Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ジム・オルークのトップテン@アートフォーラム

jim o’rourke - artforum.com / in print
http://www.artforum.com/inprint/issue=200901&id=21715
http://www.artforum.com/


1. WILLIAM FRIEDKIN, BUG (2006)
2. PETER LIECHTI, KICK THAT HABIT: A SOUND MOVIE (1989)
3. WERNER HERZOG, ENCOUNTERS AT THE END OF THE WORLD (2008)
4. MERZBOW, ANICCA (COLD SPRING, 2008)
5. “ROBERT DOWNEY: A PRINCE,” RETROSPECTIVE AT ANTHOLOGY FILM ARCHIVES, NEW YORK
6. KŌJI WAKAMATSU RETROSPECTIVE, CINEMAVERA, TOKYO
7. ALBERT MARCOEUR, TRAVAUX PRATIQUES (LABEL FRÈRES, 2008)
8. THE FILM MUSIC OF MAURICIO KAGEL
9. DAIDO MORIYAMA, TOKYO METROPOLITAN MUSEUM OF PHOTOGRAPHY
10. TOMOO GOKITA, TAKA ISHII GALLERY, TOKYO

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◇ jim orourke - chicago, Illinois - Indie - MySpace.com
http://www.myspace.com/jimorourkemusicofficial
ジム・オルークの公式マイスペース
背景は『Eureka』『Insignificance』のジャケから(友沢ミミヨさんのイラスト)。


>>>2000年のジム・オルーク
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070813#p6


>>>10年前

ガスター・デル・ソル(ジム・オルーク&デヴィッド・グラブス)

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080518#p3


>>>竹村延和の場合/ジム・オルークの場合
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070813#p6


>>>対話「その音は、どこから来たか? 大友良英 × ジム・オルーク」より

JO 本当によくわかりました。私も同じような感じですが、たぶん別の立場にいると思います。たとえば、あるメロディを演奏したとして、それはそのメロディのジェスチャーなのか、自分の本物の演奏なのか? 演奏しながらその疑問をいつも抱いています。だから観客の前に出るとフリーズしてしまう。たぶん観客は私の鏡でしょう(笑)。実は申し訳ないけども、私はネイキッド・シティが好きではなかった。なぜなら、考え方は理解できても、私にとってあの音楽はジェスチャーだけで、本物ではなかったのです。本物 vs ジェスチャーというその問題は音楽の問題ではありません。たとえば、いわゆる「悲しいレコード」というものは本物には存在しません。本当に面白いのは、なぜその音を悲しいと感じるのか?という疑問そのものなのです。本物とジェスチャーを南極と北極とすると、私はいつも演奏しながら、いま自分はどの辺の位置にいるのかという問題をとても重要視しています。
大友 それは、多分ある年齢以降のミュージシャンに特徴的な傾向なんじゃないかなと思う。僕も自分が先達の世代の音楽家のような本物の演奏は、自分ではなかなか出来ないと思ってる。でもだからといって、ポストモダン的なスタイルを選択するようなところまで、音楽を突きはなして考えることも出来ない。何かもう少し別の方法を探したい。そんな時にターンテーブルに大きな可能性を感じたんです。

ユリイカ2007年 7月臨時増刊号 総特集*大友良英』所収
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C2%E7%CD%A7%CE%C9%B1%D1


※ ボリス・バルチュン × 中村としまる/アレサンドロ・ボセッティ × 中村としまる
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070109#p2

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070713#p2


>>>ノー・ウェーブとソニック・ユース
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080830#p6