Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

古谷利裕さん(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/)のはてなダイアリーより

◇ 2012-02-28 - 偽日記@はてな

 ●先週の「20世紀末の美術」というイベントで中村ケンゴさんが、日本でも今後は階級が可視化されてくるので、そうなると世代論が通用しなくなる、というようなことを言っていて、この話はそのまま、永瀬恭一さんと眞島竜男さんの間でイベントの最後にちらっと出た、複数のレイヤー(階級と言い換えうる)を統合するのはナショナリズムなのではないか、という話とつながるように思う。つまり、階級の可視化によって世代論の時代からナショナリズムの時代になる、ということになるのではないか(そういう話が四人の間でなされたということではなく、二つの別の発言からぼくが勝手にそう考えたということ)。思考実験的にナショナリズムの可能性ということをちょっと考えてみたい。

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120228


>>>シンポジウム『20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から』(終了)

2012-02-24 - 偽日記@はてな
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120224

http://d.hatena.ne.jp/n-291/20120228#p4


◇ 2012-02-14 - 偽日記@はてな

 ●小説の校正刷りに手を入れていた。この、一万四千字とちょっとの短い小説に、この一年以上延々と手を入れ続けていることになる。去年の二月にほぼ一か月で第一稿を書いて、その後ずっと直している(勿論、そればっかりやっているわけではないし、毎日やっているというわけでもなく、まったく忘れている時期もあるのだけど)。主に直しているのは「文」で、これはちょうど、一か月で撮影したフィルムを、十一か月かけて編集しているような感じだと思う。例えば、≪呼び鈴が鳴ったのでドアを開けると恋人が立っている≫というのを、《呼び鈴が鳴って、ドアを開けると恋人が立っている》に変えるとか、《知らぬ間にバケツの水が上に移動していた》を、《知らぬ間に上のバケツに水が移動していた》に変えるとか。これを延々やっているはずなのに、この段階でもまだ「手癖」で書いてしまっている文が発見されたりする。これは、この部分だけ取り出してみると大した違いではないけど、全体のなかのどの位置に置かれているかとか、その前とその後につながる流れだとかによって、意味をもってくるように思う。逆に言えば、全体のなかの位置やつながりを意識しないで「その部分」だけを直そうとすると、どうでもいいような枝葉末節にこだわるという間違いに陥る危険が大きい。

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120214
古谷さんの小説「ライオンと無限ホチキス」について。


◇ 2012-02-25 - 偽日記@はてな

 ●国分寺スイッチポイントで利部志穂展、最終日。ちょっと意外な感じで面白かった。今までの利部さんの作品のネガとポジとをひっくり返したみたいな感じ。利部さん自身も、「今までだったら、物と物とを組み合わせる時、そこにイメージの影が出てきそうになると方向転換して別の方向へゆく感じだったけど、今回の作品は、そのイメージの影をつかもうとした」というようなことを言っていた。
 とはいえ、今までの利部的、混成的空間がなくなったわけではなく、それがややシンプルな形へと後退したところに、その隙間から異次元の侵入物みたいにして、紙によって構築された、動物や植物を思わせる立体的な造形物があらわれている、という感じ。カットされた白いボール紙がホチキスによってとめられることで構築された立体物は、イメージそのものというより、イメージが生まれようとしている、あるいはイメージが消えようとしている、その瞬間のような感触をもつ(例えば、牛のイメージというより「牛的な構造性」みたいな感じ)。

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120225
利部志穂さん(http://www.kagabu.com/)の個展が開かれていたとは。。。
見に行けなくて残念です。


※過去の古谷利裕さん関連
http://d.hatena.ne.jp/n-291/searchdiary?word=%B8%C5%C3%AB%CD%F8%CD%B5