Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

junk words(mixiの記述 2004-2005年から)*1

      • -


目眩を催すような果てしのないモノの細部。魔術が生みだした
ような奇怪な細部。写真の中の事物は、それらが凡庸さという
一点でつながっているのにちょうど対応する、ひとつの技術的
操作によってつなぎあわされている。同じように、ひとつのイ
メージは別のイメージに、一枚の写真は別の写真にとつながる
──隣接する断片の数々。そこには『世界観』も視線も存在し
ない──世界はそっくりそのまま細部の中に屈折する。
ジャン・ボードリヤール(『消滅の技法』PARCO出版刊より)

      • -


農民は自然を観賞せず、それを生きる。鉱山や工場で働く
人々もそうだった。全身体的な彼らの活動において、万物
は決められた大切な意味を持って存在していた。それは見
るためにではなく、そこに身を置くためにあった。
畠山直哉『LIME WORKS』より)

      • -


日本カメラ 2005年11月号 P266より

「コンテストの場というのは、残酷な場所です。平気で尊厳が
足蹴にされ踏みつけられ、嘲笑される場所です。 誰もが平等
といった民主主義の世界ではありませんし、仲良くお互いほめ
合うような世界でもありません」(金村修

      • -


没後20年以上経った今も、
未現像のフィルムが山のようにあるという伝説の写真家。
写真家ならフィルムを惜しまず
捨てるように枚数を撮るというのはあたりまえ。
しかし、そうした感覚さえはるかに上回るカット数から、
日本のある写真家はウィノグランドのことを
「空気頭」と評していました。
とにかくシャッターを切る。
ヘタな考えなど捨てて枚数を撮る。
1枚でも当たればOK。
非常に潔い考え方だと思います。
とくにスナップは
余計なモノが入り込んでくることを許容すること、
を前提に成り立っていますから。


作品をつくるのにどれぐらい時間がかかるか? と質問されて
ウィノグランドはこう答えたそうです。


「1/125かな」


ーーーー


展覧会でひと言


ウィトキンは大きなサイズで見るべきだ。


「写真はものの見方をどのように変えてきたか 4:混沌」
東京都写真美術館


※もうひと言
ルイス・ボルツ『パーク・シティ』の
オリジナル・プリントを見ることができたのも収穫。

      • -


続・展覧会でひと言


昭和天皇の右手にピントが合っている。


杉本博司 時間の終わり」
森美術館


※もうひと言
ほぼ同じ距離の左手にはピントが合っていない
ということは。。。

      • -


一度シャッターを切ること、それですべてが終わる。
中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」結語)

      • -


で、ちょっと飛躍しますが、なんとなく思ったこと。


1)「顔」の消失
2)名辞の浮上
3)名辞の記号部分(記号表現)と概念部分(記号内容)の切断
  ※表現としての「A」≠内容としての「A」
4)名辞(記号)の恣意性の浮上
5)無謬性の消失


すなわち、


「顔」 の 消 失 → 無 謬 性 の 消 失

      • -


聞き手:映画は世界を救えると思いますか?

JLG:それは聞いてはいけない質問ですね。


http://www.prenomh.com/prev/godard/ourmusic/godardinterview2.htm

      • -


「2」と「3」をめぐる物語


見ようとしなければ    見ることはできない

聴こうとしなければ    聴くことはできない

生きようとしなければ    生きることはできない


見ようとしなければ    見ることはできない

聴こうとしなければ    聴くことはできない

生きようとしなければ    生きることはできない


見ようとしなければ    見ることはできない

聴こうとしなければ    聴くことはできない

生きようとしなければ    生きることはできない


JLGの『アワーミュージック』を観てきました。
構造としては、上記タイトルのような物語だと思いました。
1回観ただけで、すべて理解できるような映画じゃないと
思いますが、とりあえず感じたことを。

