Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

もはや「転び公妨」ですらなかったという話を聞きましたが。。。

YouTube - G8サミット、連行されるトラック運転手
http://jp.youtube.com/watch?v=HkMkGBmlsuU
YouTube - G8サミット、デモ参加者が連行される瞬間
http://jp.youtube.com/watch?v=TFXzz-UJYC4
YouTube - G8サミット、デモ参加者が連行される瞬間(※短縮版)
http://jp.youtube.com/watch?v=KBQfrMVH3hM
しかし、映像だけを見る限りでは、事実がどうであったのかよくわかりません。


◇ 車の窓ガラスを叩き割る警察 - G8MediaNetworkTV
http://tv.g8medianetwork.org/?q=ja/node/301
この映像の前に何があったのか定かではありまませんが、
警官が警棒で窓を割って、運転手を強制連行したことは事実のようです。


◇ 7.5デモ、サウンドカーDJ逮捕 - G8MediaNetworkTV
http://tv.g8medianetwork.org/?q=ja/node/366
不当逮捕? 警官の返答がしどろもどろです。


松本哉氏(素人の乱)、警官とのやり取り - G8MediaNetworkTV
http://tv.g8medianetwork.org/?q=ja/node/358


◇ インタビュー/小田マサノリ(イルコモンズ)氏 - G8MediaNetworkTV
http://tv.g8medianetwork.org/?q=ja/node/133

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◇ 反サミットデモでの逮捕における、現地の参加者情報と、報道の違い - Close to the Wall
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080705/p1


◇ 国営ヤクザと太鼓持ち - 猿゛虎゛日記
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20080705/1215278288

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◇ 転び公妨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E3%81%B3%E5%85%AC%E5%A6%A8


YouTube - 転び公妨 オウム 公安調査庁 森 達也
http://jp.youtube.com/watch?v=pImUSOhmpFo

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◇ 松永国賠 - 国賠ネット
http://www.jca.apc.org/kokubai/matunaga.html
◇ 『冤罪と国家賠償―沖縄ゼネスト松永国賠裁判』
http://www.amazon.co.jp/dp/4846194744
◇ 沖縄ゼネスト警察官殺害事件 - Wikipedia

M自身の無罪は確定したが、警察官を殺害した真犯人があの時のデモ隊の中にいたという事実は変わらない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E3%82%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E5%AE%98%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6


◇ 挑発する写真家 中平卓馬(小原真史) - Internet Photo Magazine Japan

「闇」や「薄明」などの陰影には情緒が入り込む余地があり、それを中平は「ポエジー」と呼ぶ。そして、それは世界を曖昧さで覆い隠し、私物化するものであるゆえに、彼はあらゆる陰影をさけ、事物が事物であることを明確化することだけで成立する図鑑のような写真を撮ることを目指した。そうすることによって中平は真の意味で世界と向かい合おうとしたのである。しかも、そのための手段として彼は自らの作家的なるもの、つまり「私」をも事物を特権化してしまう「権力」とみなし消去しようとするのである。中平が自らを「権力」と呼んだ理由は1969年の東大安田講堂の攻防戦や、1971年の沖縄で起こった松永事件によるものであろう。中平は安田講堂での学生と機動隊の衝突を撮影する報道写真家の視点は「国家権力の視点」(※16)以外の何者でもなかったと批判した。また、沖縄返還闘争によるデモで一人の警官が死亡したときに読売新聞が掲載した写真によって一人の青年(松永優)が不当に逮捕されたのであるが、のちにこの青年は実は警察官を助けようとしていたのだということが判明し、1枚の写真が説明文によってまったく逆の意味をもち得ること、写真が言葉のイラストレーションと化してしまったことに中平は衝撃を受けた。カメラのもつ暴力的な側面、つまり「私」による世界への加害を怖れ、自らの強烈な視線による写真の作品化を拒んだ中平はこの後自らを空っぽにするという方法によりカメラの受動性をつきつめていくことになる。1974年6月号の『美術手帖』で中平は、この一年ほとんど写真を撮ることから遠ざかっていたことを告白し、それは前述の松永事件と無関係ではなかったという。こういう状況の中で中平はユジューヌ・アジェやウォーカー・エヴァンスについての評論を執筆し、篠山紀信との共著である「決闘写真論」などを連載するなどして写真への情熱を再び取り戻そうとしていくのであった。

http://www.ipm.jp/ipmj/kohara/kohara72b.html
*1


>>>You never give a tree a shake. If you are not to take more photos.(木を揺することもできません)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070909#p6


◇ 悲しそうな顔をした猫の図鑑はない - Last Days
http://pantaxworld.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_1915.html

*1:第10回重森弘淹写真評論賞受賞「中平卓馬試論 カメラになった男」 小原真史
  http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060316#p6