Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

熊野大学2009メモ

熊野大学:第3期がスタート 作家の「党派」は有用か、停滞した文学市場の打開策議論 - 毎日jp(毎日新聞)

 これまでの大学の中心は評論家の柄谷行人浅田彰渡部直己、高沢秀次の各氏らだったが、第3期からは、聴講生出身で文芸評論家の前田塁中上健次の長女で作家の中上紀、映画監督の青山真治の各氏へと代替わりした。

 会場には若者を中心に100人以上の聴講生が駆けつけた。前田さんは「柄谷、浅田の『飛車角』が落ちた」と表現したが、高沢さんは「これまででは聞くことができない話を聞けた。新しい熊野大学を発信していってほしい」と期待を込めた。

 中上健次は文学だけでなく、他ジャンルとも自在に行き来した。熊野大学の来年のテーマは「映像」、再来年は「音楽」。時代はあと数カ月でゼロ年代から10年代に変わる。節目の時期、中上が残した文化組織の、自由自在なあり方に注目したい。

http://mainichi.jp/enta/art/news/20090831dde018040082000c.html


◇ 小説の可能性めぐり議論 「中上健次以後」の熊野大学 - asahi.com朝日新聞社

 作家中上健次が始めた熊野大学和歌山県新宮市で先月開かれた。没後17年。参加者の多くは中上死後、作品に接した世代だ。講師陣でも中上を直接知るのは最年長の島田雅彦氏、長女の中上紀氏だけ。中村文則氏、円城塔氏、東浩紀氏、前田塁氏ら講師側も「中上以後」世代による「第3期」熊野大学のスタートである。

 話を引っ張ったのは東氏。村上春樹氏の新作『1Q84』だけが驚異的に売れている事態に、「あらゆる業界で売れる売れないが二極化している。アニメだって売れない物は数百単位しか売れない。その中間をいかに増やすか。生き残っていくために力を使う、それが抵抗だ」と、すっぱり。小説を売る仕組みの再構築の必要性を語る。

 たとえば以前の「J文学」のように連帯・集団化して見えやすいレッテルを創出するなどの策を出すと、島田氏が「それ、昔だと同人誌だ」。「やるべきです。シーンを作ることが大事」と東氏。すると中村氏が「僕らの世代は、くくられるのがいやなんですよね」。東氏は「いい作品さえ書けば残ると思うのはロマンチシズム。いい作品を発見できる読者がいなければ残らない。中上は100年後にも必ず残りますけど」。

http://book.asahi.com/clip/TKY200909080069.html


◇ 熊野で文学を考える「21世紀の日本で小説は本当に可能か」熊野大学夏期セミナー - 本列島ふるさと新聞

 ▽島田さん=中上健次が見ていた当時の世界情勢をどう作品の中に反映させるかは私の問題としても共有していたつもり。中上がその後、冷戦時代が終り、米ソの抑圧からある意味解放され、別の意味ではさらなる抑圧を受けるような世界をどうみたのか、あるいは受けながらどういう作品世界を展開していったのかは想像するしかない。それが中上の死後の私のテーマにもなっていたと思う。
 純文学のマーケットは確かに20年前に比べると圧倒的に縮小している。近代文学はある意味メーンは農村、漁村から都心に出てくる一種の立身出世の物語であり、資本主義的格差を埋めるという行為なわけだが、ある程度高度成長が達成された日本で不均衡な世界を探すことが近代文学の延命にとって必要不可欠だった。その場合、文学のマーケットを日本の外に見出すしかないというのは確かにその通りと思っていた。私も旅をしつつ、近代文学の最後をみとるべきなのかと多少考えていた。冷戦崩壊後の現在もすごい世界史的ターニングポイントになっているので、中上が今をどのように受けとめたかなと考えます。


 ▽東さん=今後10年間で文芸誌が存続の是非を含め、今までの10年間以上の根底的変化を迫られることは間違いないと思われる。今後、成功した小説家はますます小説家以外、文学愛好者以外の存在をこそ意識するようになるだろう。影響力のある小説の読者はますます文学愛好家から離れ、他方で文学愛好家のコミュニティはますます小さく、閉鎖的かつ排他的な存在になって生き残りを図るだろう。そのような乖離(かいり)を経験することなしには、この国で小説について語り続けることはもはや不可能になるだろう。