      • -


〔 art 〕
1)芸術、美術《絵画、彫刻、建築、文学、音楽など》
2)図版、さしえ、イラスト、手配写真、ピンナップ写真
3)技術、技芸、芸、技能職
4)人工、技巧、わざとらしさ、作為、熟練、腕、
  術、わざ、術策、奸策、手管
4)学問の科目、教養科目、一般教育科目、学芸
※以上「リーダーズ英和辞典第2版」より抜粋

      • -


少しずつ


いろんな人のページを見ていて
なんとなくネットの作法(?)が
わかってきました。
ってか、毒がまわってきました。
ってか、すでにまわっていました。
ってか、目がまわってきました。
ってか、日常生活につけがまわってきました。
ってか、人格がかわってきました。
ってか、日付がかわってしまいました。

      • -


風呂の中でポップアップ(詭弁)


平均?
平らに均すってことは、
両の裾野がブ厚くなるってことだろ。
なら天才も鈍才も、聖者も愚者も、
もっといえば富豪も貧民も増えるってことだ。


ややアルコールが抜けました。
きょうはねます。

      • -


今朝は、二日酔いで最悪のコンディションでした。
世界中の酒屋を襲撃して、
すべての酒瓶を叩き割ってやりたい心境
とでも申しましょうか。
未だに、頭の芯ににぶい痛みとしこりが残っている感じです。
顔に出ないほうだから、どんどん勧められちゃうんですよね。
で、どんどん飲んじゃうんですよね。
イカン、イカン、反省することしきりです。
やっぱり酒はホドホドがいちばんですな。
やっぱり桜は人を狂わせますな(ソウジャナイダロウ)。

      • -


(1)群集は常に「増大」することを願う。
(2)群集の内部には「平等」が存在する。
(3)群集は「緊密」さを愛する。
(4)群集はある「方向」を必要とする。

      • -


椹木野衣『シミュレーショニズム』に引用されていた
エリアス・カネッティの「波」についての文章を読んで、
安部公房にとっての「砂」を連想。


フランツ・カフカエリアス・カネッティ
安部公房を結ぶライン。。。

      • -


縦書き/横書き(単なる思いつき)


漢字は文字ひとつひとつが
それぞれが異なる意味をもつため、
ある価値体系にあてはめて使用されるときには
(言語として使用されるときには)
その体系のなかでヒエラルキーを形成します(正確には
言語が使用される環境=文化を含む体系のなかで)。
つまり、ヒエラルキーがあるからこそ縦書きするのでは?
という仮説を立てることができそうです。


かたやアルファベットは音素を表す記号にすぎないため、
ある価値体系にあてはめて使用されるときには
その体系のなかで、あるまとまりを構成したとしても
(他の音素との結合で単語になったとしても)
アルファベットひとつひとつに価値の差を認めることが
難しいでしょう(体系=言語によってその使用頻度に
差はありこそすれ)。
つまり、個別の文字の抽象度の高さから
それぞれがほぼ等価になるので横書きするのでは?
という仮説を立てることができそうです。

