Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

岩元真明さん(id:masaaki_iwamoto)のツイッターより

◇ m_iwamoto (m_iwamoto) on Twitter

以下、「機械化の文化史」ギーディオンからの引用ツイート

「ナポレオンは十八世紀に育った人間で、人生における特定の場はそれにふさわしい環境がなければならないと深く信じていた。そこで彼自身の環境も、家具や装飾品に至るまで、新しく作り直す必要を感じた。...すなわちアンピール「様式」とはナポレオンの写し絵であり、ナポレオンという人物の

不可分の一部であった。」ギーディオン『機械化の文化史』p.314

「ナポレオンは、後の時代である十九世紀を支配し形成した人間像、つまり独立独歩の人間の典型であった。」Ibid.

「ナポレオンは、これらの国々の財源を枯渇させ、イタリアからは手あたり次第にあらゆる美術品を略奪し、すべて、アルプスを越して運び去った。そして一七九八年、パリで開かれた第一回の工業博覧会では、名作を満載した勝利の馬車を引かせた。」ギーディオン『機械化の文化史』p.315

「ナポレオンの悲劇は...新しいヨーロッパを創造することに失敗したことにある。...彼はヨーロッパの古い王朝支配を模倣し、王朝の称号や儀式、統治形態も採り入れた。...こうしたことが、ナポレオンという人格を二つに引き裂いた。彼は全体的統一を志向した十八世紀間隔を失ってしまった。

...封建的でも民主的でもない、時代遅れの様式に基づいて作られた彼の帝国は、あらゆる意味で不適当なものだった。」ギーディオン『機械化の文化史』p.316

「ナポレオンは、対社会的にも自分自身を失ってしまった。それは、自分の社会的地位を粉飾しようとして趣味の向上に身をやつし、結局破綻をきたした、後の産業時代の独立独歩の人間像でもあった。...彼は、カエサルと我身にふさわしい様式を望み、ためらうことなく自分の世界を表現することに努めた

。その様式は、徹頭徹尾、彼の刻印をとどめている。」ギーディオン『機械化の文化史』p.316

「ペルシェとフォンテーヌという二人の建築家は、帝政的な感覚を具体的な形で表現するにふさわしい人物であった。...二人のうちでは、フォンテーヌのほうが技術者であり、晩年、パレ・ロワイヤル内部にガラスの丸天井をもつガラリー・ドルレアンを制作している。この回廊(ガラリー)は、後に十九

世紀のガラスと鉄を素材とした建築物の出発点の一つを画したものである。」ギーディオン『機械化の文化史』p.317 →これ、パサージュの誕生のことである。

最初期のパサージュであるパレ・ロワイヤルのギャルリーは、やはりナポレオンと関係しているのか!

「一方、シャルル・ペルシェはデザイナーであり、...彼は、外の世界に何の関心も示さず、帝政末期には、ルーブル博物館の自室にひきこもって、...」ギーディオン『機械化の文化史』p.317

「ペルシェとフォンテーヌの一七九四年から一八一四年(一部には一八一二年とも言われる)までの共同作業は、アンピール様式の形成と展開そのものであった。」Ibid.

「ペルシェとフォンテーヌ、および彼らがあらゆる分野で創り出していったアンピール様式は、十九世紀を理解する上での鍵である。この二人を初期の代表者とする支配的趣味は、個々の物の形態を際立たせはしたが、物の根底をなす現実からは遠ざかった。」ギーディオン『機械化の文化史』p.321

「ナポレオンという人物を、産業の分野でたたきあげられた人物と同等に扱うのが適当でないように、ペルシェとフォンテーヌの仕事を、その生産物で十九世紀を水浸しにした装飾業者の水準で捉えることもまたできない。」ギーディオン『機械化の文化史』p.322

アンピール様式の本質を捉えるには、まず装飾を取り上げなくてはならない。」ギーディオン『機械化の文化史』p.322

「支配的趣味」の原語はなんだろうか。

ギーディオンは、アンピール様式の装飾が「空間の死滅」をひきおこす、と論じる。

「このような装飾もかつては全体の構成の中でそれなりの意味を持っていたのかもしれないが、しかし、ここでは装飾は全体の文脈から機械的に切り離されて用いられている。...アンピール様式のこのような状況は、まさに象徴の価値の低下以外の何ものでもなかった。」『機械化の文化史』p.325

