Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

「内海聖史 シンプルなゲーム」 void+ - はろるど・わーど

void+
「内海聖史 シンプルなゲーム」
11/11-12/10


void+で開催中の「内海聖史 シンプルなゲーム」へ行ってきました。

MOT常設の他、スパイラルなど、広い空間での展示も印象に深い内海ですが、今回はあえて奥行き4メートル弱、高さは2メートルにも満たない極小のホワイトキューブへと挑んでいます。

ギャラリートーク
内海聖史 x 笠原出(美術家)、中村ケンゴ(美術家)、松山賢(美術家)
日時:12月9日(金) 19:00〜


会場で配布される大判のカタログがまたよく出来ていました。これは永久保存版です。


12月10日まで開催されています。


「内海聖史 シンプルなゲーム」 void+
会期:11月11日(金)〜12月10日(土)
休廊:日、月、祝
時間:14:00〜19:00
住所:港区南青山3-16-14 1階
交通:東京メトロ千代田線・銀座線・半蔵門線表参道駅より徒歩4分。

http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/4446803b95d779d8eb42be65b8f001a7


◎ 内海聖史 works - satoshi uchiumi
http://uchiumisatoshi.com/


◇ 色彩の下
http://uchiuminfo.exblog.jp/

あまりにも普通

◇ Music: 数学者がつくり出した世界で1番耳障りな音楽(動画) - ギズモード・ジャパン

音楽の美しさとは何か、それはパターンと反復がつくり出すメロディである。そう気づいたScott Richard氏は、美しさの要素パターンと反復を一切排除した世界で最も耳障りで美しくない音楽をつくりあげました。Scott氏は数学とコンピューターサイエンスの学位をマサチューセッツ工科大とプリンストン大学から取得している超理系人間。計算のプロです。このプロの技を使い、フランスの数学者エヴァリスト・ガロア氏の理論とゴロム定規という考え方を元に、数学的に計算しつくして作られた最も耳障りなピアノソロがこれです。数学者だけが作ることができる音楽なのです。

動画前半はScott氏のプレゼン、曲を聞きたい方は、7:38秒くらいから再生どうぞ。ただの適当な曲ではありません。適当に聞こえますが、計算しつくされた耳障りさなのです。

http://www.gizmodo.jp/2011/11/only-a-mathematician-could-love-the-worlds-ugliest-music.html
ごくごく普通の現代音楽になっています。とりたてて耳障りでもありません。作品としても平凡です。
しかし、この周回遅れっぷりは一体。。。


Watch "TEDxMIA - Scott Rickard - The World's Ugliest Music" Video at TEDxTalks
http://tedxtalks.ted.com/video/TEDxMIAMI-Scott-Rickard-The-Wor
TEDのプレゼンにしてはやはり微妙です。

Robert Coburnさんのスペシャルレクチャー

◇ 10月13日(木) 芸術情報特論B Robert Coburn 先生「時をみる:音と画像に関わる作曲家の仕事 (Seeing Time: Composers Working With Sound and Visual Image) 」 - 東京藝術大学芸術情報センター
http://amc.geidai.ac.jp/?p=4002


Ustream.tv: ユーザー amcgeidai: 芸術情報特論 / Special Lecture in Information Art 10/13/11 01:52AM
http://www.ustream.tv/recorded/17845733


◎ Robert Coburn
http://www1.pacific.edu/~rcoburn/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070729#p13)※リンク切れ修正

■Yくんも登場「シューティングゲームの歴史」
シューティングゲームの歴史 (字幕付き) - YouTube

フランスのゲーム専門チャンネル「Game One」が制作した日本のシューティングゲームの歴史に関するドキュメンタリー。日本語字幕(普通仕様)付き。インベーダーから最新事情までを幅広く紹介。 登場するタイトルはスペースインベーダー ゼビウス グラディウス R-TYPE ダライアス バトルガレッガ 怒首領蜂 シルバーガン 斑鳩 旋光の輪舞 など。


"Japan: History of Shooting Game" with Japanese sub

(1)http://youtu.be/so37mEzCdYQ
(2)http://youtu.be/Isz6eTrQo9k
(3)http://youtu.be/4tyB2XxtGgI
数日前に偶然発見。
シューティングゲームの歴史なのに、
達人王とか東亜プラン系はスルー。
けっこうアッサリした内容ですが、
しかし、ユセミSWYことYくん登場。 *1
いまも現役なら、やっぱ最強なのかな? と。
大往生のとき(まだ彼が A-L にこだわってたころ)にグッディで会ったっきりです。

*1:本名は自粛。昔のメストをチェックしてみれば、某対戦格闘の大会にYくんの姿が。。。
  ホームステイアキラことNALくんにしてもそうですが、本物はジャンルを問いません。

大明神さんの「ν」と「μ」

◇ Gダライアス クリオネ
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◇ Gダライアス カメ
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>>>グレート・シング
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070307#p11


