Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

再録(http://d.hatena.ne.jp/n-291/20110420#p7)

■『摘録 断腸亭日乗(下)』永井荷風(岩波文庫) - 早稲田大学(映像文化論・文化社会学)・長谷正人の書評ブログ

永井荷風の被災日記」
 鬱々とした日々が続いている。大震災直後には閃光のように現れたかのように思えた、被災者同士の相互扶助的な「災害ユートピア」が、企業とメディアを中心とした抑圧的で官僚的な「自粛」ムードによってかき消されている(何より見えない汚染物質をまき散らす原発事故のせいだが)。街を歩けば、あちこちの商店に「被災者にお見舞い申し上げます」という言い訳めいた紙切れが貼ってあり、ACのテレビコマーシャルも、老人へのいたわりや友達との言葉のやりとりを主題にした優しいものから、有名人たちが節約や節電を推奨したり、「日本は強い。みんなで力を合わせれば乗り越えられる」と強がってみせるような説教臭いものに変貌している。いったい、何なのだ。これでは「贅沢は敵だ」とか「進め一億火の玉だ」といった戦時中の標語と何も変わらないではないか。誰も本気ではないのに、誰もが世間を配慮することで捏造されてしまう全体主義的な「空気」に、私たちは戦後60年以上経って、またもや支配されてしまったようだ。


 こういう官僚的な自粛ムードに抵抗して、自分たちの日常生活を淡々と続けるにはどうしたらよいのだろうか。そんなことを考えて、永井荷風を書棚から引っ張り出した。戦時中も時流におもねることなく、自分の趣味的な生き方を貫いた孤高の作家・荷風の生き方をいまの全体主義的な状況を生き抜くための参考にしようと、『断腸亭日乗』(摘録版)の戦時下・昭和16年のところからじっくりと読んでみた。ところがこれが、いま読むと予想以上に面白い。この部分を読む限り、この日記は端的に、空襲で家を焼け出された老作家が、二次被災、三次被災を次々と受けながら転々と住居を移動していく、何とも心細さに満ちた「被災日記」なのである(実際、この日記の一部は最初「罹災日録」として終戦直後に雑誌に発表され、その後、書籍化された)。その記述は、いま東北地方の避難所で暮らしている被災者たちの光景と否応なく重なってくる。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/hase/archives/2011/04/post_21.html