Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

メモ

◇ 北澤憲昭『アヴァンギャルド以後の工芸―「工芸的なるもの」をもとめて』(美学出版

内容(「MARC」データベースより)
工芸は、もうユートピアを夢みない。「進歩」の逆風がやみ、「歴史の天使」がユートピアの残骸に降り立つとき、あらたな造型思考がはじまる。「アヴァンギャルド」と「工芸」を巡る文章を収録。


抜粋
工業化社会が、急速に遠のきはじめた現在、「作品」中心主義は、存否にかかわる根底的な問い返しを余儀なくされつつある。美術/生活、美術/工芸、機能/装飾、あるいは伝統/近代という二項の中間にあって、それをともども実現しようとくわだててきた工芸は、このような思想状況において、重要な発想のモデルを提供するのにちがいない。

http://www.amazon.co.jp/dp/4902078007

<主要目次>
プロローグ アヴァンギャルド以後の工芸
・ 状 況―モダニズムの終焉
・ 歴 史―工芸と近代美術
・ 作者たち―「工芸的なるもの」の可能性
エピローグ 「工芸的なるもの」をもとめて―断片をめぐる断章


<著者略歴> 北澤憲昭(きたざわ・のりあき)
1951年、東京生まれ。美術評論家跡見学園女子大学教授。
著書に『眼の神殿―「美術」受容史ノート』(美術出版社、第12回サントリー学芸賞受賞)、『岸田劉生と大正アヴァンギャルド』(岩波書店)、『岸田劉生内なる美』(編著、二玄社)、『美術のゆくえ、美術史の現在』(共編著、平凡社)、『諏訪直樹作品集』(共編著、美術出版社)、『20世紀精神史』(共著、毎日新聞社)、『現代美術演習』(共著、現代企画室)、『境界の美術史―「美術」形成史ノート』(ブリュッケ)などがある。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4902078007.html


アヴァンギャルド以後の工芸 北澤憲昭 その1 - art memorandum

p152
先ほど極楽浄土のことにふれたが、浄土教では「西方十万億土」を越えて、一歩一歩極楽へおもむくことを「横超」という。この横ざまに越えてゆくイメージ、水平な彼方をめざす極楽への意志は、至高の点をめざすキリスト教的発想とは異なる超出の在り方を示している。それは、いわば日常における超越の可能性を示唆しているのであり、その実践にこそ、まさに工芸の存在価値があるのではないかと、ぼくは考えるのだ。
 極楽浄土というのは、むろん喩えに過ぎないまた、「横超」というのが、長いみちのりであるともかぎらない。それは、一瞬のズレでもありうる。日常生活における人間の所作を、日常の地平から、現実を超える価値へ向けて、ほんの少しズラすこと、いいかえれあ、現実のなかに統制された場を―いってみればユートピアの断片を―たまゆら現出させること、そういう意味で、工芸というのは、まさに「横超」の芸術なのである。
 ただし、ズレが生ずるのは横方向ばかりとはかぎらない。ほんの少し、日常の地平から縦方向へと超出
することをめざす場合もあるこもしれない。茶会などには、そうした趣がある。しかし、それは、日常のはるかな目指すものではない。ほんの少し、せいぜい爪先だちの高さにすぎない。それ以上の高みを目指すとき、工芸は品格と同時に存在理由を失う。日常の地平を高々と超越する発想に与することなく、さりとて、日常の地平に這いつくばることを善しとするのでもない、日常の地平における超出をめざす芸術として、工芸はあるのだ。イデオロギーの幕引きの時代に、それは、まことにふさわしい芸術であり、大食らいの”聖者”を嫌悪する民衆の素朴な実感にかなうジャンルだといえるだろう。
p250
芸術のモダニズムは、ジャンルとしての純粋性や自律性をもとめ、かぎになく自己自身へと内向化してゆくかたむきをもつ。それは、社会的な生活実践からの遊離であるり、したがって社会というシステムの一部分を成す芸術の危機を醸成せずにはおかない。つまり、芸術は、このようにして、みずからの社会的存在理由を弱めてゆくことになる。かかる状態に対する危機意識から、やがて、芸術を社会実践へと取り戻そうとして、自己批判的に「作品と生活実践とのあいだの距離を打破する」運動が起こる。そのような動きがアヴァンギャルドなのだとビュルガーはいうのである。

