Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

音楽家・渋谷慶一郎と小説家・平野啓一郎、互いの作品を拠点に対談 - CINRA.NET

渋谷は、自身が作曲・演奏したピアノソロによる完全なアコースティックアルバム『ATAK015 for maria』を9月にリリース。対する平野は7月に近未来小説『ドーン』を発表し、第19回『Bunkamura ドゥ マゴ文学賞』を受賞するなど、両者ともに旺盛な活動を続けている。

今回のイベントは、それぞれの作品を拠点として、互いに深い理解をよせる2人による対話を試みる。それぞれの思考が交錯する場に立ち会うことのできる貴重な機会となるだろう。

http://www.cinra.net/news/2009/11/16/225258.php

池上高志「自然の生命を超える人工生命について」 - 東京大学の学園祭「駒場祭」公式webサイト

自然現象のなかでも、生命の現象の不思議を分かろうという試みは、古くから続いています。シュレディンガーのネゲントロピーから、プリゴジン散逸構造、ヴァレラのオートポイエシスへ。そして90年以降、コンピュータを使った人工生命という考えが出現しました。これらの考えを概観しつつ、生命を作り出している理論的/実験的仕組みをみんなで考えてみましょう。

http://www.a103.net/komabasai/60/visitor/main/kouza-sizen

『写真の存在論』刊行記念 荒金直人トークイベント(六本木店:2009年12月2日) - 青山ブックセンター

写真論の古典であるロラン・バルトの『明るい部屋』。そこで問題になっていたのは、結局何だったのか。写真は過去の存在を――その存在の意味ではなくその存在を――経験させる。もしそれが写真の本質なのだとすれば、その場合の「経験」とは何なのか。そして「存在」とは何なのか。例えば、銀塩写真からデジタル写真への移行は、その経験を変化させたのだろうか。あるいは、むしろ「存在」自体の変化に目を向けるべきなのか。また、写真経験は意味の経験ではないというバルトの発想は、「写真は過去を思い出させはしない」という彼の考えにもつながる。しかし、記憶や記録と写真との関係ついての考えを深めることで、つまり「存在の経験」としての写真と「経験の経験」としての記憶の関係について掘り下げることで、見えてくるものもある。結局、写真経験とはいかなる経験なのか。それは存在に「向かう」経験なのではないか。――写真経験について、皆さんと共に考えたいと思います。

http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200912/2009122.html

総合ディレクターに妹島和世氏 ベネチア・ビエンナーレ - asahi.com(朝日新聞社)

イタリアのベネチア・ビエンナーレ事務局は9日、建築家の妹島和世(せじま・かずよ)さん(53)を来年8月末から開かれる第12回国際建築展の総合ディレクターに起用すると発表した。

 美術と建築の最先端を年ごとに交互に見せる同ビエンナーレの最高責任者に日本人が就くのは初めてで、女性が選ばれるのも建築展では初めてという。

http://www.asahi.com/culture/update/1110/TKY200911100105.html


◇ 妹島さん、初の邦人ディレクター ベネチア国際建築展 - 47NEWS(よんななニュース)

 ANSA通信によると、同財団のパオロ・バラッタ会長は妹島さんについて「21世紀建築の最も有能で代表的な巨匠の一人」とたたえた。

 妹島さんは1956年、茨城県生まれ。主な作品(共作を含む)に再春館製薬女子寮(熊本市)、熊野古道なかへち美術館(和歌山県田辺市)、金沢21世紀美術館金沢市)などがある。

 2004年には第9回ビエンナーレ国際建築展で西沢立衛さんとともに、最優秀の金獅子賞を受賞した。

 10年の建築展は8月から11月まで開催予定。

http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111001000135.html

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080810#p3)

■予想通りクレーン使って撮影→エドワード・バーティンスキー
◇ マニュファクチャード・ランドスケープ:いまここにある風景 - PingMag - 東京発「デザイン&ものづくり」マガジン

広域写真の制作風景−エドワード・バーティンスキー(左)とピーター・メトラー(写真監督)、カンクン・ファクトリーにて、漳州、福建省、中国(写真:Sanjay Mehta)。

http://pingmag.jp/J/2007/04/12/manufactured-landscapes/
クレーンを使っていようと、使っていまいと、バーティンスキーに対する私の評価は変わりませんが一応。
ヴォルフガング・ティルマンスの『コンコルド』とは、やっていること(写真への取り組み方)が真逆。


>>>エドワード・バーティンスキー(Edward Burtynsky)に対する違和感
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080716#p5