Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

Weston Naef, Getty's top photography curator, to retire - latimes.com

http://latimesblogs.latimes.com/culturemonster/2008/12/gettys-top-phot.html


◇ Weston Naef Leaves the Getty - TIME.com
http://entertainment.time.com/2008/12/08/weston-naef-leaves-the-getty/


◇ Weston J. Naef - Information from Answers.com
http://www.answers.com/topic/weston-j-naef


◇ Weston Naef - Beinecke Rare Book & Manuscript Library
http://beinecke.library.yale.edu/programs-events/visiting-fellow/weston-naef

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http://d.hatena.ne.jp/n-291/20130824#p11



◇ コンストラクティッド・フォトグラフィ(構成的写真) - 現代美術用語辞典ver.2.0

コンストラクティッド・フォトグラフィ(構成的写真)
Directorial Photography
「ストレート・フォトグラフィ」とは反対の作り込まれた写真。「ステージド・フォトグラフィ(演じられた写真)」とも呼ばれ、1980年代の写真表現の大きな流れになった。ポール・ゲティ美術館ディレクターのウェストン・ネフによれば、「撮る」写真から「作る」写真への移行である。あらかじめ想定した画面を作るために撮影者は演出家となり、撮影の前段階においてほぼすべての準備が終えられていることが多い。また、美術大学出身の作家が多いことも特徴的である。コンストラクティッド・フォトグラフィの作家が数多く輩出されたのは写真の客観的な記録性への信頼が崩壊していった時期にあたり、彼らは現実と虚構のはざまにおける遊戯性をベースとしながら、現実には存在しないイメージを人工的に作り上げた。例えばシンディ・シャーマンのように演じられた自己像を主題にするものや、ベルナール・フォコンのように人間のモデルやマネキンをジオラマのように配置して人工的に場面を演出するもの、サンディ・スコグランドのように精巧なセットや俳優を配するものなど、作家たちは虚構を現実化するために大掛かりな舞台装置を作り、自らのイメージバンクからさまざまな演出を引き出している。
著者: 小原真史

http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%EF%BC%88%E6%A7%8B%E6%88%90%E7%9A%84%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%89


◇ 写真のポリフォニー:texte I:POLYPHONY - texture : ueno osamu

[写真のポリフォニー:texte I:POLYPHONY/BT・美術手帖1990年4月号:53-57]
写真のポリフォニー、それは、写真の歴史化・伝統化からの脱却のためのダイヤグラム。写真そのものを差異化させる運動。複数の体系(言語・写真)の対話の不可能性からのみ生じるポリフォニックな対話。つまり、語ることの不可能性の内から語ることを可能にしてしまうような、そんなはざまの漂流に立ち会うこと。

http://park7.wakwak.com/~ueno/archive/90/bt9004polyphony1.html

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◇ RE-RECORDING(1) - 写真専攻領域

バーバラ・キャステン 「構築される『ニューウェーブ』の欲望」 柳本尚規
日本ではあまり関心を持たれなかったが、ニューウェーブの流れはアメリカにあって60年代以来、「コンテンポラリー・フォトグラフィー」の「撮る」写真と「作る」写真の両輪の片方として連綿と続いてき、コンストラクテッド・フォトグラフイーもその流れの中のこんにち目下最先端にある傾向の一つだ。

バーバラ・キャステンは、「ニューウェーブ」といわれる傾向のなかでも、さらに「コンストラクテッド・フォトグラフィー」の代表的写真家として知られている。

「コンストラクテッド・フォトグラフィー」では他にも、S・スコグラントやC・シャーマンといった、いずれも女流の写真家が知られているが、現実を写すことから離れて虚構の世界を撮るという共通点はあるものの、キャステンの作品はこの二人にくらぺても、きわだって抽象的である。

キャステンはまたアティチュードな写真家だという言われ方もする。写真家が写真の歴史に十分に通じた最初の世代になったのが60年代で、この歴史に通じた最初の世代が、「アティチュード」と呼ばれる新しい表現様式をもたらした。「アティチュード」というのは、俗な意味として、頭の切れるとか博学であるとか、しかしそんなことをひけらかさないという感じを込めた言葉なのだそうだが、それはまた過去の表現様式や作品を観察する能力をもさす。キャステンのロシア構成主義バウハウスの思潮へ寄せた作品の質が、そんなふうに呼ばれることになっているのだ。

