■スターバックスのマルセル・デュシャン
葉巻が吸えぬ馬鹿馬鹿しさに憤慨しながらも、
午後のエスプレッソを啜りながら、好敵手と一手交えるチェスの鬼。
を、想像。私は煙草吸いません。嫌煙派でもないのだけれど。
■ミスタードーナッツのシュトックハウゼン(菊地成孔)
「あんなものは所詮ナイトクラブのクセナキスだ」///
彼の当面の恋人は電子音楽だった。トータルセリエールより遙かに若く、
無限の可能性を秘めていると思われた電子音楽に世界中が沸き立っている様だった。///
ディスクジョッキーという凶悪なコロスの合図によって、
カールハインツ・シュトックハウゼンは生涯最悪と思われる55分間のスタートを切った。///
罵倒からこうした宝石が生み出される可能性が報告され続ける限り、
貴方は人を傷つけるのを止めてはならない。
http://www.amazon.co.jp/dp/4093875189
■再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070912#p3)
■菊地成孔さんの原稿「ミスター・ドーナツのシュトックハウゼン」発掘!
http://web.archive.org/web/20020613060042/www.jah.ne.jp/~kikuchi1/TDFC/1999/msd/msd.html
読めない場合はテキストエンコードの変更を!
ちなみにこれは、菊地さんの創作(フィクション)です。
(参考)http://d.hatena.ne.jp/n-291/20051222#p2
-
-
- -
-
あと、下記リンクもどうぞ。
■シュトックハウゼン・インタビュー - 「石版!」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071017#p2
◇ 菊地成孔の「ミスター・ドーナッツのシュトックハウゼン」 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ
おお、「ミスター・ドーナッツのシュトックハウゼン」も載ってるじゃん! しかも、当時のユリイカ編集長・須川善行氏との往復書簡つきだ。おもしろいなあ。(←原稿の成立過程が垣間見えておもしろい、ということです。追記)
http://web.archive.org/web/20020815095412/www.jah.ne.jp/~kikuchi1/TDFC/1999/msd/msd.html
このエッセイの載った『ユリイカ』はたしか「解体する音楽」と題された特集の号で、連動したイベントが渋谷のアップリンクだったかであり、えっちら見に行った記憶がある。
ともあれ、菊地成孔という人の文章にこの「ミスター・ドーナッツのシュトックハウゼン」というエッセイで初めて触れ、いたくビビッた。んなもんで、『ミュージック・マガジン』に『スペインの宇宙食』の書評を頼まれたときも、「なーぜこれが収録されていない?」と、このエッセイのことばっかり書いてしまったのだった。ついでだからその書評を貼り付けとくのでご笑覧ください。
菊地成孔の文章をはじめて読んだのは『ユリイカ』 98年3月号でのこと。その掌編「ミスタードーナッツのシュトックハウゼン」は、後年「シリウスの音楽」などと口走ることになるかの音楽家の若き日々における葛藤を、魅力的な、しかしてんでバラバラなエピソードを有機的に結びつけ描出したエッセイで、その綿密かつ巧みな語りに、ああこりゃ適わんなあ、と舌を巻いていたら、あろうことか、最後の最後になって、水も漏らさぬかのごとく構築されてきたこの文章はすべて「私」の嘘、願望であると告げられたのだった。
パタパタパタ。かくして緻密な「構造」はドミノのように前倒しに崩壊し、「力」が姿を現わす。それはあるいは「スノビズム」と呼ばれたりするかもしれない。
本処女エッセイ集は、著者自身のサイトにつづられた日記、雑誌やライナーに発表された散文などを編んだものだ。冒頭の自叙的な文章やDCPRGに関する企画書、ゴダールにまつわる言葉などには同様のスノビズムが伺えるが、食や色についての文はむしろラフで、著者の言葉を借りれば「饒舌で幼児的」。しかし、アルバム『構造と力』における「構造」はブーレーズのそれであるという著者の弁を踏まえるなら(本誌前号参照)、このスノビズムと幼児的全能感はどちらも、ある種のロマン主義的な意志が分裂したものといえるだろう。この意志のあり方が、現在というシニシズムの果てを象徴していると讃えることももちろん可能だけれど、彼の活動が若い連中にうながす反応は「動物的」であって、そういう分裂やズレのはざまをワーカホリックに生き急がずにおれない様にこそ、菊地成孔の現代性というか同時代性はよく現れているのではないか。パタパタパタ。
(『ミュージック・マガジン』2003年12月号)
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20040310/1078856633
栗原裕一郎さん(http://twitter.com/y_kurihara)のはてなダイアリー(id:ykurihara)2004年3月10日より。
◇ 「競売ナンバー49の叫び」とシュトックハウゼン - 鋭眼政権
菊地成孔の「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール―世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間」に収録されている 「ミスタードーナッツのシュットクハウゼン」という作品があるが、「競売ナンバー49の叫び」にはこの作品を予告していたとすら思えるシーンが存在する。
両方の作品に直接関係はなく、たまたま題材がかぶるという程度だが、「競売ナンバー49の叫び」を読まれる方には菊地成孔の「ミスタードーナッツのシュットクハウゼン」もぜひお勧めしておきたい。こちらのほうが読みやすいだろう。
彼の音楽と、著書「シュトックハウゼン音楽論集」に触れることで、「競売ナンバー49の叫び」の電子音楽クラブのシーンや「ミスタードーナッツのシュットクハウゼン」をより深く(擬似的に)体験することができるだろう。
無論「シュトックハウゼン音楽論集」は、「競売ナンバー49の叫び」よりも難解な本といっていい程なので、安易にお勧めしてよいものか悩むところではあるのだが。
シュトックハウゼンの音楽を聴きながら「競売ナンバー49の叫び」を読むというのもありかもしれない。(私はやるつもりはないが)
http://infostreet.exblog.jp/13354897/
>>>いとうせいこうさんの『ノーライフ キング』英語版、「55ノート」ほか
◇ LIFE WORK - WATCH SEIKO
Saussure, Duchamp, Raymond Roussel
ソシュールという構造主義の祖。
デュシャンという現代芸術の魔王。
ルーセルという孤高で無垢な文学者。
彼らアナグラムにかかわる天才たちはなぜ人生の一時期を沈黙して暮らし、
またその時必ずチェスをしていたのか。
二十年にもなろうという昔から、そのことが不思議でならなかった。
55ノートは、その謎を解くための、終わるとも思えない長い覚え書きである。
2004年12月21日から、デュシャンとハルバーシュタットのチェス本が翻訳されている。
http://blog.drecom.jp/seikoito/
>>>“松岡(正剛)さんに「西洋ならばデュシャンやソシュールやベケット、ナボコフにキャロルと、ボードゲームと宇宙について考えた人々がいます。東洋だと誰かいますか? ひょっとすると、いないのじゃないですか?」と聞いてみたら、ほんの少し黙ってから松岡さんが「いや、呉清源がいます」と答えた。”(いとうせいこう)
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20071003#p3