Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

愛と資本主義をめぐる冒険

岡崎京子に、「pink」という漫画がある。
東京のマンションでワニを飼うために売春で副収入を得ている「ユミちゃん」というOLの話だ。
単行本の帯には「愛と資本主義をめぐる冒険」とキャッチコピーが付されていた。
「pink」の「あとがき」で岡崎京子は「J・L・G」(ジャン・リュック・ゴダール)の言葉を引きつつ、
こう書いている。
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「すべての仕事は売春である」とJ・L・G も言っていますが、私もそう思います。然り。
それ、をそうと思ってる人、知らずにしている人、知らんぷりしている人、その他、などな
どがいますが繰り返します。
「すべての仕事は売春である」と。
そしてすべての仕事は愛でもあります。愛。愛ね。
・愛・は通常語られているほどぬくぬくと生あたたかいものではありません。多分。
それは手ごわく恐ろしい残酷な怪物のようなようなものです。そして・資本主義・も。
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ここで言われている「仕事」とは、資本主義下での「仕事」のことだから、正確には「賃労働」のことだろう。
「すべての賃労働は売春である」と。
「pink」のユミちゃんはふたつの職業を持っている。
ひとつは一般企業の経理課で働くOLという職業であり、もうひとつはその職業の終業後にしている「ホテトル嬢」
=売春婦という職業だ。
収入としては比べ物にならない両者は、しかし共に「売春」という仕事だ。
なぜなら経理課で働いている時に彼女が売っているものも、「ホテトル嬢」として彼女が売っているものも、
共に「肉体」という商品だからだ。
「からだを売る」のが売春なら、明確に肉体を売っている賃労働の従事者はすべて売春を行っていることになる。
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資本主義下で「賃労働」に携わる限り、人が「売る」物は、肉体が行う労働だけだ。
差異があるとすれば、その肉体の労働の単価だけだろう。
売春行為に携わる時、その肉体は高い単価で売れ、経理課OLとして売る時には安い単価で売られる。
それだけの話で「すべての賃労働は売春である」という側面に変わりはない。
たとえ人がカメラの量販店でカメラを売っているとしても、その時人が売っているものは、目の前に並んでいる
「デジカメ」ではなく「肉体」であり、その人のお客は目の前にいる「お客さま」ではなく、その店の「しゃちょーさん」だ。
「デジカメ」を売っているのは「しゃちょーさん」であり、売り子はその商行為を手伝うべく「肉体」を「しゃちょーさん」
に売っているだけだからだ。
資本主義下の賃労働とはそのようなものだ。
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さて、この賃労働という売春行為、誰もが従事しているかといえば、そんなことはない。
しないで済ます方策は確かにある。
「しゃちょーさん」になればいいのだ。
「しゃちょーさん」が売っているのは、彼の老いて汚らしい肉体ではなく、彼の「商品」だ。
資本を有し自分の商品を持つことができれば、その時のみ人は売春から解放され得る(資本主義から解放されないにせよ)。
いきなり「産業資本」なり「金融資本」なりになることはおそらく不可能だろう。
しかし、「商人資本」という資本主義の最初期段階の資本になることはおそらく可能なのだ。
そして共同出資という形態をとれば、ごく小口の資本金しか用意できない者にも「しゃちょーさん」という「商人資本」
になり得る機会がある。
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僕たちは「写真家」である。
「写真家」は概ね「買う人」として資本主義に関わっている。
「写真家」とは、「カメラを買う人」であり、「印画紙を買う人」であり、「額を買う人」であり、
「レンタルスペースを時間分だけ買う人」であり、あこぎな商人に関わると「イヴェント参加資格を買う人」になったりもする。
しかし考えるまでもなく、資本主義下でいつでも「買う人」であったならば、待ち構えているのは「破産」だ。
「売る」機会を模索する必要は絶対にある。
そこで今回は、今の日本で商品として認知されているもの=Tシャツを「売る」ことを通じて、とるもとりあえずも
「売る」という立場に立つことを模索していきたいと考えている。
然もその時、「肉体を売る」という賃労働=売春行為ではない方策で「売る」立場につくことを模索しようと考えている。
あこぎなイヴェント屋だけが「商人資本」ではない。
「写真家」にも資本たりうる資格は、十分にある。
無論、現在の資本主義は200年以上前の牧歌的な「重商主義」の段階にはなく、すでに「産業資本主義段階」でも
帝国主義段階」でもないような巨大にしてグローバルな段階にあり、その中に小額共同出資による商人資本として
参画することは、いかにも無謀にしてハイリスクな方策だ。
しかしそんなことは承知の上なのだ。
承知の上で資本主義に参画するのだ。
なぜか?
早晩来るであろう「破産」を回避するために。
あこぎな小商人による収奪を回避するために。
単価の低い労働という商品以外の商品を持つために。
そして、逃れ得ない「資本主義」という残酷な怪物と正面から対峙するために。
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岡崎京子の「pink」の「あとがき」のつづきを重複を含めて引用する。
彼女はこう書いている。
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そしてすべての仕事は愛でもあります。愛。愛ね。
・愛・は通常語られているほどぬくぬくと生あたたかいものではありません。多分。
それは手ごわく恐ろしい残酷な怪物のようなようなものです。そして・資本主義・も。
でもそんなものを泳げない子供がプールに脅えるように脅えるのはカッコ悪いな。
何も恐れずざぶんとダイビングすれば、アラ不思議、ちゃんと泳げるじゃない?『バタ足金
魚』のカオル君みたくメチャメチャなフォームでも。
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・資本主義・はおそれず飛び込めば泳ぎ切れる筈。
そして、その彼方には・愛・と言い切れるような「仕事」がある、多分。
そう信じたいです。

http://www.geocities.jp/ohlanouchi/love_capitalism/l_and_c_top.html
おそらく、このテクストは山田大輔さん(http://www1.odn.ne.jp/~caa31720/)によるものだったと思います。


◇ team.ok "愛と資本主義をめぐる冒険 vol3"@Design Festa Gallery (1-B,1-C)
3月25日(日)〜3月31日(土) 11:00?20:00
http://www.designfesta.com/jp/dfg/schedule/03/
http://www.geocities.jp/ohlanouchi/love_capitalism/l_and_c_dm.html


岡崎京子『Pink』
http://www.amazon.co.jp/dp/4838701071