      • -



























鹿

鹿



      • -


「一人ごっつ」世代ですな。
しかし甘いな。



○写真で一言 其の1
「朝から寝違えてもーて、ずっとこの調子でんねん」


○写真で一言 其の2
「先生ェ、ええかげん休憩とりましょ。
 じっとしてんの、ええ加減つかれましたわ」


○写真で一言 其の3
「猫のポーズっっ!!!(ヨガ中)」


○写真で一言 其の4
「・・・・・。
 プスゥ〜
 ・・・・・。
 ・・・・・。」


○写真で一言 其の5
「自分でまいた種は、自分で刈り取れ!
(『西部警察PARTII』再放送より)」


○写真で一言 其の6
「黒目がちやから、お客から、どこ見てんのかわからへん
 ゆーて、よういわれますねん」


○写真で一言 其の7
「猫のポ〜〜ズっっ!!!(ハリウッド・ヨガ中)」

      • -


■なんとなく、ポップアップ。


1)二項対立の無限回避こそが新しい道をつくる。かも。


2)1つの対称性(水平)と2つの非対称性(上と下)が
  たいていの人のメンタルなバランスを保っている。

      • -


畠山直哉さんは、写真を見せた人から
「これはCGですか」と訊かれることが
非常に多いそうです。
インタビューや対談で何度かそう語っています。


「というのは、観客は、これがコンピューター・グラフィックスなのか写真なのかが、わからないといってるわけだから、ぼくの返答次第で、写真がCGになったりCGが写真になったりするということでしょう。『はい/いいえ』によって、その人における写真の表象、意味合いが変化してゆく。これは本当におもしろい事態じゃないんだろうか、と。」
「おもしろいのは、『これCGですか』といわれるのは、最近のことなんですが、それ以前も同じものを見せていたってことなんですよ。そのときには、そんなことはいわれなかった。つまりCGが観客の体験として一般化されてきた。」
国書刊行会『写真との対話』所収
 鼎談「そして写真は続く」より畠山直哉の言葉)


過去の視覚的経験がものの見方や見え方を規定していく、
ということでしょうか。長々と引用する必要もなかったかな。


そういえば、「これはCGですか」の「CG」を
ピカソ」や「ゴッホ」に置き換えて考えてみても、
ありふれた議論になりますが、面白いかもしれません。


A:「これはピカソですか」
B:「いいえ」
A:「ああ、やっぱり。思ったとおりです。
   作風が似てるというだけで凡庸なんですよね」


A:「これはピカソですか」
B:「はい」
A:「ああ、やっぱり。思ったとおりです。
   凡百の作品にはない独特の存在感がありますよね」

      • -


入院していたケンくんが窓から外を見ると、
牛がモーと鳴いていて、
蝶々がひらひらと舞っていました。


さてケンくんは何の病気でしょうか……?

      • -


っていうか、たとえば「レベル」を「レヴェル」と
表記して悦に入り、その言語操作とその意味作用に
まったく意識が向いていないような。

      • -


そういふことです。
それは無情といふ事です……。
それは無情といふ事です……。
それは無情といふ事です……。
(突発性小林秀雄地獄〔偽〕)


無常≠無情

      • -


「番組」と「番組」のあいだに
「CM」が流れているのではなく、
「CM」と「CM」のあいだに 
「番組」が流れている

      • -


堀井雄二は電気羊の夢を見るか?


出版業界恒例の年末信仰、
いや振興、
いや親交、
いや侵攻、
いや進行、
しかしこの支給パソコンのMS-IMEもおばかさん、
……のため休み無しのキッツイ日々が続きます。


家庭用ゲームの巷間では、
DQVIIIだそうですな。
なんだかDQNに似てますな。
そんなにやりたくもないけれど、
ひがんでますな。


遠い話でございます。


現在は山積みの現実からやや離脱中。
ミクシィちら見でございます。
終わってる?
はよ仕事せ〜や、自分。


そういえば「オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか」って
パソコンゲームがありましたなあ。
コーエーの消したい過去のひとつなんでしょうか。

      • -


……。


今日(こんにち)
 只今(ただいま)
  当今(とうこん)
   現在(げんざい)
    目下(もっか)
     NOW(ナウ)
      CURRENT(カレント)
       TODAY(トゥデイ)

       
        …………職場。IJO

      • -


カットアップ(短歌三首)


口笛を
吹けない人が
増えたのは
吹く必要が
ないからだろう


やめようと
誓った行きと
やめるのを
やめようかなと
思った帰り


冗談は
さておきという
一言で
気づきましたよ
冗談ですか


歌人枡野浩一
(※三首とも)


いっしょうに
いちどはよんで
おくべきだ
とくしゅかじんの
ますのこういち

      • -


【さらに枡野浩一の短歌三首】


こんなにもふざけたきょうがある以上
どんなあすでもありうるだろう


殺したいやつがいるのでしばらくは
目標のある人生である


有罪になりたいがゆえ今いちど
罪を重ねるごとき口づけ

      • -


ことばのインフレーション(駄川柳)


