Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

カリフォルニアン・イデオロギー

◇ Californian Ideology - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Californian_Ideology


◇ 書籍詳細 10+1 No.13 特集=メディア都市の地政学 - INAX出版

[批評]
 カリフォルニアン・イデオロギー  リチャード・バーブルック&アンディ・キャメロン
 フィクションズ  ノーマン・M・クライン
 工場と劇場 あるいはトラウマと公共領域について  田崎英明
 ヨーロッパの都市の倫理  ポール・トレノア 
 ジオポリティクスの終焉? 世紀末の複数的プロブレマティックに関する諸考察  ジェラルド・トール

http://www.inax.co.jp/publish/book/detail/d_082.html


◇ 情報自由論>第1回 / 第5回 - 波状言論
http://www.hajou.org/infoliberalism/1.html
http://www.hajou.org/infoliberalism/5.html


◇ 《書評》鈴木謙介著『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(ちくま新書) - 西部邁主催・『表現者』塾(旧東京『発言者』塾)

鈴木は二〇〇〇年代における韓国の大統領選挙に大きな影響を与えたネット上の運動を紹介して、日本と同じように韓国でも、ネット社会が怨念に満ちた「既得権批判」を生み出しがちであることを指摘する。なぜ現代の情報メディアは既得権批判を生みやすいのか。鈴木の仮説は、半世紀ほど前にその基礎を創り上げた人たちこそが、そもそも「既得権批判」という理想に駆動されていたからであるというものだ。

 鈴木はそのルーツを訪ねて、六〇年代アメリカの「ヒッピー」と「ハッカー」の文化を取り上げる。あらゆる管理から逃れた真の自由や感性の全面的解放を理想とするヒッピーの一部に、テクノロジーによる解放を目指した連中が居て、彼らは情報メディアの中にその理想を持ち込んで行った。また、当時のハッカー――「コンピュータ狂」というぐらいの意味――たちは、情報技術が旧来の労働倫理と結びついてビジネス世界を強化し、自由な生活を侵食したり情報管理を進めたりすることに反対して、純粋に個人のハッキング能力だけが価値評価の基準となるような、自由な情報空間を理想としていた。R・バーブルックとA・キャメロンという学者は、この二つの理想が「反権威主義」を接点にして結びついたものを「カリフォルニアン・イデオロギー」と呼び、それが現代のネット技術の発展を方向付けてきたと主張しているらしい。

 こうして生まれた「カリフォルニアン・イデオロギー」が、情報技術の担い手たちの間で、「個人の能力」の発露を至上のものと崇め、あらゆる既得権に攻撃を仕掛ける「新自由主義」の気分を形作っていくことになった。しかも皮肉なのは、彼らがどのような情報環境を作り上げようとも、時間が経てばその環境自体が後続世代から「既得権」として批判されるということだ。もともと情報社会の発展は、新しいメディアを獲得するたびに、より開放的で民主的な環境を求めて先行世代のメディア環境を攻撃するという、「世代交代」と「既得権批判」の繰り返しで成り立っているのだと鈴木は言う。

http://d.hatena.ne.jp/hatsugenshajuku/20081018/1224925593


ダグラス・エンゲルバート - でじたる異言ノォト

ところで、今回の冒頭の記事は、ダグラス・エンゲルバートのインタビュー。ダグラス・エンゲルバートと言えば、先駆的にマウス、グラフィカルな表示、ハイパーテキスト・システム、ネットワーク技術を実装したNLS(oN- Line System)/Augmentで有名。 SRI(Stanford Research Institute)のARC(Augmentation Research Center)で、「コンピュータによる人間の能力の増大」を目指して開発を推進していたことで知られている。と同時に、そのカリスマ的なスタイルは、議論も呼んできた。

ティエリー・バーディーニ著、森田哲訳、『ブートストラップ -- 人間の知的進化を目指して -- ダグラス・エンゲルバート、あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち』、コンピュータエージ、 2002年には、その辺の事情が詳しく紹介されている。特に、研究が行き詰まったARCの末期に、自己啓発セミナーのestが流行して、研究所内が混乱した様子が、ジャック・ヴァレの"The Network Revolution -- Confessions of a Computer Scientist"(Ronin, 1982)を引用しつつ、描かれている。

http://digi-glossolalia.txt-nifty.com/note/2005/01/post_16.html


◇ 江渡浩一郎 Kouichirou Eto(@eto)/2010年03月04日 - Twilog

簡単に言えば、対抗文化のありかたが研究室の運営にまで入り込んでしまい、統率のとれた研究体制を作り上げることができなくなってしまったということ。その中でも自己啓発セミナー(est)が決定的な悪影響を与えたことを指摘している。

posted at 01:03:20

エンゲルバートの初期の業績は本当にすさまじいものがあって、その後のインタフェースのあり方を決定付けたものだったんだけど、逆に不思議なのは、なぜエンゲルバートはその後成果を出せなかったのかということ。その秘密がこの本を読むとわかる。

posted at 00:59:19

『パソコン創世「第3の神話」―カウンターカルチャーが育んだ夢』 http://j.mp/9g16eT 無茶苦茶お勧めです。平たく言うとエンゲルバートの伝記なんだけど、60年代のLSDなどの対抗文化がパーソナル・コンピュータ誕生にどのような影響を与えたかという話。

posted at 00:57:49

http://twilog.org/eto/date-100304


東浩紀クォンタム・ファミリーズ』|書評/対談 - 新潮社

東浩紀と「家系」の問題  法月綸太郎

 このような読解は恣意的に見えるかもしれない。しかし思想的な背景に目を向けると、両者の接続には必然性がある。たとえば『一瞬の敵』には、後年「カリフォルニア・イデオロギー」(東の情報環境論「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」を参照)の発信源となるパロアルトという地名が出てくる。つまりこの時期のロスマクと『ヴァリス』の作者であるディックは、同じトポスの呪縛から逃れられない。またウィリアム・ゴールドマンはロスマクの作風について、「幽霊(ゴースト)が彼のテーマである。彼の登場人物はわたしたちがそうであるようにみな幽霊をしょっている」と述べている。いうまでもなく、東のデリダ論『存在論的、郵便的』の第一章は「幽霊に憑かれた哲学」と題されていた。

http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/426203.html


>>>LSDの「S」
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20070809#p3