ところで、キャステンは1936年にシカゴに生まれた。そして1959年にアリゾナ大学を卒業、テキスタイルの仕事についたが、1970年にオークランドにあるカリフォルニア工芸美術大学に入り、美術一般さらにバウハウスの方法を学んだ。71年に最初の個展を開いたが、このときの作品がモホリ=ナギによって生み出された「フォトグラム」(印画紙の上に直接物を置いたりして、物の影を写し取る方法)だった。

モホリ=ナギは1919年、ドイツで開校した建築・美術・写真・エ芸など造形全般にわたった学校「バウハウス」のイデオローグの一人だった。後年ナギはアメリカに渡って、シカゴにニューバウハウスを開。

キャステンはとりわけこのナギの、三次元のオブジェの影を映し出すフォトグラムにも象徴される、光に対するコンセプトに共感した。そしてまた、「空間モデュレーター」と命名された構成作品に共感した。そしてフォトグラム作品を手掛けるうちに、「しかしそれはいつも抽象的になり、幾何学的になり、そして絵画的になることが不満だった。もっと立体的で現実の形を欲しくなって」ゆくのである。

幾何学的構成作品の記録のために使い始めたのが4×5インチサイズのポラロイドフィルムだった。しかし間もなく、写真はキャステンの作品作りの発想源としてなくてはならないものとなった。キャステンが大型の20×24インチサイズのポラロイドカメラや8×10のビューカメラを使うようになるのは1979年のことだった。そしてこの大型カメラによる作品が、脚光を浴びるのが、1982年のニューヨークで開いた個展である。

キャステンはブラスティッタや石膏などさまざまな素材を使って形あるものを作るが、中でも特に重要なのが鏡である。鏡は冷たい空間を作り出すが、一方で迷宮へとイメージを誘う入口であって、キャステンの作品にそこはかとない甘さをたたえることとなるキー・ワードである。

さまぎまなフィルターを通過した照明光は石膏や鏡の無彩色の立体を彩り、モホリ=ナギの空間モデュレーターの世界を再現する。

興味深いのは時代を隔てて再現されるコンセプトの内容である。ナギのには、機械時代への賛歌と合理性を求める精神がみなぎり、しかし一方で時代がもたらすペシミステイックな心情が反映している。しかしキャステンのにはそれがない。遊びの感覚が濃密である。

1986年に東京で開かれた個展で、私はいっそうこのことを印象づけられたことだ。そして、こうした過去の表現様式や作品を、機知やパロディの感覚で観察し、過去の表現への郷愁の身振りとともに表すこと、これこそがアティチュードな感覚の典型であるといえるのだろうと思ったものだ。

しかしそれにしてもキャステンのこだわりはますますエスカレートしているように見える。例えば、ホイットニー・ミュージアムを舞台にした制作において、彼女は8人のスタッフと10時間余の時間をかけて一つのイメージを撮りおさめた。巨大な三角の鏡が天井の光を映し出し、フィルターをまとった光がそれにまつわりつき、その関係を決定するまでにおよそ5時間。この情熱には、過去の表現を自己流に再演することが一義的となった、ということはつまり表現様式そのものを写真の内容の要素と見なす「ニューウェーブ」の確信がうかがえる。

キャステンの欲望はさらにひろがる。彼女はいま、より大きなスケールのオプティカル・ファンタジーの演出がしたい、という。

(「すばる」1989年9月号所収)

http://photograph.zokei.ac.jp/speaks/91.html
内容については改めて要検証。


◇ RE-RECORDING(4) - 写真専攻領域

「サンディ・スコグランド−『複製』解釈を超えて実物大との『関係』へ」 柳本尚規
sandy

「私の作品は、感情に訴えかけてくる目に見えぬ存在を具現化したものだ。ふだんの習慣化した平凡な日常生活は、とりわけ私にとっては魅惑的な素材である。イラストレーターや映画監督のように、じっさいに目に見えることとそれが触発するイメージを同じ水準で操作するのはじつに楽しい。私はひとつ一つの日常生活のシーンを、触発されたイメージ(感情に訴えかけてくる存在)を形にした手作りのモノを加えて再現することによって、もうひとつの解釈を表そうと思っている」、とこれはスコグランドの言葉。