訥弁も
つもりつもって
能弁に


※訥弁と能弁の入れ換えも可
 どんなに情報に取り囲まれていても
 適度・的確な情報を摂取

      • -


カットアップ(テクスト)


 スパイは富くじ札の中にヘロインを隠している。
 もう一発打とう──治療は明日からだ。
 道は遠い。渇望と屈辱が頻繁にやってくる。
 ナツメヤシの木が生えているオアシスにたどりつくまでには石だらけの坂を長い間歩かなければならなかった。ここではアラビアの少年たちが泉の中に糞をたれ、筋肉の海岸の砂浜でロックンロールを踊りながら、ホットドッグを食べたり、金歯を吐き出したりしている。
河出文庫裸のランチウィリアム・バロウズ鮎川信夫訳)


明朝のタンジールは東の空に太陽が昇るでしょうか。。。
その太陽はひとつでしょうか。。。
大きさは適当でしょうか。。。
ちゃんと赤い色をしているのでしょうか。。。

      • -


じつは昨日まで


ベルリンにカメラを持っていくかどうかすら悩んでました。
そのことと関連して、時間に余裕があれば、
旅行者が写真を撮ることと、フィッシュリ&ヴァイスと、
後藤明生の『挟み撃ち』と、そのなかの一節について
書きたいことがあったんですが、タイムアップです。

      • -


MEMO


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本当の意味でのMEMO。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
書店で『ジャパンポンチ』を購入すること。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
このMEMOは明日消去するかもしれません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
             へ  へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
             ・  ・
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
               3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

      • -


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
明日は仕事。。。 お盆進行。。。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いい加減、寝よっと。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
             へ  へ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
             *  *
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
               3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

      • -


……お天気ムカツク


写真を撮れないのは、もちろんなんですが、
ふとんも干せないし、
洗濯物がかなり溜まってしまってます。


洗面所の片隅にある洗濯カゴが、
すでに「ブレーメンの音楽隊」状態。。。


ヒヒーン、ワン、ニャン、コケコッコー、、、


っていうか、頼むから晴れてよ!(+_+;)

      • -


『写真よさようなら』という本はつくっちゃったけどさ、
タイトルで。でも、やっぱり僕は写真をやめるわけには
いかなかったんだよね。そこでやめてしまえばさ、僕の
写真はさ、ある意味でそこまでで良かったのかもしれな
いけど。僕は、やっぱり、こう、写真とは、そういうふ
うには別れられなかったんだよね。


寺山修司さんのさ、昔かつて、
僕に言った質問じゃないけどね。やっぱり、
「お前はカメラでもって、何を燃やすのか」
というさ。


カメラというものを持ってね、やっぱり、カメラの存在
によって、こう自分を燃やしていくっていうの、つねに。
燃やすことによって、変わっていくっていうのかな。否
(いや)でも応(おう)でもね。なんかそういうことだ
と僕は思うけどね、うん。そんなかっこいい言葉、思い
つかんよ。
(『≒森山大道』より)
http://www.bbb-inc.co.jp/daido/introduction.html


「量」と「継続」が、
あるとき「質」にかわるということ。
その「あるとき=臨界点」は、
つねに不定であるということ。
しかし人の生は、
はかなくも有限であるということ。


すなわち、翻って考えてみれば、
今日の世界に生を享け
何かを成そうとする者には、
「見るまえに跳べ」(W.H.オーデン→大江健三郎
あるいは「暗闇の中での跳躍」(S.クリプキ柄谷行人
という態度と実践が、おのずと求められている、
ということでしょう。


人はそれぞれ異なった秤を持っています。
その秤の皿に載せられてしかるべき何か、が、
予感めく遠き己の没落にさえつりあう何か、が、
向かうべきところにはあるのでしょうか?


