Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

パノプティコン──「フィクションに対する想定の違い」

◇ [建築]パノプティコンのはなし - ブログまでブログ

ただ、これは上の画像を拝借したWikipediaでも触れられてることなのだけど、このパノプティコンは一種の救貧政策として考案されたものだったらしい。ベンサムの面白いところは、理念的な構想をズラーっと書き出した次のページに、突然ベッドのスプリングの硬さやシーツの大きさ、そしてそのシーツにどのように縫い目をつけると折りたたみやすくなるか、といったものすごい実際的な解説を矢継ぎ早にはじめているところ。ハイとローがグルグル入れ替わる記述だったようだ。大屋先生曰く「ベンサムは多分躁病だったんだと思う」


つまりベンサムにとってこのパノプティコンという建築システムはあくまでも構想の一部でしかなかったのだ。だから監視人が1人で十分というのはあくまでも効率の問題だったし、その中で使われるシーツやベッドのディテールも効率の問題だったと考えるべきだろう。フーコーは「囚人は監視人を内面化するから監視人がいなくてもオッケー」と言っていたのだけど、ベンサムのほうでは「監視人は動かなくてもいいから障害者でもオッケー」ということを考えていた。ベンサムにとって監視人は「必要」だったのだ。


何が言いたいのかというと、フーコーベンサムとの二人の間でフィクションに対する想定の違いがあるのだ、ということ。そしてこの「フィクションに対する想定の違い」は、現在建築界&思想界の両方で議論の対象になっている(と思われる)「アーキテクチャ」の議論において一番注意すべきことなのではないか、と考えているというお話でした。

http://d.hatena.ne.jp/sakakibara1984/20090216#p1


>>>“パノプティコンは収監者に対する効率的監視のシステムであると同時に、パノプティコン自体を外部からの監視に晒すことでパノプティコンにおける統治者・監視者を規律するところにその要点がある。”

http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20071129#p1
パノプティコンにまつわる誤解。
ジェレミ・ベンサムミシェル・フーコー
田畑暁生さんのはてなダイアリーより。


◇ 安藤馨『統治と功利―功利主義リベラリズムの擁護』(勁草書房
http://www.arsvi.com/b2000/0705ak.htm
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C0%93%A1%8A%5D/list.html


◇ ベンタム(ベンサム)研究 Jeremy Bentham - SATOSHI KODAMA'S OFFICIAL WEBSITE
http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/bentham/
児玉聡さんのウェブサイト内コンテンツ。

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080824#p18


>>>時間・空間を再編成する - short hope
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090203#p6