p251
「頂部」は地位と優越を保つために「底部」を拒否し排斥しようとするが、その結果として「頂」は、下部の他者にある意味でしばしば依存する。それだけでなく、まるで己自身の幻想を支える性欲をかきたてるのに、それが不可欠な装置ででもあるかのように、下部を象徴的に包含するのである。
 ここにいう「頂部」と「底部」とは社会的な趣味のヒエラルキーの問題と捉えてよい。すなわち、趣味上の社会的強者は、みずからとは異質なものを排除し、低位とみなし、それとのあいだに一線を画することで社会的な趣味のヒエラルキーを形成していくにもかかわらず、その「頂部」は絶えず「底部」と何らかのかかわりを保ちつつ、それを取り込みかたちでっみずからをインスパイヤする―「性欲をかきたてる」―というわけだ。たとえば、文学ではボードレールの『悪の華』が思い浮かべられるし、絵画ではマネの《オランピア》(1865)を思い浮かべればよいだろう。この指摘はまた、視覚芸術におけるジャンルの階級制にも、おそらく当てはまる。視覚性の純度によって絵画は諸ジャンルの「頂部」に、工芸は「底部」にそれぞれ位置づけられるのだが、しかし、絵画は、しばしばモティフとして工芸品を描くことで「底部」をみずからの内に包含するのである。
 さて、このような考え方にしたがうならば、アヴァンギャルドは、社会的「頂部」にぞおくする芸術が内包するラディカルな下降志向であるというように理解することができる。視覚芸術としての純粋さと是右傾的な自律性を上昇的にもとめるモダニズムは、芸術を社会的な「頂部」位置づける価値づけの運動であり、アヴァンギャルドは、それにエネルギーを供給するための下降運動だということになる。しかも、この下降運動は、社会生活の「底部」みまで達するものであるがゆえに、「頂部」と「底部」の分離を当然のこととこころえる大方に日常の意識にとっては、異貌のものとして立ちあらわれることになる。アヴァンギャルドは大方の生活者の良識を超える。生活実践との結合というビュルガーの見解を超える過激な在り方をアヴァンギャルドは、しばしば示す。芸術の基盤である「生活実践」の底を突き破って、アヴァンギャルドはラディカルに最底辺をめざすのだ。

p253
モダニズムでありながら、あるいはモダニズムだあるがゆえに、みずからを否定しようとするアイロニカルな設計思想によって、アヴァンギャルドの橋は構築されるのだ。アヴァンギャルドのこうしたアイロニカルな在り方は、「リアクション・モダニズム」と呼ぶこともできるにちがいなり。

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アヴァンギャルド以後の工芸 北澤憲昭 その2 - art memorandum