そういうふうに先んじて案ずること自体、
有効な態度ではありません。


来たるべきその瞬間を求めて歩き続けること。
そこには常に何かが賭されているということ。
煩悶する暇があるのなら、むしろ跳躍してみること。


ある先人は、そうした歩行をあゆむことを
こう呼びました。


「生きている」と。

      • -


恐怖というイメージを作り込んでいくなら
画面の周辺を焼き込んで暗くしたり、
黒くツブれて見えない部分を増やしたり、
コントラストを上げたり、粒状感を出した方が
より効果的でしょう。それこそ音声も。


どんどん叙情的になりますし、
「都市の片隅」みたいなイメージも
べったりと貼り付いてきてしまいます。
そうなってくると、
簡単にワイドショーなんかでも解説されてしまいそうです。
ヘタすると小倉智昭に語られてしまうかもしれません(笑)。
それは言葉という枠組みに、
容易にカテゴライズされてしまうということです。

      • -


視覚的な心地よさのひとつが、
タテの線の強さだと思います。
写真には矩形のフレームが存在するので、
水平・垂直の直線は、
人間の視覚よりもさらに強調されることになります。


タテの線の強さ → 垂直になぞる眼 → 
重力の存在を意識 → 構造物の物質感・量感


というような流れが、
ある種の安定感をもたらしているのかもしれません。

      • -


ところで、マン・レイといえばシュールレアリスムですが、
手術台の上でこうもり傘とミシンを出会わせずとも、
「被写体にピントがきっちり合った写真を見ること」
ただそれだけでシュールレアリスム的な超現実が
たちあらわれてしまう可能性があることが
どういうことなのか?
ということを考えることも必要だと感じています。
たとえば、中平卓馬の写真を眺めるときのように。


超現実が「超」えようとした現実は
ただただ主観的なものでしかなかった、
すなわち主観的な現実を裏返しただけで
表裏一体のポジネガ反転にすぎなかったのでは?

      • -


【4】
やんなきゃなんないことが溜まりまくり。
ToDoリストでも作って、
1つずつ確実につぶしていこうと思います。


【5】
青山ブックセンター本店の洋書セール初日に突撃。
ゲイリー・ウィノグランドの『Public Relations』を
格安でゲット。ウシシシシ。


【6】
そのセールの稀覯本コーナーで、
『日々』(関口正夫&牛腸茂雄)を発見。
とうてい手の届かないクソ高い値段がついていたので
購入はできませんでしたが、中を見ることができました。
ヤヴァイ、ヤヴァすぎる、関口正夫の初期作品。
見ている間、自分の周囲1メートルぐらいの空気が
スーッと薄くなったような感覚すらして、
でも本を持つ手と身体の芯はジリジリと熱くほてり、
脳ミソが断続的にハングアップを繰り返していました。

      • -


「素人」「業界」といったような言葉の、ためらいのない多用。
視聴者/舞台/舞台裏の3層のうち、舞台裏が、
舞台裏(皮相)/舞台裏(真相)に分化して4層になり、

      • -


ところで小林のりおさんとモリユウジさんとのの比較ですが、
お2人がどういうカットを選んで、
どういうカットを捨てているかを想像してみると、
さらにその先が見えてくるかもしれませんね。
おわかりかと思いますが、アップされている写真が
シャッターを押した瞬間すべてだった
と、いうことはありえません。


フレーミングによる排除、セレクションによる排除によって
小林さんとモリさんは、
それぞれ何を伝えようとしているのでしょうか?
そう考えてみると、お2人の写真は
ずいぶん違ったもののように感じられました。

      • -


写真を実践するうえで、
その実践の基盤になるようなモデルは何もない。
モデルからの応用はできない。
すべての行動はすべての正しい理論をうんでしまう。
モデルは「発見」されるのではなく「発明」されるのだ。
モデルは捏造ででっち上げだ。
それは歴史的社会的であって普遍的なものではない。
モデルのない応用。
(『 I CAN TELL 』金村修 芳賀書店刊)


あまりにも撮ってないので、
活性化のためのアンプルを摂取。
めまぐるしい状況も
躁状態で眺めれば大したことはない。のか?
躁鬱のような不確かで確実に揺り戻しが
あるようなものよりも、
「眺める」という状態そのものに
何らかのヒントがあるような気がします。

