Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

申し訳ありません(関係各位)

2月28日(水)からトーキョーワンダーサイト渋谷で開催される
ワンダーシード2007(http://www.tokyo-ws.org/)ですが、
事務局から諸々の案内が届きました。


どうやら、展示する写真の販売価格を向こうで
決められてしまったようです。
「価格はいかなる理由であれ、変更できません。ご了承ください」
とのこと。
結果的に、今回はこちらの販売希望価格よりも
かなり安値になってしまいました。激安です。
シートのみでもこの値段はないんじゃないの? って感じです。


これでは作品が売れたところで、
売り上げが制作費+販売手数料を下回ってしまいます。
つまり赤字です。
「出血大サービス」というその言葉自体安っぽい惹句が 、
ピタリと当て嵌まる感じです。


作品のサイズが小さめ(350mm×525mm)とはいえ、
あんまり価格が低いのは困ります。
作品を気に入っていただいた方に所有してもらえれば
それは作家としての幸せではありますし、
今回は赤字になってしまうことに目をつぶるとしても、
これまでに私の写真を買ってくださった方々に
合わせる顔がありません。


コレクションしてくださってる皆さん、
本当に申し訳ありません。


また、たった1枚といえども
素材の調達からプリント・加工まで
万全の仕上げをしていただいた
YさんやTくんたちにも、申し訳ないです。


たぶん素材と技法の表記を見ただけで、仕上げを精査せずに
その方法の最安値をもとに価格を決定されちゃってます。
某大手の雑な加工とは比べものにならないのに。。。


やっぱり写真って、まだまだ低くみられてるんでしょうか?
そうした認識を何とか変えていきたいものです。






いちばん最初に作品を購入していただいた、
助教授(現在音信不通)のことを思ってしまいました。
今でも写真を手許に置いて大切にしてくれていると良いのですが。

記憶の位相 - Aspects of Memory@UPフィールドギャラリー

2007年4月6日(金)〜4月22日(日) ※会期中無休


参加メンバーは、
糸井潤
福居伸宏
小島佳典
黒田康夫
湊雅博
の5人です。


4月14日(土)16:00より
アーティストトークの開催も予定しています。
※参加費500円(ワンドリンク付き)


◇ UPフィールドギャラリー
http://www.upfield-gallery.jp/

「テレビはもうワイドショーしか作れない」(上岡龍太郎)

メディアリテラシー」という言葉を聞くと、
どうしても上岡龍太郎のことを思い出してしまいます。
「テレビはもうワイドショーしか作れない」発言(阪神大震災のあと)よりも、ずっと前のことですが、
「テレビはウソもん。それをわかったうえでテレビを見るべきだ」みたいなことを、
よく言っていたように思います。
(「お約束」という言葉を一般にも広く定着させたのって、とんねるずでしたっけ?)


それで、ちょっと検索していたら、例の「低俗の限界」の映像を発見しました。
当時、私はオンタイムで見てました。
宮沢りえヘアヌード写真集『サンタフェ』(撮影:篠山紀信)が発売されたのが1991年11月なので、
この放送が当時いかに危険だったのかは、想像に難くありません。
あとから知ったことですが、あのころはヘルムート・ニュートンの写真でさえ「わいせつ」だとみなされ、
掲載誌の編集責任者は警視庁に呼び出しをくらったこともあったそうです。
(そういえばロバート・メイプルソープの裁判もありました)


EXテレビ 上岡と紳介 低俗の限界 - HooSoo.tv
http://www.hoosoo.tv/Default.aspx?tabid=58&v=01-251c2a5f-8b5b-4498-9738-7e6ead1bd04e
テレビというメディアの性質についても自己言及的に語り合っていたように思ったんですが。。。
できれば全編ノーカットで見てみたいものです。


教えて!goo 古いですが「EXテレビ」の疑問
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa754626.html


◇ 「低俗の限界」と「火曜日の実験企画」(EXテレビ - Wikipedia

番組スタート直後の1990年4月5日の木曜日の放送で上岡が1人で延々と喋る企画が放送されたが(このとき上岡は「魏志倭人伝を1時間読み続けて、どこで誰も見なくなるかという企画をやってみたい」と言っていたが、魏志倭人伝は短いのですぐに読み終わる)、放送中テレビ局にとある視聴者から「男が1人で何ベラベラ喋っとんねん、早くハダカを見せろ、ハダカを」という苦情電話があった(苦情電話を入れた視聴者は前番組の「11PM」と思い込んで番組を観ていたらしい)。番組に届いた苦情電話を紹介する企画でそのことを知った上岡と紳助が提案し、実現した企画である。前半はスタジオに数名のヌードモデルが立っていたり、横たわる中でトークを繰り広げ、後半は上岡と紳助の2人がソファーに腰掛けて真面目なトークを展開する企画であったが、問題は2人の頭を挟むように全裸の女性(AV女優)が座っている点であった。ちょうど2人の頭が女性の股間を隠すような位置に来るように設定されており、不用意に頭を動かすと女性の局部が露出してしまうことから、2人が頭を動かさないようにしながら様々な行動を取る様子が奇妙な笑いを生んだ。また、CM前には有名クイズ・ゲーム番組を下ネタにアレンジしたパロディー企画が放送された。ちなみに、この企画が初めて放送された回に、EXテレビ史上最高視聴率(平均12%、瞬間最高視聴率16%)を叩き出したが、初回の放送時に300本を超える苦情電話が殺到する事態となるなど、過激すぎる内容だったためか、合計2回の放送にとどまった。
また、この回がそれまでの生放送では対応できないとのことからVTR収録となり、後に木曜同様火曜もVTR収録に変更されるきっかけとなったという説もある。

