Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ティーチイン! 豊原康久×金村修@サードディストリクトギャラリー | third district gallery

6月19日(金) 19:00〜 1000円 1drink(予約制 30名) ※当日若干の立見あり
http://www.3rddg.com/


◇ 豊原康久「Street Photographs」@サードディストリクトギャラリー | third district gallery
6月9日(火)〜6月21日(日)
http://www.3rddg.com/exhibition/toyohara_yasuhisa.html
http://www.3rddg.com/home/toyohara_yasuhisa.htm


◇ 豊原康久『VANISHING LIGHT』(ワイズ出版写真叢書)

1994年木村伊兵衛賞受賞の「STREET」以来の待望の第二作品集。サーファーや海水浴客。よくある夏の海の風景を撮っていながら、どこかでよくあるとは思わせない不思議な感覚の写真の数々。淡海千景さんによる解説テキストは、そうした感覚をスリに喩えていて、これも必読。モノクローム/並製/138頁/ダブルトーン/1,000部/装幀:原耕一/解説:淡海千景/翻訳:いとうはるな/サイン本。

https://www.dragonfish-i.net/progetto/detail.php?id=PHO-0428
http://books.livedoor.com/item/287490
http://www.amazon.co.jp/dp/4898301576
写真を始めたころはよく見てましたが、
ここしばらくページをめくることがなかったので
ひさしぶりに見直してみようと思います。


◇ 豊原康久『Street』(KTブックス/Mole)

かつてベンヤミンは「権力が移動するときには、ひとの顔を見る眼をもつこと、その眼をするどくすることが死活の必要となるのが普通だが」と語った。「右から来ようが左から来ようが、どこから来たかに眼をつけられることを、ひとは覚悟しなくてはなるまいし、またじぶんのほうも同じことを他人から見てとらなくてはなるまい。」80年代後半から90年代初めの東京の路上で、すれちがいざまのスナップを撮りかさねた作者の試みは、60年代のニューヨークで展開されたG・ウィノグランドの「女性は美しい」シリーズを継承するものであり、「権力の移動」への繊細な予感にふるえている。木村伊兵衛賞受賞作。(大日方欣一/東川フォトアーカイブス)

http://www.amazon.co.jp/dp/4938628120


◇ The Nagahara Office Inc. Digital Media

豊原康久写真集「Street」

1994

豊原康久
株式会社デジタローグ

写真集、CD-ROM、展覧会と、ワンソースマルチユースをメディア横断的に展開した記念すべき一作。写真集は木村伊兵衛賞を受賞。CD-ROMはパッケージを変えて再版されるなど、めずらしく市場の評価が高かった。

http://www.nagaharaoffice.jp/contents/selected_works/digital_media/


◇ [隔たりの構成/豊原康久写真集"Street"1993年11月刊・添付テキスト] - texture : ueno osamu
http://park7.wakwak.com/~ueno/archive/93/ty9311hedatari.html


◇ 第3期 2002年 5月20日〜(全10回) - 金村 修ワークショップ

 写真をみていれば、作家の視線がどのくらいの高さにあるのかということにおのずと興味は至るもので、「この作家の身長は高いのか低いのか?」と想像をめぐらせたりする。例えば、森山さんについて「地べたを這うような視線だなあ」と、はじめて観たころに思った。もちろんノーファインダーの写真も沢山あるわけだが、果たして森山さんの身長はどちらかというと低い部類に入るだろう。
 作品と作家の身長の関係は、結構必然的な問題であると思うのだが、中でも“ストリート・スナップ”は、その関係性が大きくあらわれる種類のものといえる気がしてきた。
 “ストリート・スナップ”といえば、豊原康久、吉野英里香が思い浮かぶ。
 吉野さんは日本人女性としては長身の方だが、日本人の一般的な視線に馴染む高さにその視線はあるといえよう。人ごみのなかにまじって切り撮られた写真は、観ている者をも雑踏の中に連れ込んで、そのスピード感やざわめきまで感じさせる。人波が前方から迫ってきて自分の顔の脇をかすめていくような切迫したおもしろさがある。
 豊原さんは長身である。それも日本人離れしたかなりの長身だ。その高さから切り撮る人ごみは、眺めのよさがある。いつもは見えないところが見えるような気持ちよさ。スーッと抜けて気持ちよく眺められるといった感じだろうか。その感じのせいか、余裕があって視線は乾いているようにもみえる。吉野さんの向こうが見えないが故の切迫感とは違って、視線の高さ故に向こうまで見えて、待ってつくれる“間”のようなものかもしれない。
 さて、この“間”とは難しい。良きにも悪しきにも傾く。“間”は「いい」ときもあれば「抜け」てしまったり「悪い」ときもあって、写真の中に存在する“間”も同じだろう。
 金村さんによれば「豊原さんは“抜け”の先に入ってくるものまで選んで撮っている」ということだ。すなわち、豊原さんの“間”は計算され、良きに傾き、そして「“間”のいい」写真となっているといえるわけだ。

http://ok-ws.hp.infoseek.co.jp/ok_03.htm
http://ok-ws.hp.infoseek.co.jp/


>>>監視映像論8 - はてなStereo Diary
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070619#p2


>>>倉石信乃「監視の現在+ウォーカー・エヴァンズの超越」より+α
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080824#p9