      • -


逆アオリの写真について考えていて思ったんですが、
「カメラで撮った」という動かざる事実(本当か?)を担保に、
何らかの価値が保障されているのが、
「写真」という制度なのかもしれません。

      • -


スネークオプション状態


昨日きょうと仕事がらみとか、なんとかで
さらに断りづらい関係の人々からの
お誘いがいろいろと……。


ありえていいお誘いと
ありえないお誘いが
時間をずらして
こまごまと……。


『何でも見てやろう』(小田 実)の精神で、
なんとかこなそうと思いますが、やっぱツラい。


う〜む、ぶんまわされてますなぁ
ワタクシの人生。

      • -


ブログ(mixi)デビュー


誰にでも読むことができる、
 誰かに読んでもらうための、
  誰が書き記したものなのか、
   誰にとっても本当のところ、
       あやふやな日記。
なんだか奇妙なものですが、
 折にふれて日々の何事かを
  書き付けてみようと思います。

      • -


なぜ駄日記なのかと訊かれても困るのだけれど、それは日記らしい日記をほぼ書かないからであって、それにこうして誰かが読むことを想定して書くと、どうしてもそこに虚飾というか、やっぱ良く見られたいでしょ、人って、人間だもの、みつをじゃないけれど、しかし、なんでみつを�


※タイトルに何文字まで入るのか確認したくて、以下の文章をタイトルの文字ボックスにひたすら書き連ねていたのですが、作成すると表示されませんでした。なので、続きはこちらでどうぞ、


の詩ってトイレとかでのエンカウント率が高いんだろう、でもまあいいや、とくに日記に書くべきことはないんだけれど、夜明かしのハイテンションで、ハイテンションゴールドゲットだヌーン、なんて屁で空中ウクライナなつかしー、ピエール瀧サイコー、ぶらっとプチトリップ、いまなら東京タワー蝋人形館でマニュエル・ゴッチングと握手、ネタがわからない人には、つまらないだろうが、いま僕は猛然と1行目を右へ右へと疾走している状態であって、これは書いてる本人としては、福永信クロバット前夜状態なんだけども、あの本売れたのかな、平積みされてた書店もあったな、でも仕上がりはふつうの文章になっちゃうんだよなコレ、いま確認画面でチラ見、おいおいズルなんて言わないでほしいな、なんつってるうちに、ああでもないこうでもないと考えながらこうしてタイトルの文字ボックスを、文字が、走る、走る、走る、と書きながら、これってアンドレ・ブルトン状態なんだろうか、あの自動書記ってやつね、読んだことないけどイヤ違うな、しかし駄日記というようりも、糞日記だなこれはもはやしかし、冗長さを饒舌さが上回れば僕の勝ちなんだけども、でもうまくいっても僕は何に勝っているのかわからないんですよねぇ、ほんと、悲しくなってはこないけれど、ニートって本当は高等遊民のことかぁ、わかっちゃったよ、いま、オレ、なんだ、働いたら負けかなって、そりゃそうだよ、きたねー、それこそズルだよ、ふー萎えた、明日っつーか今日の俺は、失語症の幼稚園児なみに言葉を無くすだろうな、文字ボックスに文字が、ひょうじさrなくなったよpオイ、コレは俺のけいかくが、

      • -



http://tinyurl.com/asrnn5
↑さて答えはどれでしょう。


しかし、いったい彼は何に勝っているというのだろうか?


そもそも、彼にこんな先の見えた勝負を強いているのは
いったい誰なんだろうか?


あるいは何が?

