した。そのうちの1点がルクセンブルクを巡回した後、1966年にアメリカ合衆国からスタイケンの祖国であるルクセンブルク大公国へと寄贈された。その時、スタイケンはThe Family of Man展がクレルヴォー城内に常設展示されるよう希望していた。しかし、同展はしばらく忘れ去られた後、1974年以降、展覧会の一部が展示されてはいたが、それはMoMAで行なわれたようなスタイケンの展示方法に従うものではなかった。それゆえ、展覧会の構成や展示の仕方が考慮されて、巡回によって損傷していた写真パネルが適切な方法で修復された上でこの場所に復元されたのは、1994年になってからのことである。1994年に開館したこの美術館には同巡回展の写真パネルがすべて保存されているが、MoMAの展覧会に含まれていたような写真のうち、保存状態に問題のある一部を除いては、ほぼ同じ内容が展示されている。同展は2003年にユネスコの世界の記憶に登録された。

http://repre.org/repre/vol25/note/02/


◇ CiNii 論文 -  ヴォルスの写真と絵画における形(フォルム)の解釈の可能性(第五十八回美学会全国大会発表要旨)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110006632980


◇ 【報告】カタストロフィの哲学第3回「伝播する核のイメージ」 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2011/06/post-457/


◇ 土山陽子 - 映画=表象の政治性 - blogger
http://cinematicrepresentation.blogspot.jp/2011/12/1540-1605-200619452001911.html


◇ 「映像に見る戦後の日本社会 1945年から現在まで」(土山様より) : パリ稲門会
http://blog.livedoor.jp/paristomonkai/archives/51363275.html


◇ 第44回例会レビュー : 写真研究会

「写真と語り:「人間家族」展(1955年)における原水爆写真の展示を巡って」というタイトルの報告でした。最初に、土山さんの博士論文の構成が示され、その第二章「1956年・東京展「ザ・ファミリー・オブ・マン、われらみな人間家族」を中心に報告がありました。


ここで、今までの写真研究会での土山さんの報告を簡単にふりかえっておくと、一作年は、現在では冷戦期のアメリカの文化戦略として(批判的に)位置づけられるようになったスタイケンの「人間家族=The Family of Man」展を、ロシア・アヴァンギャルドバウハウスの展示デザインの思想の継承という観点から捉え直そうという報告でした。報道写真を美術館で展示し、写真パネルをインスタレーションとして観客に体験させるという彼の展示方法が、当時にあっては画期的なものだったということが、よくわかりました。


昨年は1956年の東京高島屋の展示と山端庸介の被爆写真撤去事件についての報告でした。丹下健三が会場を設計し、河野鷹司がカタログをつくり、木村伊兵衛や渡辺義雄、金丸重鎮が関わった日本側の顔ぶれは、いわば戦前日本のモダニズムが戦争の時代を通過して戦後までつながっている証しとしても興味深かったのですが、会場を訪れた昭和天皇の目から山端庸介の被爆写真がカーテンで隠された事件についても、同時代のメディアの反応などを中心に詳細に紹介されました。


今年は、以上の報告を綜合しながら、昭和天皇の来場は当時のアメリカ大使アリソンの招待だったこと、その際に大使の側から被爆写真の存在が問題とされたことなど、新たに調査された事実を踏まえて問題が整理されました。

http://shashinken.exblog.jp/14905998/

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◇ 社会科学高等研究院 - Wikipedia

社会科学高等研究院(しゃかいかがくこうとうけんきゅういん、フランス語: École des hautes études en sciences sociales)は、フランスにおける国立の特別高等教育機関(grand établissement)。略称(記号)はEHESS。

高等研究実習院の第6部門が1975年の政令により独立して生まれた。社会科学に関わる様々な分野における、研究および研究者の養成をその目的としている。対象とする分野は歴史学社会学、経済学、文化人類学、人口統計学、地理学、考古学、心理学、言語学、哲学、統計学などの社会科学および法学、(文化財の)修理技術、医学、芸術などに及ぶ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%A7%91%E5%AD%A6%E9%AB%98%E7%AD%89%E7%A0%94%E7%A9%B6%E9%99%A2

