Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

文庫版ではなく祖父江慎さん装丁のビッグコミックス版を

吉野朔実瞳子』(小学館

▼第1話/俄か雨▼第2話/お葬式▼第3話/アイドル▼第4話/ドッペルゲンガー▼第5話/ガールフレンド▼第6話/ボーイフレンド●主な登場人物/篠田瞳子(しのだとうこ。大学を卒業後、就職もせず家でぶらぶらしている)、森澤(瞳子の高校の同級生。大学院で心理学を専攻しているクールなヤツ)、天王寺(瞳子の高校の同級生)●あらすじ/大学を卒業後、就職もせず、家でだらだらと過ごしている瞳子は、絵に描いたように平凡な専業主婦の母親と、どうもそりが合わない。今朝も食事中にささいなことから口げんかをしてしまう。浮かない気分で自分の部屋へ戻ると、近所に住む高校時代の友人・森澤から家に遊びに来るよう誘いの電話が。森澤の母親は瞳子のお気に入りだ。なぜなら、彼女は洗練されていて、自分の母親と違い、俗っぽさのかけらもなかったから…(第1話)。●本巻の特徴/実力派作家・吉野朔実の、スピリッツでは初めての作品。 自分、家族、友達…身近のいろいろな問題に悩む、若い女性の気持ちがリアルに描かれている。●その他の登場人物/篠田家の面々(根本的にポジティブ(というか、鈍感?)な母、あたりはソフトだが、妙に頑固者の父、いちいちものをはっきりと言いすぎる姉)

http://www.amazon.co.jp/dp/4091793711


吉野朔実瞳子』 - 紙屋研究所

 吉野朔実が、初期の作風を脱して、意識とか精神というものを客観物として、突き放してながめるようになったことは、前にのべた。
 近年、吉野のこの傾向は加速している。プロフィールに出生年を明示するようになったのは、少女漫画家として何かを飾ろうとか衒おうとかする態度と絶縁したことを意味するように、ぼくにはうけとれた。自分の経歴さえも、虚飾をすべてとりはずし、ごろりとした客体として眺めようとする姿勢は、どんどん強まっている。
 そうしたからどうだというものでもなく、ただただそのことが、彼女のマンガをぐんぐん面白くしているのである。

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瞳子 - 積ん読パラダイス

 「瞳子」の主人公は、80年代後半に大学を出て就職もせず家でブラブラとしている瞳子、という名の女性。1959年生まれという吉野朔実自身とどこまで重なっているかは分からないけれど、あの時代の空気を呼吸して生きた人たちという意味で、1960年代に生まれた今は30代にさしかかっている人たちにとって、まず大きくて激しい「郷愁」を引き起こす。欲しい皿があるからとバイトを始めた陶器屋でライバルらしい少女とかわす、「アルジャーノンに花束を」は長編が良いか短編が良いか、長編の「エンダーのゲーム」は「無伴奏ソナタ」に所収の短編より良いのかといった話題は、あの時代をSF好きとして過ごした人に激しいくらいの懐かしさを覚えさせる。


 ブライアン・イーノにブライアン・フェリーが好きだという瞳子と、高校の同級生だった今はたぶん働いている男たちとの、学生時代と大きく変わらないように見える日常生活を軸に物語は進む。雅なものを理解せず主婦として忙しい毎日を送り仕事しろ、結婚しろと顔を見れば言って来る母親の無粋さが瞳子は我慢ならない。仕事をして自立して社会に適応して恋愛も不倫交じりでよろしくやっている姉の世渡りの上手さが瞳子は納得できない。社会生活などてんで経験もない癖に世の中のことが分かったような気になり、自立などしていない癖に親に妙に反抗してみせ、詳しく理解もできないのに難しい本を買い、流行り物の歌謡曲とは一線を画した音楽を聴いてみる。


 今にして思えば、しょせんは雑誌やテレビで得た知識の受け売りで、時代の半歩先を行っていると勘違いしていただけなのだ。知的な人たちが知的な場所で話題する芝居や映画といった文化、缶入りじゃない烏竜茶を嗜み高価な陶磁器を愛でる風俗の、中味も意味も歴史もろくに知らないのに受け売りの知識で知った気になって、自分も知的だと思っていたかっただけなのだ。けれども当時はそのことが分からなかった。なんだか格好良いことのように思っていた。バブル目前の微熱の時代に生きていた、微熱少年と微熱少女の雰囲気が「瞳子」の漫画から浮かび上がって来て、恥ずかしさとともにノスタルジックな気持ちを刺激する。


 「年月がたったので距離が出来て、当時の自分や周りのことを他人事のように見ることが出来るようになったのかもしれません」と「あとがき」の中で著者はいう。作家と同様に読者の方も、恥ずかしい気持ちを超えて浮かび上がる懐かしい気持ちの中で、描かれた連作を楽しむことができる。けれども著者はこうもいう。「年齢を重ねると少しづつ人生の謎は解けていきますが、だからといって不安が無くなる訳ではないし、情緒が安定するわけでもありません」。


 「郷愁」はどこまでいっても過去へと向かうベクトルでしかない。過去へと戻って当時を振り返って抱く悔恨と嫉妬の向こう側に生まれる、やりなおせるかもしれないという願望めいたものが歳をとった今もなを残っていることが、単なる過去への郷愁だけではなく、そこを起点とした未来への「憧憬」を生まれさせて、過去に諦めるのではなく、これからも続く未来に望むのだという気持ちを引き起こす。

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http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060126#p8


※?
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20060905#p1