      • -


毎日が「ほにゃらら???」の今昔


学生のころは、毎日が日曜日でした。
学校も行かず、街を徘徊。
お金はなかったけれど、
時間だけはたっぷりとありました。
まさにゴールデンイヤー(黄金年間)でした。
正直言って、ほとんどニートでした。
たぶん丸刈りにしてTシャツ着せればニート君でした。


そしていま……
まがりなりにも社会人になって、毎日が賃労働です。
あれこれ遊ぶこともなく、お仕事に拘束。
相も変わらず、お金に余裕はないけれど、
時間さえもありません。
気がつくと、ほとんど1日が終わってます。
たいてい終わってます。
つ〜か、次の1日が始まりを告げそうになってます。


ようやく東京にも冬がやってきたらしく、
朝の空気がいやに鋭利に引き締まった金曜日です。


             う〜寒っ。

      • -


 それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてスコア・ボードに何千個というゼロを叩き出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。(中略)

 僕はピンボールの列を抜けて階段を上がり、レバー・スイッチを切った。まるで空気が抜けるようにピンボールの電気が消え、完全な沈黙と眠りがあたりを被った。再び倉庫を横切り、階段を上がり、電灯のスイッチを切って扉を閉めるまでの長い時間、僕は後を振り向かなかった。
 一度も振り向かなかった。
講談社文庫『1973年のピンボール村上春樹 −− 22章より)

      • -


インターネットが世界の二重化で、
それがある種のオルタナティブだとしたら、
やがて世界は無限に多重化していかざるを得ないでしょう。

      • -


どうもシリアスなモードに入りすぎてダメかな、
と思う今日このごろ。
ラクゼーションが必要ですな。
ピューと吹く!ジャガー』でも
読み返してみよ〜っと。


○フィリッポ・リッピ
△フィリッパ・ジョルダーノ
◎フィリップ・ロルカ・ディコルシア


なんかこの日記バグってます。。。
よ〜し、明日から縦笛始めるぞ〜!!!(狂)

      • -


エビジョンイル


「ワックな シーマン海老沢を リリックでディスるぜ!
 ヤツの人を見下したフロウは許せねぇゼ、ディス!ディス!」
みたいな、日本語ラッパーが現れることを希望。


一部、●●●さんの日記より素晴らしいフレーズを
サンプリング。最近、HIPHOPな方々の言語感覚に
注目したいなぁと思い始めている次第です Yo!
いま、キングギドラの『最終兵器』を聴きながら
この駄日記を書いてます Yo!Yo!Yo!
関係ないけど、
CCCD大反対ぃっっっっっ!(狂)

      • -


こ ん な 天 気 の い い 日 に
 働 か な き ゃ な ら な い
  な ん て 自 然 の 摂 理
   に 反 し て る ん じ
    ゃ な い か と 思
     う こ と っ て
      あ り ま せ  月曜日からこれじゃ
       ん 人 と    先が思いやられて   
        し て       しょうがない
         ?    今週のスタートでした

      • -


10歳児の1日は
それまでの人生に比べると……
■1/3650=0.0002739


20歳の1日は
■1/7300=0.0001369


30歳の1日は
■1/10950=0.0000913


※以上、うるう年は考慮外


1日の体感時間が速く(短く)なるわけです。
さらに歳を重ねていくとアルツもあいまって……(略)

      • -


どうも、はじめまして。
きょーふの若年性とりあたまですね。
あります、あります、ありまくりやがります。


◆健常者のケース
昨日の昼飯なんだっけ(メニューを見ながら)?
カレーだっけ、じゃあカレーはないな。


◆要注意のケース
昨日の昼飯なんだっけ(カレーを食いながら)?
うわっ、カレーだよ!


◆要検査のケース
昨日の昼飯なんだっけ(カレーを食いながら)?
んん〜(約10秒)、んん〜(約20秒)、まあいいや。


いずれにしても、
若くして恍惚の人には
なりたくないですね〜。


たぶんすぐ忘れるようなことは、
頭の中のフラッシュメモリ
一時保存されてただけなんだ。
そう自分に言い聞かせるようにしています。
僕の場合。

      • -


「まな板の上の鯉」のかわりに
「焼き網の上の肉」という表現も。。。っていうか、


とっくにさばかれて、調理されてる途中じゃん!

      • -


わかった わかってない わかった?


