Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

宮台真司さんのツイッターより

宮台真司 (miyadai) on Twitter

長澤さんありがとう。僕が日頃語っていることを裏切る話をする数少ない機会でした。RT @anpublishing: 中平卓馬展関連企画、宮台真司トークイベント終了。スリリングな実りのある会となった。真摯に語って頂いた宮台さんに感謝。私なりの要約では“中平卓馬の作品は世界の訪れを指し

中平「壊れて以降」作品は主体の不在ゆえに表現ではなく、従ってそれ自体は解読不能な暗号ですが、全前衛表現に孕まれざるを得ない大嘘を映し出す鏡として機能する、恐ろしい何かです。 RT @phishdeleuze:...

昨日の中平卓馬イベントでのトーク鍵概念[備忘録]:古戦場、〈世界〉から見られているという恐怖、知覚障害、ビンズワンガー、〈世界〉に脅かされ眩暈に沈んだ出発点、幸福感とは真逆の究極の不安を思い出す懐かしさ、マルクーゼ、テクノユートピアからカオスモスへ、他の全てを映し出す長き不在…

[承前]子宮回帰かカオスモスか。人類補完計画か鉱物か。「満点の星空」か「混沌の眩暈」か。「幼年期の終り」か「結晶世界」か。「結晶世界」か「クラッシュ」か、上海、テクノロジカルランズケープ、崖から滑り落ちたあと途中の木に引っ掛かったまま地面に落ちることも崖上に戻ることもなかった男、

[承前]続いて喫茶店トーク備忘録。なぜ中平作品の対象は凡庸なのか。なぜ中平作品にはシャッターチャンスが存在しないか。なぜ中平作品への署名が拒否されるか。なぜ中平(作品)は写真家たちの恐怖対象なのか。カイヨワのシュルレアリスム批判(とカイヨワ排除)。中平による森山肯定と荒木否定。

[承前]にもかかわらず宮台は荒木と篠山を擁護。中平と篠山の等価性。写真家とは世間に肯定された表層の反復機械に過ぎない(か)。中平的なものの反復:初期ギリシャ(暗黒)→ダビンチ(サイファ)→初期ロマン派(不可能性)→マルクーゼ(カオスモス)→バラード(テクノロジカルランズケープ)。

[承前]なぜ「ネットに共同性があり得る」の凡庸にヘドが出るか。なぜ「無縁社会はいけない」の凡庸にヘドが出るか。なぜ「繫がりにも色々あり得る」の凡庸にヘドが出るか。なぜ若手論壇(?)の凡庸にヘドが出るか。なぜ宮沢賢治(バラードとベアと宮台自身)が鉱物にこだわるか。二千五百年前の憂鬱

ところで敦賀からの帰路、中平イベントで何を喋るか考えてまとまらず、不貞寝。帰宅後、ちょっとした事件があって1キロのマラソン。へろへろになって銀座に到着。珍しく何の準備もなく完全アドリブでトークに臨むしかなくなりました。そのぶん素の僕が出たのでしょうか、何人かからベストプレイだと…

一昨日からの強行軍がたたって、夜9時に昏睡。午前1時に目が覚めたら、少しずつ何を喋ったのか思い出す。どうせすぐ忘れてしまうので僕(と聴いて下さった観客の方々)のために備忘録を。僕と観客以外の方々には意味不明であることを承知で。人類補完計画世界市民論の、幼児性と凡庸性への、不快

このあたり深すぎるので公式に喋ったり書いたりしてません。『サブカル神話解体』での荒木擁護(18年前)は政治的ロールプレイで、荒木擁護の本質的理由は完全に別です。ヒント:荒木のロールプレイの背後にあるもの。RT @tetsuro_h: え、宮台真司て荒木擁護派なの?ググっても

山本一郎さんこんばんは。山本さんのRTは納得できます。少し予感もありました。RT @kirik: RT @miyadai: [承前]なぜ「ネットに共同性があり得る」の凡庸にヘドが出るか。なぜ「無縁社会はいけない」の凡庸にヘドが出るか。なぜ「繫がりにも色々あり得る」の凡庸にヘドが出

先日はありがとうございました。それがテレビでなく映画である以上、ハードルを超えていただきたく。『ヘヴンズ・ストーリー』ラスト出産シーンのヘドだけは回避してほしく。RT @chimumu: ひょっとして、宮台真司氏は、中平卓馬は、ちょっとちがうかもしれないが、たとえば預言者のような

[承前]chimumuさん、イベントでは「凡庸さ」を「映画で言えば、冒頭5分以内に全てが見通せて、見通しの枠内で120分が終わるような作品」と申しました。そのような作品を回避することを目指せば--とりわけ映画を見続けてきた目利きを対象に回避を目指せば––必然的にハードル超えに…。

[承前]補足すると『ヘヴンズ・ストーリー』ラスト10分は極めて中平「壊れて以降」作品に近い謂わば初期ギリシャ的モチーフ[Truth;the stream]で、だからこそ僕は各所でベタ褒めして、ラスト出産シーン問題は政治的理由で指摘しませんでした。つまりここにさえ目をつぶれば最高。

そうです。収束ではなく発散。回収ではなく放置。せいぜいソポクレス(を踏まえたパク・チャヌク)のような「物語を自己否定する物語」の形だけが許容可能な「一つの物語」かと。むろん不人気覚悟が必要かと。RT @chimumu: 一つの物語のフォーマットを使っていては無理ですね。 RT

分かります。社会への帰還ではなく〈社会〉への帰還でなければ。中平的な?「対象の凡庸」の非凡?への帰還。人倫や人情としての社会ならぬ三色すみれ(レビストロース)的〈社会〉への帰還。RT @chimumu: “世界”に触れて帰還するストーリーはエンディングが非常に難しいんです

はい。人間として社会に戻るのでなく、機械として(鉱物として)社会に戻ること。しかしこれが誤解されると、オウム翼賛者として批判された中沢新一氏(の稚拙)と同じ道を辿りかねません。難しいところです、本当に。RT @chimumu: しかも、非常によくわかるのである。

あっ 僕の言いたかったことが素敵にパラフレーズされていると直観しました、ありがとうございました。RT @hu2001: @miyadai @chimumu 「孤独に歩め悪をなさず求めるところは少なく林の中の象のように」ですかね。

あるいは「全体に統合されることによる救済から、断片へと解体されることによる救済へ」。

まえきゅー、こんばんは。こんなとこで会えるとは。押井『イノセンス』をここで持ち出すところはさすがだね(^^)/、まえきゅー。RT @maeq: @miyadai @hu2001 @chimumu ブッダの言葉(個人的には『イノセンス』の印象が強いですがw)に繋がる話なのですね。

あっ そうでしたっけ。RT @hu2001: @miyadai @chimumu いえいえ、ぼくではなくて、押井守および「イノセンス」からの受け売りでありますよ。「イノセンス」は基本的にそうした物語後の物語なので、通じるところがあるかなぁ、とぱっと思いました。

はい。しかし『ヘヴンズ・ストーリー』はたとえ出産がなくても十分にカタルシスがあったかと。それをチラシで「人の情けに涙するのでなく、世界の摂理に涙する」と。RT @chimumu: ...純度の高いハッピーエンドもアン・ハッピーエンドもない。...それではカタルシスをどう作るのか。

http://twitter.com/miyadai


※過去の宮台真司さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%B5%DC%C2%E6%BF%BF%BB%CA