先だっては渋谷のパルコギャラリーでスコグランドの展覧会があった。ここ10年来の代表作とともに、インスタレーションといわれる原寸の「装置」も一つセットされ、この写真家の全体がまとめて見られるといういい機会だった。

その展覧会で、私はちょっと変わった感覚を実感した。展示された作品の大きさのせいだとも思うけれども、それは「実物大の写真」を見ているという感覚だ。これは、写真のことを世界を縮小して見る技術だと思う習慣的感覚にとって、ちょっとした体験である。

この縮小の技術というのは、ベンヤミンがいった複製技術の形成とともにつくられてきた現代人の芸術感覚、つまり人が複製技術作品を使いこなすのに必要な作品支配力をもたせてくれる技術という意味である。

だから「実物大の写真」を見ている感覚というのは、複製技術形成以前の作品と鑑賞者の関係に引き戻されたような感覚をもってということになる。これは要するに鑑賞者にしてみれば、「解釈」より「関係」において作品との間を成り立たせるということになる。「解釈」は自由にさせてくれないが、「関係」は自由なのだ。縮小という、ある一つの視点の固定から、自由に見られる関係への転換。

スコグランドはそうした関係をつくるために、「縮小の」とは見られるおそれのない作品の大きさを設定しているのではないか・・・・。

「実物大の写真」ではスコグランドの意思の形跡を細かくたどることができる。だから本人同様に楽しい。なにしろ全体が緻密なのだ。(ということからすれば、スコグランドの写真は小さな画面では「解釈」の方に引き込まれやすくなるかもしれない)。そして同時に、スコグランドのイメージが、いかにも日常の小さな感覚から派生しているのだと教えられて引き込まれてゆくのである。

サンディ・スコグランドは、1980年代に台頭したアメリカのニュー・ウエーブを代表する写真家である。

彼女が知られるようになったのは、1981年の個展での「金魚の復讐」と「放射性の猫」という二つの作品によってだ。その徹底した虚構と遊戯性は、あとに多くの後継者や亜流を生み出したから、シンディ・シャーマンバーバラ・カステンとともに、80年代ニュー・ウエーブの先駆者といわれるようになった。

彼女は1946年、ボストンの生まれ。他のニュー・ウエーブの作家たちと同様、大学では美術を学んだ。時代からしても、必要最小限の表現によった、ミニマル・アートや、言語的な内容に作品を従わせるコンセプチュアル・アートの影響を色濃く受けた世代だ。じっさい彼女は学生時代にミニマル・アートの彫刻も制作した。しかし次に彼女はドキュメンタリー・フィルムの制作に手を染めるのである。

そういう前歴をもつスコグランドの作品はミニマル・アートの彫刻の形式と、ドキュメンタリー・フィルムの形式をミックスして生み出されたものだといわれる。その意味では、自己の体験をつみ重ねるじつに着実な作家ではある。

ところで「メイビー・ベイビース」は、先の二つの作品のあとの個展(1983年)でただ一点だけ発表された作品だ。

そこには、撮影のための装置、つまり原寸大のインスタレーションも表わされた。赤ん坊だけは「原寸」の約二倍の大きさで配置されていたそうだ。

しかしその作品は、前二作とは少し違って辛い批評も浴びることになったという。なぜかというと、前作の徹底した遊戯性から、寓意が強くなりすぎたせいである。それはいかにも重い寓意だと、前二作と異なった作風にブーイングがあったというものだろう。しかしその後ほまた元に戻った・・・・。

スコグランドには、こうした「インスタレーション・シリーズ」と、もうひとつ「トゥルー・フィクション」のシリーズがある。これはシリアスなモノクロ写真を組み合わせて着色した構成写真で、ダダイストたちのフォトモンタージュ作品を思わせるシリーズだ。

それはあたかも、「実物大写真」シリーズによって、自由な感情の気持ちの往来を図り、もう一つのシリーズによっては作家個人のコンセプトを明確に理解させようとしているかのように、つまり、アメとムチの両具をもって自己表現を広めようとしているかのようだけれども、だとしても、その広めよう、すなわち伝えようという率直な意思が、スコグランドの写真から「難解さ」を遠ざけている。私たちはいつも作品にあらわれる作家の意思の流れを通して、作品の意味を理解しようとするものだからである。

