Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再々々録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080624#p5)

■「石田衣良化」=「キミドリの神様化」という名のライフハック、あるいは文筆業界「波のうえの魔術師」作戦
◇ もう専業ライターという職業は成り立たなくなる、もしくは「石田衣良化」について - 【B面】犬にかぶらせろ!

しかも、雑誌業界は前よりも風通しが悪くなっているから、仕事は下の世代のライターにはなかなか回ってこない。それでもライターで食っていこうとするなら、ライターを通して副業をゲットしていくしかない。それをうまくやることを僕は石田衣良化と名付けている。

石田衣良化とは、自分がイケメンであることに疑いを持たず、本を出す時には帯にも表紙にも自分の顔を出すことをいとわないという努力を指す。そうして、チェックの黄緑のジャケットを着てワイドショーに出演することで、レギュラーコメンテーターという副業をゲットするのだ。僕はまだ本に自分の顔を出してはいないが、黄緑のチェックのジャケットはもう用意している。

http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20080624/writer


googleで画像検索してみましたが、黄緑のチェックのジャケット姿は見当たりません。。。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E7%9F%B3%E7%94%B0%E8%A1%A3%E8%89%AF&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi


速水健朗さんの今回のネタの結びは、
たまたまテレビか何かで見た石田衣良氏の服装(衣装?)と、
その著書『骨音 池袋ウエストゲートパークIII』のなかの一篇「キミドリの神様」の
2つから発想されたものなのかもしれません(読んでませんが)。
「キミドリの神様」って、それは石田さん、あなた自身でしょ。みたいな。

池袋の地域通貨、「ぽんど」の偽札が発見された。おれたちの街、おれたちの通貨と信用を守るために、池袋ウエストゲートパークからマコトは再び立ち上がった――「キミドリの神様」(石田衣良)。



殺人格差 ミステリー傑作選 日本推理作家協会 講談社
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2755629

2番目の「西一番街テイクアウト」はいまいちだったので飛ばして3番目の「キミドリの神様」は地域通貨を扱ったものでネタとしても面白い。地域通貨をやっているNPO暴力団とのからみがI.W.G.P.っぽいテーストを醸す。この「キミドリの神様」で気に入ったのが冒頭の入りの所

一枚の紙切れを通貨にするのは、日本国政府でも日本銀行でもない。おれやあんたみたいな普通の人間が、一万円札には一万円の価値があると単純に信じてるからにすぎない。宗教と同じだ。みんなが信じることで、神様は神様でいられる。だから一度でも金というものをみんなが疑い始めれば、紙幣にくっついた幻想はぐにゃぐにゃとゼリーみたいに溶け落ちて、そいつは工芸品のような見事さで印刷されたただの紙切れに戻る。

という部分がなかなか気に入った。この世のほとんどの価値観は「みんなが信じているから」あるに過ぎない。自分が本当に信じるものを見つけるのが自分の人生の価値観を定義する方法なのかもしれない。



骨音―池袋ウエストゲートパーク III / 石田 衣良 @sarunoie
http://www.mlab.t.u-tokyo.ac.jp/~saru/archives/000011.php

この冒頭部分を言い換えれば、
「一人の物書きを通貨にするのは、日本国政府でも日本銀行でもない。おれやあんたみたいな
普通の人間が、物書きの原稿には一般人の原稿以上の価値があると単純に信じてるからにすぎ
ない。宗教と同じだ。みんなが信じることで、作家は作家でいられる。だから一度でもその価
値というものをみんなが疑い始めれば、原稿にくっついた幻想はぐにゃぐにゃとゼリーみたい
に溶け落ちて、そいつは職人のような見事さでマス目を埋めたただの文字列に戻る。 」
ということになるのでしょうか。


創作主体&作品の貨幣化にまつわる問題ですね。
書き手と作品のパブリックイメージをいかにして効率よく流通させるか、
つまり、いかに自分を「キミドリの神様化」(地域通貨化)するかということが、
文筆業で食っていくためには、非常に重要になってくるという。今の時代はとくに。
しかし、自分を「キミドリの神様化」するには、
「自分がイケメンであることに疑いを持たず、本を出す時には帯にも
表紙にも自分の顔を出すことをいとわないという努力」(石田衣良化)が
求められるというのは、なかなか大変そうです。
(むしろこういったことを大変だと思ってしまうほうが、
逆に自意識が強いということなのかもしれませんが)


石田衣良(石平庄一)氏は、かつて広告業界に身を置いていたたけに、
マーケティング戦略ブランディングにとても長けてそうです。
その程度の努力は、お手のものといったところでしょうか。


そういえば、「キミドリの神様」のあらすじを調べていて思い出したのが、
アンドレ・ジッド(ジイド)の『贋金つくり』(贋金つかい)でした。
もちろん後者は、同じ秤に載せることも憚られるような
文学史上の重要作品なんでしょうけども。

 『贋金つくり』は、ジッドの創作方法論を具体化し、以上のような基準に従ってロマンに分類された、唯一の作品である。家出した青年ベルナールの体験と、小説家エドゥワールの精神的探求の過程を描き、「贋金つくり」の語に貨幣偽造組織と「自己の虚像を顕示する者」との二重の意味を含ませる。ジッドの創作の到達点ともいうべき本作は、プルーストの『失われた時を求めて』と並び、20世紀の小説観を転換させた重要な作品と言えよう。



贋金つくり - 講読ノート - SYUGO.COM
http://www.syugo.com/3rd/germinal/lecture/faux-monnayeurs/

 贋金はいくら実物に似せて巧妙に作っても所詮は贋金でしかありません。実物となる貨幣が新たなものに変わってしまえば贋金はあっという間に無価値なものになってしまいます。小説もまた同じです。小説によっていくら現実を描こうとしてもしょせんは虚構に過ぎません。それに、今日の世代にしか訴えないものを書いて短期的には喜ばれたとしても、世代が変わればそれは滅んでしまいます。

 もちろん、その時代時代の市場を狙い撃ちした本を書くのも立派な選択肢のひとつです。ですが、そうした本を刊行することに、あたかも贋金を大量に刷るような後ろめたさや不安を感じたりはしないでしょうか。本書のタイトルにはそうしたニュアンスも含まれています。



『贋金つくり』(アンドレ・ジイド/岩波文庫) - 三軒茶屋 別館
http://d.hatena.ne.jp/sangencyaya/20080622/1214062069


>>>ケータイ小説と書店流通のファスト風土化 - 【A面】犬にかぶらせろ!
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080526#p4


>>>石田を読もう石田を
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20051224#p6


>>>中原昌也北方謙三石田衣良が挟み撃ち!?
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080304#p2