Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

ドクター茂木健一郎の駒場講義

YouTube - 茂木健一郎 駒場講義 2008 [1]〜[6]

茂木健一郎駒場東大での特別講義。2008年7月2日。池上高志さんの受け持つ授業で。

http://www.youtube.com/watch?v=aZ41OkRE-Bk
 http://www.youtube.com/watch?v=4H70VR6Hs8E
http://www.youtube.com/watch?v=FnSHv37XCPI
 http://www.youtube.com/watch?v=Lx7kJHfm2s4
http://www.youtube.com/watch?v=NQaxnMKEEzs
 http://www.youtube.com/watch?v=Ek_Udth96gU
「学部生が相手だから」とでも言い訳するんでしょうか?
テレビや新書での軽口は「一般人相手だから」とでも言い訳するように。
たとえ入口として有効な部分があったとしても、
大局的に見ればやはり公共性に相反しているでしょう。


◇ Irresponsible Rumors 2009

もはや研究者とも言い難い、テレビメディアの学者枠で活動するタレントの茂木健一郎が、Wikipediaに光臨して自分の記述に文句をつけている。が、ぼくから見ればあの記述はまっとう至極。「『タレント』を職業とすると宣言したことはない」って、人は言うことではなくて、やっていることで評価されるの! いい年してそんなことも知らないのかな。他人の批判を載せる意味があるか、とか書いてるけど茂木健一郎に関する関心の大半は、「あの人って研究者とかいうけど研究してんのぉ?」というものだし、「その研究って何なのぉ?」というものなので、それについての批判をちゃんと書いておくことは公共の福祉に資するよいことだと思う。茂木はいまでも自分が科学者で研究者だと思いたいんだねー。でもかれの処女作が出たときに書評を書いたけど、その後10年以上たって、かれはぼくの批判から一歩も進んでいない。「相互作用同時性の原理」とか、少し芽があるかなと思えたものも、いまから考えればベンジャミン・リベットがきちんと実証したものをなにやらぼんやり印象として持っていただけ。ちなみに、上の書評を書いたときにも茂木健一郎はメールをくれて、記述が不当だと愚痴ったんだけれど、結局何が不当だと思っているのかは説明してもらえなかった。今回のWikipediaでの文句の付け方とまったく同じで、ずいぶん懐かしいものを見た。書いている人たちはそれに真面目に対応して、えらいもんだ。そして確かに「タレント」ということばを削除したところで、やっていることを淡々と記述すればだれが見てもタレントとしか思えないという点で、記述の手法としても参考になる。Let the facts speak!
 でも、あれが不当な記述だというなら、茂木的に正しい記述とはどういうものか、かれは自分の無内容な書き散らしをどう思っているのか、そして自分が世間的にどう受け止められていると思っているのか、興味あるところではある。かれは本当に、自分が優れた研究家として評価されてあちこちにお座敷がかかっているつもりんなんだろうか?

http://cruel.org/other/rumors2009_1.html#item2009050901


◇ 連載第?回 Do Your Homework!――思いつきの仮説だけでは、脳も心もわからない。 (『CUT』 1997年6月発売号) 山形浩生

 著者はそれをまるで説明しない。著者がそう思ってるだけ。じゃあ仮説なら、これを仮定すると何かすっきりした見通しがたつのか? そういうわけでもないんだな。で、続いて認識のニューロン原理ってのが出てきて、あらゆる認識はニューロン発火状態のパターンだけで説明できなくてはならないという。これは「その後にはペンペン草一つ生えない」くらいすごい破壊力を持つ原理だそうな。でも、これは証明もされてないし「革新的なポテンシャルがまだほとんど実現されていない」。実現されてないどころか、それで何が説明できるのかも全然まとまらず、著者がすごいすごいと繰り返すだけ。

 次の「認識のマッハ原理」も、「きわめて正しいし深遠」なんだそうだが、いまのところ何の証拠もなく、著者のお気に召さない(しかしそれなりに有効な)反応選択性説が排除できるという以外のメリットは提示されないまま。