ギーディオンとベンヤミンは、なんと問題系が近接していることか....。取り組む姿勢は180度違うが。

アンピール様式のこのような状況は、まさに象徴の価値の低下以外の何ものでもなかった。ナポレオンは、貴族の地位を低下させると同時に、装飾の価値をも低下させたのである。」ギーディオン『機械化の文化史』p.325

アウラの凋落のような話である。複製品が象徴の価値を低下させる。複製品の登場は、技術の発展だけに依るのではなく、階級の地殻変動にも大きく影響する、ということか。アンピール様式がその好例。

つまり、「複製品を求める階級」と「複製品をつくる技術」が揃うことで、複製品が世界に氾濫した、ということ。

書いてしまうとあたりまえのことだけど、前者は見落としがち。

「ローマ人にとって月桂冠は特別な意味を持っており、ごく稀にしか用いられなかったが、帝政時代にはほとんどアンピール様式の商標にさえなった。...また棕櫚の枝を手に王冠を抱く勝利の女神の彫刻が、ティーポットにまで彫られていることに対して、人びとが何の違和感も感じていなかったことに注目

しなければならない。」ギーディオン『機械化の文化史』p.325

「十九世紀におけるアンピール様式への決定的な第一歩は、空間の崩壊をもって始まった。家具は、自己完結的な建築と同じ扱いを受けるようになった。それは独立した実体とみなあされ、周りの空間とつながりを欠いたものになった。」Ibid.

「ペルシェとフォンテーヌは、この点について次のように説明している。「エジプト様式を採用したのは、そのようにすると珍しい木材や種々の化粧張りをふんだんに使う口実が得られるからである。」...ここでは、異国趣味と装飾性が、判断の基準となっている。」『機械化の文化史』p.326

異国趣味と装飾、あふれる象徴性、イコノロジーベンヤミンの「夢の家」=コールハースの「マンハッタニズム」に共通して現れる特徴。ギーディオンは、その起源をアンピール様式に見るか。(ベンヤミンもかなり近いところを旋回してる。パサージュ論の「室内装飾」に関わる部分。)

アンピール様式の室内装飾が、「女性の部屋」からはじまったようにギーディオンは記述するが、これは正しいのだろうか

アンピール様式が最初に現れたのは、真剣なデザイン的考慮の対象とはほど遠く、一見したところアクセサリーにすぎないような物においてであった。ドレイバリー(掛け

「人間の飾りたいという願望は生得的なものであり、愛したり飢えを凌いだりする欲求と同様、否定できるものではない。ギーディオン『機械化の文化史』p.328

「問題はこの願望がどのような形で満たされるかということである。...ここにも十九世紀全体を通じてみられた、象徴の価値の低下が示されている。」Ibid.

「機械は彫刻や絵画、壺、花瓶、絨毯を大量に生産し始めた。それに伴って、家具はずんぐりした印象を与えるものになり、形も鈍重になっていった。それに続いて、装飾に対する要求が増大し、ありとあらゆる物が部屋に詰め込まれるようになった。そして、生産コストが下がれば下がるほど、このような装飾

品はますます増加していった。」「ここでは、落ち着いた環境と空間の気品に対する感覚は失われてしまったかのようである。画一的な嗜好がすべての社会階層に行き渡り、ただ違っているのは材料と仕上げだけであった。」Ibid.

