Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

『熊楠の頭の中』茂木健一郎(脳科学者)X 池上高志(東京大学大学院総合文化研究科准教授)@ワタリウム美術館

ATAK diary-2007-10

あーあと、28日にワタリウムでやっていた茂木さんと池上さんの対談を少し覗いたんだけどこれは非常につまらなかった。
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端的にくだらなかったのは南方熊楠の展覧会でやっている展覧会の関連トークイベントに金払って来ている客に対して茂木さんが「熊楠の人生とあなた達の人生のどっちが上とか下とか違いなんて無いです」とか言っていたことで、こんなおしゃべりに2800円だが通し券だかを買ってありがたく来ている客と南方熊楠のどっちが上か下かなんて言っていても仕方が無い、というか確実に熊楠の人生のほうが上ですね^^:で、別に上でいいと思うんだけど。
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これは客層に合わせているのか何なのか分からないけど、茂木さんの言説があまりにも神秘主義化していたので驚きました。もちろんクオリア神秘主義に傾斜する危険性というのは当たり前のように語られてきたことなのですが、脳科学のような根拠にならないようなものに根拠を求めて訳の分からない質問をしてくるようなおばさん連中を相手に「あなた達の人生は価値がある」とか「僕のやろうとしているのもまさしくそこで」、みたいな話をしているのはマズイんじゃないでしょうか。自分の人生とミミズ(だっけな?)の人生の違いが無いとかね。
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上下関係もそうなんだけど、あなたとわたしの差異や距離に対する嫌悪/拒否感というか畏怖のようなものはICCで悠治さんと対談したときにも強烈にあったと思うんだけど、アノマリーと変異、半生命などのタームを挙げて言わば逆の意見を言っている池上さんに対して「おれとお前の言ってることはそんなに違わないと思うんだよ」とか言っているので、これは重傷だなと思って帰ってきました。
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違う、というのは重要なんですけどね。なぜ、相手と自分を同化させないと対話ができないのか、というのは不思議です。君も僕も大きな視点で見たら違わない、みたいな素朴な超越性というか超越的視点なんていうものは宗教法人でも設立しない限り有り得ない。というか思考停滞を生むばかりではなく少なくとも作るという立場からは何の役にも立たないわけで、非常に残念でした。

http://www.atak.jp/diary/2007/10/31.html
楽家渋谷慶一郎さんの感想。


◇ 池上高志、茂木健一郎「熊楠の頭の中」ワタリウム美術館(2007年10月28日) - Days in octavarium〜台湾で、世界で考える〜
http://d.hatena.ne.jp/octavarium/20071103/p1