「ねぇ、きいてる?」
「……」
「ねぇ、ねぇ、きいてる?」
「ん、うん……」
「もー、ちゃんときいてよー」
「うん、わかった」
「そんでさー」
「…………」
「ちょっとー、さっきからちっともきいてないじゃん」
「わかった、わかった」
「わかった、って……ぜんっぜんわかってないじゃん、それ」
「わかった。わかったって……」
「あんたが、わかったっていうときってさー、ほんっとにもう、ぜんぜんわかってないんだよねー」
「えっ! わかった?」

      • -


漱石が泣いている?ニャ〜オ!



お札の肖像からも干され、
義務教育の国語教科書からも干され、
踏んだり蹴ったりの夏目漱石
飼い猫から野良猫へ、
転落人生まっしぐらという感じです。
故人ですが……。


我輩は忘れ去られていくのかニャ〜。
ニャンともカンとも哀しいニャ〜。
でも国や役人から首に鈴をつけられても、
堅苦しいだけだったしニャ〜。
これからは自由を満喫して、
ワイルドに生きるのニャー!!


意外とポジティブだったようです。
ストレスから解放されて、
持病の胃潰瘍も快方に向かいそう? ですね。
洋風カキアゲやライスカレー、ジャムパンなんかが
好物らしいですが、餌付けしちゃダメですよ。
遠くから温かく見守ってあげましょう。

      • -


スギ花粉考(下ネタ含)


いや〜。しかし、きのうは花粉にやられっぱなしでした。
花粉症ではないんですが鼻炎持ちなんです。
ホコリっぽい場所とかに弱いんです。
だから、花粉が大量に飛散していると
どうにも鼻水が出ます。鼻水が止まらんです。
こんなに鼻水が出ると脱水症状になるんじゃないか、
と思うほど鼻水が出ます。これホント。いやマジで。
出まくりでしたよ〜。きのうは。
そこで先手を打って、
つーか、すでに先手はとられてるんだけど、
まめに水分補給しながら働いてました。
そんなだから、仕事がはかどるわけがありません。
ずびびび、ごくごく、ずびびびび、ごくごく。
はいワンセット、おつかれさん! みたいな。
わけがわかりません。
もちろん鼻水を飲み込んでる音じゃないですよ。
あくまで、鼻をかむ、お茶または水を飲む、
の繰り返しですから。
このサーキットトレーニングは鍛えられます。
ハッキリ言って、忍耐力だけが。
で、考えました。鼻の下をひりひりさせながら。
花粉って何だ? ってところから。
んで、思ったんだけど、


「花 粉 っ て ス ペ ○ マ じ ゃ ん」


ウガガガ、ウガ、ぺっ!ぺっ!
いきなり結論に達しちゃいました。
もう、すぐさまですよ。すぐさま。
ただちに口ん中といわず、鼻ん中といわず、
気持ち悪いの、悪くないのって、もうそれは、それは。
あのオタマジャクシがウヨウヨしてるのを想像して、
タコわさびの風味が副鼻腔に広がって。
もちろん飲んだことないですよ、ええ。
想像ですよ想像。
しかし、きょうもやばそうだな。
ティッシュを大量に用意してから外出しよっと。
そんで、自宅のくずかご見たら
丸まったティッシュだらけだった。
やっぱ花粉って植物のス○ルマ!?

      • -


にっき


きょうは いろいろと
かんがえました。
あんまり かんがえたく
なかったけど かんがえました。
かんがえて いるうちに
よくわかんなく なったけど
がんばりました。
いろんなことを おもいつきました。
じぶんでも すごい 
がんばったと おもいます。
でも きが ついたら
よるに なっていて
ちょっと かなしかったです。
おなかが ぺこぺこします。
でも じかんかかったけど
よかったと おもいます。
すごい おもいつけた からです。
きょうは にほんが できたひ です。
くにも できるんだなあ 
だれが つくったのかなあ 
と おもいました。
あしたは はれると
いいなと おもいます。
(2がつ11にち くもり ときどき はれ)

      • -