日本テレビ発は三宅裕司読売テレビ発は上岡龍太郎島田紳助(火曜日のみ)が司会を務め、原則制作局の自社スタジオから生放送されていた(ただし木曜は通常VTR収録、火曜日も末期はVTR収録に移行)。各曜日ごとにテーマを設けたが、その中で火曜日に放送された実験的テレビ番組企画(番組内では「テレビ論」と称していた)では、当時深夜24時で放送を終了していたNHK教育テレビにチャンネルを変えるように促し、停波中にもかかわらずビデオリサーチ社で最高2%、ニールセン社で最高5.9%(これは当日のNHK教育テレビで放送された全ての番組よりも高い数字であった)もの視聴率をはじき出し、ビデオリサーチ社からはクレームがきたというエピソードもある。第一回の放送で、上岡は「昨日、東京で三宅裕司がやってたつまらない番組みたいにはしません」と発言し、東京と大阪の対立を煽ることも視聴率UPに利用していた。 木曜日は、立川談志山城新伍を迎え、最強のトリプル(月2回)や大島渚野坂昭如小田実ら、7人でのトークの日(月2回)があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/EX%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93

チョムスキーとソンタグ

以下、いずれも佐野寛『メディア写真論─メディア社会の中の写真を考える』より重引。
http://www.amazon.co.jp/dp/4894190508

 今日の歴史の中に、人は二本の軌道を見い出すはずだ。一本は覇権に向かい、狂気の理論の枠内で合理的に行動し、生存を脅かす。もう一本は「世界は変えられる」──世界社会フォーラムを駆り立てる言葉──という信念に捧げられ、イデオロギー的な支配システムに意義を唱え、思考と行動と制度という建設的な代案を追求する。どちらの軌道が支配するかは、誰にもわからない。こうしたパターンは歴史全体によく見られるが、今日の決定的な違いは、懸けられているのが遙かに重大なものだということである。

ノーム・チョムスキー『覇権か、生存か─アメリカの世界戦略と人類の未来』より
http://www.amazon.co.jp/dp/4087202607

 私も、なにごとかを語る声を愛するものだが、なにごとかを書く声の方が好きだ。語る声は行動を訴えかける方向へと引きずられがちだ。作家──もちろんこの言葉は、たんに本を出す人という意味ではなく、文学という事業に取り組んでいる人を指して使っている──は活動家ではない。活動家であってはならない。解決を追求すること、そのために必然的にものごとを単純化することは、活動家の仕事だ。つねに複合的で曖昧な現実をまっとうに扱うのが作家、それもすぐれた作家の仕事である。常套的な言辞や単純化と闘うのが作家の仕事だ。

スーザン・ソンタグ『この時代に想う、テロへの眼差し』より
http://www.amazon.co.jp/dp/4757140347

再々録:2004年12月2日のメモから

浅田 もちろんそれはアメリカだけの話ではない。
バラード そう、ケネディ暗殺は六〇年代以後の世界を
生み出す触媒だったとさえ言えるかもしれない。TV戦
争としてのヴェトナム、六八年、ポップカルチャー……。
すべてはもはやメディア・ランドスケープの中にある。
そこにはエモーションはなく、センセーションがすべて
だ。そして、それは速やかに飽和に向かう。
浅田 差異の飽和点における無差異=無関心(インディ
ファレンス)に。
バラード それは最近のことのように見えるが、実は六
〇年代に始まっていたことだと思うね。
(中公文庫『「歴史の終わり」を超えて』浅田彰 より
         第六章 J・G・バラードとの対話 
          ※初出『03』一九九一年五月号)



「いまここ」を準備したのは「かつてそこ」であり、
「やがてどこか」を準備するのは「いまここ」である
ことに、疑いの余地はありません。


たとえば、コップに一杯の水を汲むとします。
それを等しい大きさの次のコップに注ぎます。
それを等しい大きさの次の次のコップに注ぎます。
それを等しい大きさの次の次の……コップに注ぎます。
この無限の連鎖が時代──つまりは歴史
を作り出している、と考えてみます。
しかし、よほどうまく「水のリレー」を行わないと、
水は少しずつ失われていくでしょう。


それを防ぐには、
どこかで水を汲み足し、
より容積の大きなコップを
手に入れなくてはなりません。


では誰が?
それを?


1.「かつてそこ」の人
2.「いまここ」の人
3.「やがてどこか」の人


「いまここ」の人々は、
とてつもなく鈍感なのかもしれない。
そんな気がしてなりません。
(もちろん自戒も含めて)