 ▽円城さん=小説にとってネットが脅威であるならネットへ適応した小説を書くのではなく、ネットのプロトコル(規約)を小説の側に合わせることを考えるべき。多分もっとも恐ろしいのは経済的な失策ではなく、小説という言葉で何が示されているのかが分からなくなってしまうこと。良いものは良いと見れば分かる。これを手放すべきではない。良い小説が出て来ることは確率的な事象。どんな小説を選ぶのかではなく、小説に何が選ばれるのか。あらゆることを試みて、選ばれる余地を最大限に拡大すること。私はそうした視点から考えている。


 ▽中村さん=あらゆるメディアがある中で小説が必要である理由は前提として、文章のみでなければ表現できないことがあるからだと思っている。僕はあえて純文学にこだわりたい。今のような時代には逆に純文学が必要だと思っている。ただ純文学が現在のままでいいとは思っていない。従来の小説を壊すのではなく、生かす方向で少しずつ歩いているつもり。従来の小説のいいところを自分なりに取り出して自分なりに消化して、そこに色々な自分なりの新しいものを加えていきたいと考えている。


 ▽中上さん=モノにあふれた日本、欧米型消費社会日本に生を受けて作家になった私はどこへ向かえばいいのだろう。実はそれこそが問題。我々がたったいま息をし、それぞれの日々を営むこの日本には戦争や飢餓など、国家的な悩みはないに等しい。だからその分、日常の小さな悩みが細分化されてあちこちに散らばっている。それらを丹念に拾い集めて、我々自身が通過してきたさまざまな風景に絡めて、一つの大きな流れを作っていくしかない。今後の日本の文学はもっともっと多様化し、その中から良いものがどんどん生み出されていくに違いないし、そう信じたい。

http://local55.jp/local-news.jp/pwm/newsdetail-1006_12362.html


◇ 天地の辻

熊野大学中上健次(人と作品)に関心を寄せる人のためのブログです。

http://plaza.rakuten.co.jp/kumanodaigaku/


◇ 明治の暗さ - 猫を償うに猫をもってせよ

 『週刊朝日』今週号で東は、今年から熊野大学を若い連中でやることにしたと書いている。東、市川真人中上紀が中心になってやったがつまらなかった。これは最近の作家がみなひきこもりになっているからだ、と書いている。

 冗談じゃないぜ。市川真人が加わったらそりゃ、

http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20090124

 「“ワセブンとユリイカは結託して東浩紀宇野常寛ラインを持ち上げてくよ、でもって市川真人(aka前田塁)がウラで糸引くよ”宣言お披露目大会みたいなもの」

 が熊野大学を乗っ取ったということであって、徒党を組んで排除しておいて「ひきこもり」たあ何ごとであろうか。まるで説教強盗である。

 さるにても若い文藝評論家が育っていないのは歴然たる事実で、これは別段外国でも事情は同じ、みなそんなものより大学での出世を重んじ始めたわけだが、私より上なら斎藤美奈子坪内祐三福田和也富岡幸一郎といるが、下となると、安藤礼二田中和生くらいで、大杉重男は大学の先生になってしまったし、一冊の著書も出さずにいるのもいる。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090818


◇ 第三冊目の新人(上)(下) - シードンどう打つ記
http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-980d.html
http://shiedon.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-3e7d.html


◇ 教祖の熊野大学まとめ - intermediated
http://tokada.tumblr.com/post/159633326

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>>>熊野大学レポート2008 - スマイル・トレーニング・センター

http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20080902/p1
藤本拓自さんのはてなダイアリーより。


◇ Internet熊野大学
http://www.kumanodaigaku.net/

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080904#p4

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>>>早稲田文学十時間連続公開シンポジウム ニコニコ動画まとめ
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20081024#p2


>>>“残り四本。東浩紀、かく語りき。40分連続インタビュー。批評とは何か。文学とはどう あるべきか。ゼロアカの意義は。”
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080826#p6


>>>「ライトノベル的 VS ケータイ小説的」―ファスト風土の文学的想像力―@ジュンク堂新宿店 打ち上げの映像
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080910#p2