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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

宮台真司さんのブログより3題

シネマヴェーラ足立正生特集を記念して10年以上前の原稿をアップします - MIYADAI.com Blog

■同じく『ゆけゆけ』に描かれた、周囲に開かれていて街中を見渡すことができる屋上は、しかし出入口の鍵を閉めれば完全な密室となる。この「開かれた密室」こそ「どこへも行けそうで、どこへも行けない」現実のメタファーなのだ、と69年に松田政男が論じている。
■その松田政男も制作に加わった『略称・連続射殺魔』は、「どこかに出かけよう」と思って上京した青森県の男が、結局「どこへも出かけられず」に銃弾を発射するが、その結果投獄されて文字通り「どこへも行けなくなる」という現実の逆説を、モチーフとしていた。
■こうして「ここではないどこか」が結局「ここ」に回帰するという循環図式を否定的に描くことを基本モチーフとしつつ、しかし足立映画は「ここ」から「ここではないどこか」に通じそうに見える「規定不能な場所」を、暗闇に光る鬼火のように、肯定的に描き出す。

■「革命家を笑う」というモチーフは、足立監督『性遊戯』や、この作品の影響下に脚本が描かれた若松監督『現代性犯罪絶叫篇・理由なき暴行』にも反復された。足立は60年代に既に、革命家が、革命家(笑)でしかありえない「日本的現実」を明晰に認識していた。
■足立は、革命家が革命家(笑)でしかあり得ない、すなわち「ここではないどこか」が「ここ」でしかあり得ない、という「悪い場所=ここ」を嫌い、パレスチナなる「ここではないどこか」に出かけた。だが「そこ」は果たして「良い場所=どこか」たり得たのか?
■この問いは結局、丸木戸「避妊革命」は果たして革命たり得たのかという問いに対する、『避妊革命』自体での、諧謔的笑いに満ちた「肯定と否定の両義的回答」に帰着する。足立の恐ろしさは、映画の説話論的な循環に、自らの人生をも組み込んでしまった点なのだ。

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