Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

高松次郎の写真(の写真の写真集)

http://southpole.nikkansports.com/photo/photo/29545.html
は、第47次南極地域観測隊員・高松次郎さんの写真。
……ではなくて、ハイレッドセンター(高赤中)の一人、
高松次郎さんの「写真の写真」シリーズをまとめた写真集が発売されています。


高松次郎写真集『PHOTOGRAPH(写真の写真)』 (大和プレス/赤々舎)

部屋の一隅で反乱するのはイメージ、日常、あるいは写真。高松次郎がクールに消去する写真というイデオロギー


高松次郎(1936−1998)は、1960年代から70年代にかけて、中西夏之や、赤瀬川原平らとともに我が国の現代美術をリードした美術家であり、見るものに「思考させる」作品や、自らが「思考する」作品により、作品と世界との間に新しい関係を作りだすことに成功し、1960年代以降の日本におけるコンセプチュアル・アートに大きな影響を与えた。本書に収められている『写真の写真』シリーズは、我々の日常的な状況の一部を対象(モチーフ)とした写真を用いることにより、写真におけるメッセージ性という特質を排除し、又、作品の中に一切の隠喩も含ませない状態で、光と影のムラに過ぎない写真の物体としての即物的な存在が、写真の持つ視覚のイリュージョン性によって、作品として自立し、芸術として成立するかという試みがなされている。高松はこの『写真の写真』シリーズを通して、写真に備わる即物性とその特質によって生み出される芸術の可能性を問題提示している。

http://www.akaaka.com/html/newpage.html?code=12

ハイレッドセンター等の活動により1960-70年代日本の現代美術、とりわけコンセプチュアルアートと呼ばれる分野をリードし、大きな影響を与えた高松次郎。72年に制作された「写真の写真」シリーズでは、日常的な状況の一部を対象とした写真それ自体をモチーフとして用いることで、写真におけるメッセージ性を排除し、隠喩も含ませない状態の即物性な存在としての写真と、その芸術の可能性を問題提示している。

http://www.nadiff.com/japanese_books/index.html
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4903545318.html
http://www.bk1.jp/product/03046100
巻末に清水穣さんのテキストあり。


◇ Photograph : 書評 : 本よみうり堂 - YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 写真の写真。そう呼ぶしかない作品を1973年、前衛美術の旗手、高松次郎サンパウロビエンナーレに出品した。多くの人が当時、写されたものと現実の関係を疑い、写真とは何かを考え始めていた。高松もその一人だったのだ。

 このシリーズを91年、自ら構成し直した決定版の形で収録する。何気ないスナップが手にされ、床に置かれている。膜面には光が反射し、イメージは見えにくくなっている。ここでの写真はモノとして撮影されていると言えるが、さて、いま見ているのも、やはり一つの写真には違いない。

 イメージをモノとして定着する写真――というイメージをまた写真というモノに定着する。入れ子状の仕掛けを通じ、高松はイメージとモノが複合した写真の構造に目を向けさせる。没後10年、1枚の写真を前に思索を重ねた美術家の姿をよみがえらせる一冊。(発行・大和プレス、発売・赤々舎、2800円)(前)

(2008年9月29日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20080929bk09.htm