(「すばる」1990年11月号所収)

http://photograph.zokei.ac.jp/speaks/2305.html
内容については改めて要検証。

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◇ Directorial photography | Reinier van Houten – Photography
http://www.reiniervanhouten.com/?p=1391


◇ Photography: A Cultural History - Mary Warner Marien - Google ブックス
http://books.google.co.jp/books?id=NsolmLbz8igC&pg=SA7-PA120&lpg=SA7-PA120&dq=%22Directorial+Photography%22&source=bl&ots=eYPrDMGVuI&sig=A45jCulaK0iI9DDyqakfAbu9NTA&hl=ja&sa=X&ei=RzX5UtyuBsiXkwWa-oGgDA&ved=0CEYQ6AEwBg#v=onepage&q=%22Directorial%20Photography%22&f=false

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◇ 写真における「ニューカラー」「コンストラクテッド・フォト」という言葉 - Togetterまとめ
http://togetter.com/li/240039


http://togetter.com/li/403942

Cindy Sherman - Nobody's Here But Me (1994) - YouTube

New York based artist, Cindy Sherman, is famous for her photographs of women in which she is not only the photographer, but also the subject. She has contributed her own footage to the programme by recording her studio and herself at work with her Hi-8 video camera. It reveals a range of unexpected sources from visceral horror to medical catalogues and exploitation movies, and explores her real interests and enthusiasms. She shows an intuitive and often humorous approach to her work, and reflects on the themes of her work since the late 1970s. She talks about her pivotal series known as the `Sex Pictures' in which she addresses the theme of sexuality in the light of AIDS and the arts censorship debate in the United States.

Broadcasted on BBC Arena, 24th April 1994.

http://youtu.be/UXKNuWtXZ_U


◇ Opening-Day Panel Discussion: Cindy Sherman from Four Sides - YouTube

Artists from a wide array of disciplines continue to find layers of meaning and complexity in the work of Cindy Sherman. A panel comprised of artists with backgrounds in fiction writing, film, performance, and contemporary art, moderated by Walker chief curator Darsie Alexander, explores the multifaceted impact of Sherman's 30-year career.

Join the discussion with writer/curator Malik Gaines, a performer in My Barbarian; filmmaker/writer/producer/activist Tom Kalin, a prominent figure in the New Queer Cinema; Guggenheim Fellow and author Lynne Tillman, author of five novels, short stories, nonfiction, and cultural criticism; and Cindy Sherman exhibition curator Eva Respini, from The Museum of Modern Art, New York.

http://youtu.be/kQ-Ye4VQL5U


◇ Cindy Sherman Doll Clothes (1975) - YouTube

http://ubu.com/film/sherman_doll.html
Super-8 black and white film transferred to video, silent
2min, 22sec
installation

One of the First Cindy Sherman's super-8 film,"Doll Clothes" has not been viewed since 1975, the year it was made. It comically crosses Duchamp's Nude Descending a Staircase with animated paper dolls in a sly, funny and clever precursor to the concerns that became signature elements in Sherman's remarkable body of photographic work.

Purchased with assistance from the American Patrons of Tate, using funds raised by a group of private collectors including Kathy and Richard S Fuld Jr, Monica Kalpakian, and Steve and Lisa Tananbaum 2008

"Sherman's 1975 animated short Doll Clothes, is among the pieces that bring Sherman's early exploration of gender and identity into focus." -- Paul Ha and Catherine Morris

http://youtu.be/HUJlYsvdV7I


※過去のCindy Sherman関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=Cindy%20Sherman

X - Los Angeles [Full Album] - YouTube

http://youtu.be/odMmWZlcx78


◇ X - Under the big black sun (full album) - YouTube
http://youtu.be/RKtIDB-w0Kw


◇ X - More Fun In The New World [Full Album] - YouTube
http://youtu.be/dUsA76rGzYk


Dead Kennedys-Fresh Fruit For Rotting Vegetables (Full Album)1980 - YouTube
http://youtu.be/otd3OX-vIAA


Dead Kennedys - Plastic Surgery Disasters / In God We Trust, Inc. (Full Album) - YouTube
http://youtu.be/Z0nFtchU6Iw


Dead Kennedys - Frankenchrist (teljes/full album) - YouTube
http://youtu.be/P2jnVnj5-zg


