Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

アヴィニョンの娘たち - short hope

http://d.hatena.ne.jp/kebabtaro/20070419/p1
『絵画の準備を!』(http://www.amazon.co.jp/dp/425500353X)でも、
ほんの少しふれられていた「アヴィニョンの娘たち」の件。
個人的に気になったのは、kebabtaroさんの脚注の記述。

さらに卑近な例を挙げると、この絵にはカスハガみうらじゅん)を眺めるときの妙な居心地の悪さにつうじるものがあるように思う。ギンズブルグはアンヌ・バルダッサルを参照しながら、ピカソが蒐集していた植民地主義的写真について触れているが、そこに掲げられた写真を見るときにも感じるこの居心地の悪さは何なのだろうかという疑問が拭えずにいる。ツーリズム的に完成された写真であるにもかかわらずみうらじゅんの蒐集したカスハガに共通する感覚と、しかしやはりどこか決定的に異なるという直感。ギンズブルグも述べているように、ピカソの所有していた植民地主義的写真に登場する女性は、ステレオタイプを演じつつもそれを拒絶している。コロニアルな他者の眼差しへと自らを開きながらも同時にそれを閉ざす二重の身ぶり。想像を逞しくしてみるなら、この二重の身ぶりとは体の好いイメージを自覚的に演じることで、逆説的に、イメージは徹底して表層であり、イメージによっては明け渡されない残余が存在するということを見る側に意識させる、なけなしの方途だったのではないか。一方、おそらくカスハガにはそこまで戦略的な擬態性はないであろうものの、そこに横溢する「無意識過剰」は、見る者が我知らずその対象へ抱いているシニカルな優越を意識させると同時に、それを罷免しようとする遠心的な作用を触発する……ような気がする。

あと、こんなpdfを発見。
アヴィニョンの娘たち』との新たな出会い
──ジェンダー、人種、キュビスムの起源──
New Encounters with Les Demoiselles d’Avignon: Gender, Race, and the Origins of Cubism
アンナ・C・チェイヴ
Anna C. Chave
橋本顕子訳/解題
http://www.igs.ocha.ac.jp/igs2/igs/IGS_publication/journal/5/journal05115.pdf