「機械化それ自体は、良くも悪くもない中立的な現象である。問題はその利用の仕方である。支配的趣味は、装飾品の大量生産が始まる以前に、すでにアンピール様式に表われていた。機械化は、ただこうした徴候を途方もなく増幅したにすぎない。」ギーディオン『機械化の文化史』p.329

「一八三〇年代から四〇年代の初めにかけて、工業は装飾の各分野に驚くべきスピードで浸透した。...一八四〇年頃には、機械化の濫用の結果として素材に対する感覚は荒廃し、あるいは少なくともその力を失っていった。」「機械化の誤用は安い材料を高価な塗装で隠すことにとどまらなかった。

部屋を満たす装飾品を製造する工夫がいくつも考案された。型打加工、圧搾、押抜き、鋳型やダイスの製作などがそれである。一八三八年に特許を認可を受けたものには、「彫刻品の凹凸を型にとって打ち抜き、表面に浮彫り加工をして原型を複製する方法」があった。一八四四年の特許には、「型打加工、

型付加工、型どり加工用ブロック」の製造に関するものがあった...」Ibid.

1851年の万博。「一方に高度に発達した機械化の産物があり、他方には原始的で労働集約的な手工芸品が展示されていた。そこで、「文明が進歩し、知識や労働の価値が高まると趣味の本質は犯されるのだろうか」という疑問が生じてきた。...それ以来次第に、高度な機械化は生活の質の向上につながら

ないとう事実が誰の眼にもはっきりしてきた。」ギーディオン『機械化の文化史』p.334

「装飾品の機械化が大衆の支配的趣味と軌を一にする現象であったことは疑う余地はない。」ギーディオン『機械化の文化史』p.336

「強い反対を受けながらも、オーエン・ジョーンズは、ゼンパーの方法にならって水晶宮の骨組みを彩色した。」ギーディオン『機械化の文化史』p.338

「彼はそれに成功をおさめたようである。当時の批評家の次のような言葉からもそれは窺える。「建物を形造っている粗野な材料は、色彩の中に完全に融け込んでいる。建物は、色彩で飾られているのではなく、色彩で構成されている。こうした私の印象は、時間がたつにつれて、ますます強くなっていった」」

ギーディオン『機械化の文化史』p.338。ああ、クリスタルパレスは色つだったのだ。ああ。

ギーディオンは、万博の立役者であるヘンリー・コールの思想に、J.S.ミルの功利主義との同時代性をみる。(事実、コールとミルは知己だったようだ。)

やっぱクリスタルパレスは色つきなんですね。パルテノンが多色だったという説を聞いたときと同じくらい驚きました。RT @ersmtm 東大の博物館で、模型なら見たことあります。確かに色つきでした。

ピュリズムに見られる「輪郭の婚姻」をギーディオンは指摘する。やっぱギーディオンはル・コルビュジエの味方だよな。

「機械生産される装飾の分野はこれとはだいぶ様子を異にしていた。そこにみられる逆巻く面や苦渋に満ちた曲線は、互いにつながりをもっていない。...彫像や絵画、壺や絨毯は、一つ一つ取り上げてみると、無害な、どうでもいいものばかりである。その中には、グラン・ヴィル(一八〇三〜四七年)の

木版画を思い起こさせるような、痩せ細った自然主義的傾向を示したほほえましい製品さえある。」ギーディオン『機械化の文化史』p.342

グランヴィル、キタ-!!!! ここまでベンヤミンの興味とギーディオンの興味が一致すのは、偶然だろうか?

「機械生産された過去の記念物、そのがらくたの山に囲まれて、形と素材に対するもって生まれた感覚は腐敗し、空間に対する規律のとれた扱いは失われた。こうしたことは十九世紀の中葉以来わかっていたことだし、それに対する批判もいやというほど行われてきたが、結局あまり大きな意味をもたなかった。

要するに、物そのものの力のほうが批判の力より強かったということである。...この状況を明らかにすることが、実はシュールレアリストの仕事の一つであった。彼らは十九世紀の意味あるもの、無意味なものを同時に捉え、この陳腐さと不気味さの絡み合った現象がいかに時代の根を貫いてきたかを示した

。」ギーディオン『機械化の文化史』p.342-343 →まさかのシュールレアリスム展開。ベンヤミンシュールレアリスム論との関連はあるのか?
Fri Dec 17 2010 01:06:34 (J

マックス・エルンストほど鋭くこの状況を描き出した人もいない。...ここで取り上げたいのは彼の絵物語、特に『百頭女』である。...この絵物語は、久しく忘れられていた前世紀の木版画を切り貼りして作ったコラージュだが、マックス・エルンストはそれを「芸術作品」の地位に高めた。」