◇ The Avengers (1978) FULL ALBUM - YouTube
http://youtu.be/O8IYGQgRoU0

坂口安吾「日本文化私観」 - 青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42625_21289.html


◇ 日本文化私観 - 図書カード

分類:NDC 914
初出:「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日
文字遣い種別:新字新仮名
備考:この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card42625.html

戸坂潤 - Wikipedia

戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。

東京市生まれ。青南小学校、東京開成中学校、第一高等学校(現東京大学教養学部)理科を経て、1924年京都帝国大学文学部哲学科卒業、同大学院進学。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)講師、同志社女子専門学校(現同志社女子大学)講師、神戸商科大学講師、大日本帝国陸軍少尉等を経て、1929年大谷大学教授就任も、翌年検挙。1931年から1934年まで法政大学講師。後に同大教授となる。
もともとは物理学専攻であったが、後に西田幾多郎の下で哲学を学ぶ。西田に師事する一方で、軍部のイデオロギーに観念論的に影響を与えたとして西田や田辺元らを批判した。
また、彼は1932年に設立された唯物論研究会の創始者の一人であり、研究組織部長から機関誌『唯物論研究』の二代目の編集部長、事務長等を務めたが、治安維持法によって特別高等警察に捕らえられ、敗戦の直前(8月9日)に長野刑務所で獄死した。死因は疥癬と伝えられている。東京開成中学校で同級であった町村金五町村信孝の父)は、エリ−トコ−スを歩み、1945年4-8月には警視総監であった。
戸坂は始め新カント主義の立場にあったが、空間論の研究を進めるなかで唯物論の立場に移り、日本の代表的な唯物論哲学者となった。唯物論研究会の事実上のリーダーといってよい。観念論哲学に対する批判を旺盛に行ったが、その死は観念論哲学者(田辺元など)からも惜しまれた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E5%9D%82%E6%BD%A4

中井正一 - Wikipedia

中井 正一(なかい まさかず、1900年2月14日 - 1952年5月18日)は、日本の美学者、評論家、社会運動家広島県出身。

中井は大学院進学後、恩師深田康算の依頼によって京都哲学会の学会誌『哲学研究』の編集にかかわり、この頃よりカントからマルクスの研究へと関心を深めていった。
深田の没後、『深田康算全集』(岩波書店)の編集の中心となる(名目上の責任者は植田寿蔵)。この時のメンバーを中心として1930年に『美・批評』を創刊。同誌は美術史研究を中心としながら、現象学記号論、新カント派やフランクフルト学派などの思潮、新即物主義などの芸術実践を含めた幅広い視野を持っていた。中井自身も貴志康一らと実験的な色彩映画の製作を行うなど、著述にとどまらない活動を展開した。
1933年、滝川事件に際して京大院生グループの中心人物として活動。以後、社会情勢のファシズム化に抗して左翼文化活動への関与を深める。1935年、滝川事件後、一時停滞していた『美・批評』は久野収、新村猛、和田洋一真下信一武谷三男らを迎えて『世界文化』と改題、再創刊され国際的な反ファシズム文化運動の紹介などを端緒に左翼文化誌としての性格を先鋭化させていく。
1937年、能勢克男、斎藤雷太郎ら(隔)週刊新聞『土曜日』を創刊。同誌は左翼運動の大衆啓蒙を目的としており、記述平明なタブロイド紙として多くの読者を獲得した。同年11月、治安維持法違反の容疑で新村、真下らと共に検挙。以後、終戦まで活動の場を実質的に失う。
1945年、郷里にほど近い疎開先、尾道市の市立図書館長に就任。民衆文化の地方からの再生を掲げて社会教育活動を推進した。
1948年、参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎の推薦で国立国会図書館副館長に就任。日本図書館協会理事長にも選出され、図書館を通じた文化復興に尽力した。羽仁の腹案では中井を館長として招聘する予定であったが、中井の左翼活動の経歴が問題視され、保守層からの強い反対が起こった。そのため、参議院議長松平恒雄らは金森徳次郎を館長に据え中井を副館長とする妥協案を示した。また、京都大学図書館元館長の新村出の推薦状を中井は提出し、さらにGHQ最高幹部らに羽仁は金森と中井を紹介することでようやく松平案は実を結んだという。[1]。就任後もこの問題が後をひき、幾多の妨害に悩まされた。また設立早々の国会図書館には課題が山積し、それにあたる激務から体調を崩し病状を悪化させた。
1951年に『美学入門』、1952年に『日本の美』を刊行するなど活動意欲は最後まで衰えなかったが、1952年5月18日、胃癌により逝去した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%95%E6%AD%A3%E4%B8%80

