Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ロバート・スミッソン:「サイト/ノン‐サイト」- ARTOPE

 1969年2月、ニューヨーク州イサカに位置するコーネル大学にて、「アース・アート」展と題された展覧会が開かれた。ロバート・スミッソンはこの展覧会に際してある計画を実行する。「カユーガ岩塩坑プロジェクト」。それは二つの作業からなっていた。まずコーネル大学の北部、カユーガ湖畔に望むカユーガ岩塩会社の坑道において、その場の鉱物と鏡による構成作品を制作する。続いてコーネル大学のアンドリュー・ディクソン・ホワイト美術館では、坑道から採取してきた岩塩を使って当地での制作が「再現」された【註2】。このプロジェクトによって、スミッソンがこれまで行ってきた制作活動の理論的方途はより深化されることとなったのである。それはスミッソンが語る「サイト(site)」と「ノン‐サイト(non-site)」を繋ぐ、鏡による弁証法である。

http://artope.seesaa.net/article/247712693.html


※過去のロバート・スミッソン関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%A5%ED%A5%D0%A1%BC%A5%C8%A1%A6%A5%B9%A5%DF%A5%C3%A5%BD%A5%F3

ビフォア・セオリー ―現代思想の<争点> 「序」 田辺 秋守(早稲田大学) - 慶應義塾大学出版会|人文書

 ヨーロッパ語には、「現代思想」に文字通り対応する語は見当たらない。試みに「現代思想」に英/仏/独語を当ててみると、その人工性が如実に感じられる。contemporary thoughts, penseé contemporaine, zeitgenösisches Denken、こうしたタイトルの書物がまったく存在しないわけではないだろうが、ジャンルにまで特定されているかというと、疑問である。欧米の大学には「現代思想」なる科目は見当たらないし、欧米の大学街の書店に「現代思想」という棚があるわけでもない。つまり「現代思想」という表現は和製なのである。それでは、「現代思想」というジャンルは特殊日本的なものなのか?そんなはずはない。本書で取り上げるのはすべてヨーロッパと北米の著作家たちである。ヨーロッパ語圏において日本語でいう「現代思想」や「現代思想家」にあたる指示対象は確実に特定できるし、毎日その著作を眼にすることができる。ただ、それらを名指す名辞が日本語とヨーロッパ語では一致しないのかもしれない。例えば、英語圏ではフレドリック・ジェイムソンの次のような文言に出会う。少々長いが引用してみよう。

http://www.keio-up.co.jp/kup/webonly/humanity/gensouron/1.html