ギーディオンは、エルンストの作品に、「象徴の価値の低下の実態が、非合理なイメージを通じて明らかにされている。」と考える。(p.343)

ちなみに、『機械化の文化史』は、オリジナルは1948年出版。

「室内装飾化(タピシエ)とは、織物とその模様のデザインを仕事とする職人のことである。」ギーディオン『機械化の文化史』p.345

「雑然とし、それでいて華麗な光景が人びとの心をとりこにしたのも、それが混沌とした感情生活を反映していたからである。室内装飾家は、家具や掛け物などを飾り立てることによって、煤けた工業化時代を生きる人びとを蠱惑する、お伽の国をしつらえたのである。」『機械化の文化史』p.345

「フランスでは、第一次帝政下に引き続いて第二次帝政においても、特有の様式が発展した。多くの過渡的な家具がこの時代に初めて姿を現した。しかし、当時の社会構造は、すでにナポレオン一世の時代とは大きく変化しており、彼の後継者は自分の生活に適した様式を作り上げることはできなかった。

そこで、部屋全体を飾り立てるといった新しい型の装飾は、無名の新興階級、すなわちナポレオン一世を初期の代表者とする立志伝中の人の趣味を中心として発展した。室内装飾家の仕事と新興階級の趣味とは一対をなし、同じ方向をめざしていたようである。」ギーディオン『機械化の文化史』p.346

「ドイツにおける一八七〇年以降の、熱狂的ともいえる工業化は、支配的趣味の急速な進展と並行して起こった。何物も象徴の価値の低下に抵抗しえなかったようである。」『機械化の文化史』p.346

支配的趣味 = ruling tasteだった。そのままか。

@ps24on あ、どうも。『機械化の文化史』の第V部、第三章、「十九世紀-機械化と支配的趣味」は読んでみたらよいと思います。現代の装飾の起源を調べる上では、基本的文献となると思います。

僕のカンでは、『機械化の文化史』の第V部第三章「十九世紀-機械化と支配的趣味」は、パサージュ論の「I.室内、痕跡」および『複製技時代の芸術作品』の影響下にあります。あわせて読んでみたらよいと思います。

あと、ベンヤミンの『シュルレアリスム』。

「室内装飾家の安楽椅子ははっきりした形をもたなくなり、構造の明確さを失って骨のないようなものになる。 椅子やソファーの骨組はクッションに埋もれて見えなくなったが、このことをフランス人は「木に対する装飾の勝利」と呼んだ。」ギーディオン『機械化の文化史』p.347

「イギリスが(型打加工や圧搾加工、代用材の使用によって)装飾の機械生産を推し進めた工場であったとすれば、フランスは支配的趣味が歩むべき道を知的な形で定式化した。この分野の旗手・シュナヴァールも、ルイ・フィリップの宮廷のために彼自身がデザインした作品より、そのカタログを通じて趣味に

影響をおよぼした。」ギーディオン『機械化の文化史』p.350

「一八五一年の時点でも、渦巻バネを安楽椅子に取り付けることは、一般的ではなかったようである。一八五〇年代の初めには、著名な建築家であるマーティン・グロピウスが、渦巻きバネを使った安楽椅子を製作した。」ギーディオン『機械化の文化史』p.361

「十九世紀最後の数十年間、室内装飾家の権威は上がる一方であった。彼はその分野にも属さない雑貨を一手に引き受けた。たとえば、原画を得られない中産階級には、金の額縁入りの油絵を提供した。室内装飾家は過去を機械的に復元したがらくたを素材として、静物画を構成した。一八八〇年のフランスでは

、こうした奇妙な作品は動く装飾品(デコラシオン・モビル)と呼ばれたが、これらは何げなくテーブルや椅子の上に並べられ、それにクッションと掛け布を配すると、その効果は満点となった。」ギーディオン『機械化の文化史』p.366

「室内装飾家が描き出す変幻自在な光景は至る所に見られた。」ギーディオンは、エルンストの『百頭女』(ブルトンが湖底の光景とよんでいる)を、「ダダ的なコラージュを通じて、このような状況はすでに克服されている。あるいは、適当な距離をとって呼び起こされている」