 万事この調子。何か実証されたわけでなく、理論的なフレームが明確になるわけでもない。前のほうで仮説だったものが、後半ではいつのまにか確立した原理扱いされるし。

 いくつかの主張は、まあ同意できる。むかしこの欄でも書いたけれど、意味論をちゃんと考えないとダメなんだ、というのはその通り。でも本書は「考えてないから従来の理論はダメ」と繰り返すばかりで、かわりに勝手な前提と憶測に大仰なレトリックをつけて、しかも結論はすべて「まだこれから」。

 唯一「相互作用同時性の原理」ってやつはいけるかも。意識における時間のありかたを、神経の情報伝達速度から考えよう、という議論はすごく興味がある。ある幅を持った「現在」が重なりつつ動く、という議論もいい。でもそれもまだ思いつきだな。

 全編を覆う自己陶酔したレトリックもなんとかならないものか。終章なんかすごいよ。大英博物館ギリシャケンタウルス像を見て「生涯で最大の衝撃と出会った」そうな。「(この)彫像を見るたびに、何か言いようのない深い感動を覚える(中略)ある深遠な真理への予感をこれらの彫像に感じるのだ」

 はあはあ。で、どんな真理? それが本書とどう関わっているの?

 曰く。「彫像が私の胸に語りかけてくるものは、いったい何なのだろうか? 残念ながら、私はそれをまだ言葉にすることができない」

 あのなあ……「いったい何なのだろうか」って、てめーが勝手に感じといて、そんなこときかれたって知るかあっ! ものを書く人間が「言葉にできない」とか嬉しそうに言ってんじゃねえ! なんで脳と心の本で、こんな駄作文を読まされなきゃなんないんだ! 「ケンタウルスの彫像は、想像もできないような新しい知の世界へと、私を誘っているように思われて仕方がないのである」って、思ってればぁ? 根拠なく勝手な思いつきを得意げに並べるのは健在。で、「心と脳の関係を求める知的探求の旅、これほど、人間にとって意味深い、そして高貴な営みがあるだろうか?」あるんじゃねーの? 飯喰うとか子供生んで育てるとかさ。たかが脳科学がそんなえらいと思いなさんな。御説では、しょせんすべてはニューロンの発火でしょ?

http://cruel.org/cut/cut199706.html
12年前。


島田雅彦の過去ニュース(3)

島田雅彦の過剰対談『クオリアという概念をめぐって』
第四回:ゲスト茂木健一郎脳科学
『recoreco Vol.4』2003年1-2号 メタローグ 590円 発売中
(02/12/27) 今年6月に創刊され、今回で4号目となったブックガイド誌『recoreco』。今回はタマタマ買いました。
毎回学者サンを迎えフツーの人には一見縁のなさそうな話題を取り上げてくれるこの対談連載。今回は脳の研究をしている茂木健一郎氏と《クオリア》についてのお話をしています。世間で《クオリア》なるモノを知っている御仁ってそういないよね?。私はゼーンゼン知らないどころか初めてみた言葉です。《クオリア》とは「赤い色の質感や、あるいは“ぐっと”来る感じのように、私たちの主観的体験を構成している様々な質感を指す言葉」(原文ママ)だそうです。小説家・島田雅彦としてもそういう“心の機微の仕組み”に興味津々。快楽の種類(機能的なモノと感情的なモノの差みたいな)とかで説明しようとしてるんだけど結局は“一概には言えない”モノらしく話が堂々巡りになりそうなところを島田雅彦がミョーに具体的なたとえにオトシてくれていて、何とか読める状態にしてくれています。せめて、なんのためにこの《クオリア》を研究してるのか言ってくれればモウちっとは取っつき易かろうにナ〜(気安く取っつくモンじゃナイって?)。この茂木氏、ソニーの研究所の人なんだけど、それが何に活かされ、どう商売になるの?ロボットか?アイボ??そっちの方が知りたい〜。
ところでこの茂木氏は『島田さんは恋愛達人ですよね』と当然のことのように言ってます。エッ!恋愛してるトコを見たんですか?達人ってナニ!?

http://www1.odn.ne.jp/~cbb75250/news-kako3.html
クオリア」という言葉が世間一般に流布する前夜のころ。


>>>[くおりあ]ドクター茂木健一郎 関連メモ
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090506#p2


>>>[要再聴] 高橋悠治茂木健一郎:公開トーク『他者の痛みを感じられるか』2005年12月17日(土)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20090422#p2