p254
宮川淳が、60年代の「反芸術」の在り方を「卑俗な日常性への下降「と規定したとき、「卑俗な日常性」という言葉によって示したものもまた、〈芸術〉の外部に想定される〈非芸術〉の漠たる広がりであり、また「下部の他者」であった。もっtも、反芸術は、ストリブラスとホワイトがいうように「下部を象徴的に包含する」ものだはなく、むしろ「象徴」的であることを拒絶して、直接的に「下部」を―つまり醜悪なガラクタを―取り込み、提示する発想をもっていたのだが、反芸術が、日本におけるポップ・アートの受容と密接にかかわりあう動きであったっことをも、ここで思いだしておく必要があるだろう。ポップ・アートは、たとえばコカ・コーラのボトルやキャンベル・スープの缶にみられるように「象徴的」な表現の位相をともなっていたからだ。
 ところで宮川淳の「反芸術」の定義は、「卑俗な日常性」と〈芸術〉の対立を当然のことのように前提としているが、この前提が歴史的に形成されたものであることはいうまでもない。日本にかんしていうと、その起源は明治時代に見出すことができる。すなわち、「卑俗な日常性」と〈芸術〉の対立を当然のことのように前提としているが、この前提が歴史的に形成されたものであることはいうまでもない。日本にかんしていうと、その起源は明治時代に見出すことができる。すなわち、「卑俗な日常性」と〈芸術〉との関係を言説として明確に解き明かした早い例として島村抱月の言説が思い浮かぶ。抱月は、1908年(明治41)に発表した「芸術と実生活の界に横たはる一線」のなかに「芸術と実生活とは実に局部我より全我の生の意義すなはち価値に味到するといふ一線によって区界せられる」としるしているのだ。つまり、〈芸術〉を「全我の生の意義」に味わい到るものとして特化し、それを生活の中心に据えたのである。いいかえれば、このようにして抱月は〈芸術〉と〈非芸術〉を対置したのであり、これは、西洋から翻訳によってもたらされた〈芸術〉概念を、日本社会に定着させるうえで、どうしても必要な手続きであった。アニマティズム―アニミズム系の思想が支配的であり、〈自然〉という概念が〈芸術〉という概念の上位に―いわば超越的に―位置づけられるような日本列島の思想風土においては、西洋の文化的コンテキストに由来する〈芸術〈〉という枠組は、生というアモルフな現象のなかに呑み込まれ解消されてしまう危機に絶えず直面させられずにはいないからだ。抱月は、だからこそ、「卑俗な日常性」を「実生活」と呼んで「人生の諸活動の中から、とくに一つの芸術活動を取り除いた名である」と定義しつつ、そこから〈芸術〉を救抜しなければならなかったのである。人生―芸術=実生活という抱月自製の式は、いかにも苦しいけれど、ここには、〈人生〉から〈芸術〉を何とか分節し切ろうとする意志がみなぎっている。〈芸術〉という領域は、こうした急進的なちからによってうみだされていったのだ。このちからが「美術ト非美術」という分類の構えに淵源することは、すでに述べた。
p257
すでにふれたように、この国でも、1920年代にアヴァンギャルドが芸術の世界に登場し、1960年代にも、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ハイレッド・センターなどによるダダ的活動が展開された。「卑俗な日常性への下降」として特徴づけられるこれらのアヴァンギャルドは、産業革命後の日常とのかかわりおいて、つまり産業社会とのかかわりにおいて展開された。ことに1920年代のアヴァンギャルドには、産業社会やその基盤としての科学技術的発想への肯定的構えが―産業社会の転移の目論見とともに―濃厚に見出される。公害裁判にもられるように産業社会への屈折した構えをとっているが、しかし、それが産業主義との深いかかわりにおいて展開されたことは否定できない。端的な事例を挙げれば、60年代のアヴァンギャルドは大阪万国博に結集する巨大化傾向のテクノロジー・アートを内包していたし、60年代アヴァンギャルドのピリオドともいうべき「もの派」の作家たちが、板ガラスや鉄板などの工業製品を頻繁にもちいたことにも産業社会とのかかわりが指摘できる。
 ただし、テクノロジー・アートの根底には、芸術と非芸術の他句点的な混淆が存在したことを考えると、ビュルガーのいう自己批判アヴァンギャルドとテクノロジー・アートのあいだに一応の区別を設けておく必要があるだろう。テクノロジー・アートが大阪万国博覧会という国家的プロジェクトで山場を迎え、そこにおいて群衆のなかに芸術を拡散させようと企図したことを考えると、ファシズムによる芸術の自律性の破壊をこそ、そこに重ね合わせてみるべきなのかもしれない。ビュルガーの指摘するように「自律性のステイタスは、芸術を再び奉仕させることが得策だと思われるやいなや、社会によって(より正確には、支配者たちによって)すぐにも疑問視されてしまう」のであり、ファシズムの芸術政策は「自律性のステイタスを精算した極端な例」にはかならないのである。20年代末にアヴァンギャルドがプロレタリア美術へと合流し、やがてスターリニズムに呑み込まれていった現象についても同様のことが指摘できるだろう。いわば公定アヴァンギャルディズムとしてのファシズムスターリニズムである。