と呼んでいる。(ギーディオン『機械化の文化史』p.366)

シュールレアリストが嘲るように描き出しているのは、...自己の魂を求めての終わりなき彷徨に他ならない。それは家庭という地獄から逃れたいとするノラの願望、『ロスメルスホルム』における水車用水の決壊、『 幽霊』でのオスヴァルの狂気に表現されている。それらにも、『百頭女』の場合と同様

、新しいシンボルを形成することなく既存のシンボルの価値を低下させ、真の自己に至る道を発見しえなかった一九世紀の姿が描かれている。」ギーディオン『機械化の文化史』p.366

きょうの読書はおしまい。なう。

http://twitter.com/m_iwamoto


ジークフリート・ギーディオン『機械化の文化史―ものいわぬものの歴史』(訳:榮久庵 祥二 鹿島出版会

1977年に刊行され長らく品切れとなっていた書が新装版となって復刻。
近代文明の一側面として機械化と人間生活との関り合いを立体的に描きつつ、人類史の根底を形成する道具の歴史を系統的に叙述し、機械文明の変容をデザインの方法意識の下に解明する。機械が変えた人間と社会。それは、アノニマスなものが日常に浸透するプロセスである。「ものいわぬものの生活」においては、小さな道具や物が寄り集まると、爆発的な力を獲得する。『空間 時間 建築』に次ぐ大著。
■目次
はじめに
・第一部 ものいわぬものの歴史
ものわぬものの歴史/研究方法
・第二部 機械化の起こり
運動/進歩に対する信仰/機械化の諸問題
・第三部 機械化の手段
手/規格化と互換性/複雑な手工業技術の機械化/アッセンブリーラインと科学的管理法
・第四部 機械化が有機体におよぶ
機械化と土/機械化と有機物質 パン/機械化と死 食肉/機械化と生長
・第五部 機械化が人間環境におよぶ
中世の快適さに対する考え方/十八世紀における快適さ/十九世紀 機械化と支配的趣味/十九世紀の構成的家具/二十世紀の構成的家具
・第六部 機械化が家事におよぶ
家事の機械化/家事における機械的快適さ/冷蔵の機械化/流線型と全面的機械化
・第七部 入浴の機械化
入浴の機械化
・結びとして
均衡のとれた人間

http://www.xknowledge.co.jp/book/detail/30604511
http://www.amazon.co.jp/dp/4306045110


◇ 『機械化の文化史――ものいわぬものの歴史』ジークフリート・ギーディオン - 現代美術用語辞典|美術館・アート情報 artscape

プラハ出身の歴史家ギーディオンが、第2次大戦期のアメリカ滞在の研究成果をまとめた、日本語訳にして2段組み700頁に及ぶ大著。ドイツ美術史の空間論を建築へと延長した『時間・空間・建築』(太田實訳、丸善、1969)によって建築史に確たる地位を築いたギーディオンは、次作として一転して「ものいわぬものの歴史」の記述を試み、工場、農業、食品、家具、装飾、家事、入浴といった日常生活のさまざまな側面の歴史を、機械化という契機と結びつけて語ろうとした。人間の身体が機械に取って代わられていくことへの期待と危惧は、古くはド・ラ・メトリの『人間機械論』以来の立場であるが、「機械化を単純に肯定したり、否定したりすることはできない」とするギーディオンの立場はいささか曖昧で、そのためかこの浩瀚な大著を貫くパースペクティヴは見えにくい。とはいえ、機械文化論の名著として知られるR・バンハムの『第一機械時代の理論とデザイン』(石原達二ほか訳、鹿島出版会、1976)なども、本書なしには決して書かれえなかった。バンハムの言う「第二機械時代」をも過ぎた現在、『機械化の文化史』が提示した微視的な視線はその続編が書かれることを促しているようにも思われる。
[執筆者:暮沢剛巳]

http://artscape.jp/dictionary/modern/1198096_1637.html


※過去の岩元真明さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%B4%E4%B8%B5%BF%BF%CC%C0