>>>CVMの「小田原城城主」ではなく「雷霊」のほう
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100306#p6


>>>キューブとグラIII
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090712#p6


>>>ライフフォース(奇数周と偶数周)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090812#p3


>>>パロディウスだ! AC版 ツインビー 2周ALL
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090814#p8


>>>大明神さんのmixiより
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20100124#p3

キヤノン:写真新世紀|写真新世紀展2001 開催報告

第10回 写真新世紀展2001 公開審査会開催報告

公開審査会 2001年12月8日(土)

東京・青山モーダポリティカにて写真新世紀展2001を開催。 初日8日には、審査員 荒木経惟氏、飯沢耕太郎氏、南條史生氏、木村恒久氏、都築響一氏による公開審査が行われました。 第23回、第24回公募優秀賞受賞者が、審査員と来場者の前でプレゼンテーションし、作品についてや、写真に ついての熱い思いを披露してくれました。 その後の審査の結果、300人以上の来場者が見守るなか、特別賞に新沢ももさんと中西博之さんが選ばれました。

第24回 審査総評

→荒木 経惟 Nobuyoshi Araki

今回の応募作品は今後の動向を占うものになるんじゃないかな。なんせ新世紀ですからね。自分の感性を発見して生き生きしなくっちゃいけません。写真を見て滅入るというのか、しけた気分になるのはイヤですね。写真を撮ることで自分の感性や感情が自分の何かを発見してくれる。だからどんどん写真がおもしろくなっていくんですよ。言葉には出せない魅力があります。そうなってきたというのは、かなりイイ線いってますね。自分のスタイルがある。誰になんと言われようが私はこれで行くという元気です。現実は小説より奇なりといいますが、本当に凄いアートがありますよ。タイトルも凝っていて、みんな詩心が出てるのかなぁ、なかなか文学しています。


→飯沢 耕太郎 Kotaro Iizawa

写真新世紀」の出品作品の中によく見られる傾向として、「ライフ人生」、「私生活」を日記のように綴る作品が目立つ。生と死が交錯するような、そのイメージの連鎖は強く心を揺さぶられるものが多い。ただ、同じ様な写真が並ぶと言葉はあまりよくないかもしれないが、やや食傷気味になる。よほどの工夫、あるいは力業が必要かもしれない。もちろん、こういった主題に挑戦するのはいいことなのだが。


→南條 史生 Fumio Nanjo

なんかますます数が増えるなあ、と言う感じです。ひとりひとりが出品する作品ももはや一点だけで出品なんていう人はいない。相当の作品数で、その狙いというか、背景の文脈を見せようとしている。それはいいことだと思う。なぜなら審査する方も、その作品が偶然できたものでなく、意図を持って作られたものだということがはっきりつかめるからだ。作品の雰囲気は、以前よりも、多様になってきたような気がする。私生活と裸を主題にしたものが以前は多かったが、それがもっと幅広い展開になっているような気がする。全体にテクニックは上がっている。一枚一枚のプリントも丁寧で、きめ細かい。アルバムにしても、悪趣味なものや、素人臭い作り物は減ってきて、きわめてプロフェッショナルな作りのものが目に付くようになった。プレゼンテーションとして、人に見せるきちんとしたものになっている。主題は、相変わらず自分と自分の生活をテーマにしたものが多いが、そうした生活の中にいかにドラマを読みとるか、その目が大事なのだ。一方で、ある種のコンセプチュアルなアプローチも増えている。一つの視点で、継続的に世界を切り取ってみる、そんな態度が明快なシリーズの成立につながる。その視点に含蓄があってさまざまに展開可能であれば、それこそ意味深い方法論を生み出したということになるだろう。審査は私にとって、以前よりももっとエキサイティングなイベントになりつつある。


→都築 響一 Kyoichi Tsuzuki

人は、君の日常生活なんかに興味はないのだ。君の自分探しの旅や、かわいい彼女や、バアさんの臨終や、まして君の結婚式なんて誰も見たくないのだ。そういう人たちをムリヤリにでも自分の写真世界へと引きずり込むには、なにが必要なのか。それをもう少し考えてほしい。たとえば、それは卓越した技術であったり、飛びぬけた対象物であったり、思いの純度の深さであったりする。プロであるとは、そういうことだ。今日はたくさんの写真を見たが、正直言ってなんだか椅子に縛り付けられたまま、耳元でミツル(326)の詩を延々聞かされているような、イヤな気分になる時間が多かった。とにかく突き詰めていくこと。これ以上ないという地点まで。説得力はそこからしか生まれない。

http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/gallery/2001/report/index.html
都築響一さんのコメントが興味深いです。
あと、南條史生さんのコメントに注目。
つまり逆に〈2001年以前はそうではなかった〉ということがわかります。