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20101006#p9)

■第43回例会レビュー - 写真研究会

レヴュー:スナップと日常性―1970年代の「私写真」再考

発表者 甲斐義明氏


荒木経惟の『センチメンタルな旅』(1971年)は、荒木自身が私小説こそ最も写真に近いものだとして発表し、写真評論家の飯沢耕太郎などによって「私写真」とみなされてきた。写真を私小説的であると述べたものでは、1954年の土門拳による、安井仲治の写真についての文章に遡ることができる。私的な言語が存在しないように、媒体である写真が私的であるとはいえないため、発表者は「私小説/私写真」の定義を私的な事柄や場面を取扱い、その時の感情や考えの記述が客体化されず混然とした状態にあるものとした。しかし、例えば私的なオブジェを撮影したソル・ルウィットのコンセプチュアルな作品は、Autobiographyとは何かを分析的に問うているため、プライヴェートな眼差しであるはずの私写真とは区別される。また、1971年の同写真集の中で、荒木は新婚旅行を日常と見なしている。では、私写真は日常写真なのだろうか。ここで発表者は、「私的」であることと「日常的」であることは、異なりながらも重なり合う二つの集合であるとしている。


ところで、1966年にアメリカで出版された展覧会カタログ、ネーサン・ライオンズ編集の“Contemporary Photographers:
Toward a Social Landscape”
は、日本で「コンポラ写真」という言葉を生むきっかけとなった書物である。その影響を取り上げてみると、1967年の草森紳一の書評の中で、同書に出てくる写真は「日常的なさりげなさ」において共通すると紹介されている。また、1968年6月に『カメラ毎日』に発表された大辻清司の文章をみても、「コンポラ」は「日常性」と結びつけて受容されていることが分かる。ここで使用された「コンポラ写真」という言葉において、日常的であることと私的であることの違いは吟味されていない。つまり、当時の日本では、現代写真の関心が日常的な情景を表現することや個人の内側に引きこもる態度と結びつけられたのである。金子隆一氏の補足によれば、大辻によって日本に導入された「コンポラ写真」の概念は1970年代前半に拡張し、社会的な構造をもつまでになった。そのような中、1971年の荒木の『センチメンタルな旅』で「私写真」という概念が出てくるが、荒木の写真は当時コンポラとは見なされていなかったという。

http://shashinken.exblog.jp/14695029/
報告者は土山陽子さん。


◇ 『EOS ArtBooks Catalogue 2009 / Fall』

ストリート・スナップというジャンル / 甲斐義明

http://www.eosartbooks.com/news/catalogue2009b.jpg

本カタログではふたつの柱として、展覧会カタログを巡る新進の研究者によるテキストを巻頭特集に、新しい美術の動向を伝えるカタログの紹介を『cutting-edge』欄に、それぞれ掲載いたしました。

編集:筒井宏樹
テキスト:粟田大輔/石崎尚/上崎千/大森俊克/奥村雄樹/甲斐義明/沢山遼/杉原環樹/筒井宏樹/成相肇/星野太
デザイン:渡邉麻由子

http://www.eosartbooks.com/news/200910.html
参考1。


◇ 『photographers’ gallery press no.7』

特集
写真史を書き換える──写真史家 ジェフリー・バッチェン
ある一枚の写真を諸関係の網目として読み込むことを誘い、写真史の脱構築を図るスリリングなトルボット論「A Philosophical Window」、もっとも膨大で一般的な写真の形式であるスナップ写真を主題に写真史の言説様式そのものへの革新的アプローチを示すバッチェン最新の論考「Snapshots: Art History and the Ethnographic Turn」そして本誌オリジナルのロング・インタビュー(訳・聞き手/甲斐義明)を加えて掲載!

http://pg-web.net/scb/shop/shop.cgi?No=206
参考2。