辻潤 - Wikipedia

辻 潤(つじ じゅん、1884年10月4日 - 1944年11月24日?)は、日本の翻訳家、思想家である。日本におけるダダイズムの中心的人物の一人とされる。画家、詩人の辻まことは長男である。

1884年明治17年)、東京市浅草区向柳原町(現在の台東区浅草橋)に市の下級官吏の長男として生まれる。はじめ裕福だった家は彼が東京府開成中学に入学した12歳の頃には没落を始め、同中学を退学、給仕などをこなしつつ国民英学会の夜学に通い、1904年に東京市の小学校代用教員となる。この頃から幸徳秋水の「平民新聞」を購読し、やがて多くのアナキストとの親交をもつに至る。
1909年には上野高等女学校(現在の上野学園中学校・高等学校)の英語教師となるかたわらロンブローゾの著作を『天才論』と題して訳し始めるなどしたが、1912年、生徒であった伊藤野枝との恋愛問題で同校を退職させられ、以後定職に就くことはなかった。野枝との間に1913年生まれた長男が辻一(辻まこと)である。翌1914年には『天才論』は出版され20数版を重ね、妻野枝は雑誌「青鞜」の主力として活躍する。また同じ頃、アナキスト大杉栄が辻夫妻と出会っている。
青鞜」は1916年には廃刊、野枝は大杉を追って出奔する。辻潤ははじめ浅草で「英語、尺八、ヴァイオリンの教授」の看板を掲げ、後には放浪生活同然の境遇となる。この間、1922年頃ダダイズムの運動を知り、自らをダダイストと名乗るようになった。また1923年には関東大震災大杉栄伊藤野枝らは憲兵大尉甘粕正彦らによって虐殺されるが、これに対して潤のコメントはない。
1928年、読売新聞社の第1回文芸特派員という名目でパリに約1年滞在するも、殆どの時間を中里介山著『大菩薩峠』を読みふけって過ごす。帰国後もマックス・スティルネル著『唯一者とその所有』など著訳書の出版、詩文の雑誌掲載は相次いだものの、1932年頃から、2階から「俺は天狗だぞ」と叫びながら飛び降りたりパーティー会場で「クワッ、クワッ」と言いながらテーブルの上を駆け回るなど精神異常の兆候が現れ、やがて精神病院への入院・虚無僧姿での放浪・警察による保護の繰り返しの日々となる。
1933年、「変な頭」という文章に、 「自分も幾度か「歎異抄」という書をくりかえして読んで、親鸞の説に傾倒しているのだが、いかんせん未だに親鸞のような絶大な信仰を獲得することが出来ないから、自分ではなさけないことだと考えているばかりで、どうかしてそのような「安心立命」を得たいものだとひそかに念じてはいるのである。」などと書き、仏教に救いを求めていることがうかがわれる。
1944年ようやく放浪を終え東京都淀橋区上落合のアパートの一室に落着くが、11月24日室内で死亡しているのを発見された。死因は餓死であるとみられる。
墓は染井・西福寺。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E6%BD%A4

ローワン ジェイコブセン『ハチはなぜ大量死したのか』(訳:中里京子 解説:福岡伸一 文春文庫)

http://www.amazon.co.jp/dp/4167651750
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163710303


◇ [書評]ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)- 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/01/post-4f14.html


◇ 実りなき秋 - 書評 - ハチはなぜ大量死したのか - 404 Blog Not Found
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51172029.html


◇ 蜂群崩壊症候群 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E7%BE%A4%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

学術書や論文に出てくる略号をまとめてみた - 読書猿Classic: between / beyond readers

http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-359.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その1 - 授業関係のお知らせ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/post_135.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その2 - 授業関係のお知らせ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/_2.html


◇ 授業関係のお知らせ: 文献目録に英語の文献を記載するときの書き方 その3 - 授業関係のお知らせ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/2009/07/_3.html