◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_1
http://www.youtube.com/watch?v=mCaTdCRHlyI
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_2
http://www.youtube.com/watch?v=U3rbRKbYJLU
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_3
http://www.youtube.com/watch?v=nzGHbvoKP4k
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_4
http://www.youtube.com/watch?v=VsgZYhRfaRo
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_5
http://www.youtube.com/watch?v=C56gSJFyuLU
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_6
http://www.youtube.com/watch?v=vPkNr0RAVIc
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_7
http://www.youtube.com/watch?v=trGhtZtiGp4
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_8
http://www.youtube.com/watch?v=ZqN_lZcyv2s
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_9
http://www.youtube.com/watch?v=PVYRhRupNYQ
◇ YouTube - グレン・グールドをめぐる32章_10
http://www.youtube.com/watch?v=67mHQbZtwTw
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>>>mkさんの「石版!」より4題
◇ グレン・グールド;録音と映像 - 「石版!」
残されている録音と映像の両方に触れて気が付くのは、どの映像についても録音とは明らかに違った演奏である、ということだ。録音についてはかなり細かい編集が加えられていることもあるだろうが、ときに(録音と映像とがほとんど同時期のものであっても)基本的なテンポ設定からしてまったく異なる場合も存在する。これらはグールドという演奏家が、かなり反ピアニスト的である、と思う所以でもある。また、それは反解釈者であることを同時に意味する。
通常、演奏家(楽譜の解釈者)は「ひとつの楽譜解釈」を聴衆の前に提示する。しかし、グールドはそれをしない。グールドが提示するのはあくまで「ある・ひとつの・楽譜解釈」なのであり、そこには「別な楽譜解釈」の可能性が常に残されている。その可能性をグールドは隠蔽しない。録音と映像の間に存在する差異は、単なる気まぐれなのではなく、むしろ別な可能性の提示なのである。同じ演奏家がおこなったさまざまなな解釈のうち、どれが「正しいものなのか」、これを聴衆に判断することは不可能であり、選択はほとんど好みによってでしか行われない。その判断不能な状況は、突き詰めれば「正しい解釈が存在しないこと」もまた明示しているように思う。これによってグールドは「ピアニスト=解釈者」である前提を覆す。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081026#p9
>>>高橋悠治さんの『ゴルトベルク変奏曲 』は、
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070822#p3