p259
以上のような見方に立ってアヴァンギャルドの動機を、とりあえず約言すれば、それはモダニズムの批判的乗り越えにあるということができる。すなわち、アヴァンギャルドが成り立つためには、モダニズムが否定されるべき前提として成り立っていなければならないのである。

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アヴァンギャルド以後の工芸 北澤憲昭 その3 - art memorandum

p264
とまれ、こうして、日本社会においてアヴァンギャルド運動をひきおこす主要な動因は、モダニズムの理念的否定であるよりも、むしろ、〈美術〉という外来の枠組に対して旧来の分類意識がかもす違和感であったということが、おそらく、できる。それが、いわば結果として、モダニズムを乗り越える身ぶりとなるのである。以下、具体的な事例に即して、この仮説の有効性を検証してみたい。

p267
昔は凡ての作物が工芸生を持ったものであったと云うこと。かくて「美術」とう呼ぶ可きものは当時未だ発生してはいなかったこと。かかる事実はそれらのものが嘗ては一体であったことを示し、其の分離が後代の出来事であるのを語るのであるらう。そうして「美術」が「工芸」から分かしたものでるのを示すであろう。それ故工芸の歴史は古く、美術のそれは新しいことが分かる。美術は個人主義の発生につれて独立するにいたったのである。嘗ては一切の造形芸術は工芸であった。少なくとも工芸の範疇に入る可きものであった。

個人主義」とともに伸長してゆくモダニスティックな美術に対する批判の実践が民芸運動であったのはいうまでもないとして、ここで注意すべきなのは、それが大正アヴァンギャルドモダニズム批判と時を同じくして起こっていることだ。しかも、両者の批判は、芸術を工業のあいだの協会侵犯という同じ戦略をもって、しばしば行われた。両者は、また、生活と芸術を交わらせるたくらみにおいても一致しているが、かれらが目の当たりした生の実相は、工業によって深々と浸透されていたのである。芸術と工業を一連の過程として捉えるこのような発想は、さきにもふれたように西洋思想史ではサン=シモン主義の関係に代表される。
もうひとつ注意すべき点がある。それは、工業を生を重ねた場所へと〈芸術〉を一元化しようとする発想に拠りながらも、塩田は、芸術をアモルフな生のなかに溶解してしまおうとしているわけではないということだ。塩田は〈芸術〉という分節を否定しているわけではなく、工業(塩田のようごでは「工芸」)という、されに大きな分類枠において〈芸術〉を定位しようとしているのである。
 だから、塩田の工業観は、絵画や彫刻をも含むという点で江戸時代以来の分類観をふまえながら、それを近代的な意味に捉え返すことで成り立つものであるということができる。塩田は、けっして古い分類にうしろ髪を引かれているわけでない。このことは、工業の定義において「学術の理法」を重視していることに明らかだ。次の引用に端的に示されているように、塩谷おいける一元化の発想は、科学技術の進歩を前提するものだったのである。

p277
非芸術としての「実生活」―本稿では、その生が産業社会に規定されているという点に注目しつつ論じてきたわけだが―に降り立とうとするアヴァンギャルドの境界侵犯的実践は、しかし、アヴァンギャルドだけのものではない。それは、民芸をはじめとする工芸の発想にも認められるところであったし、アヴァンギャルド以前の塩田力蔵にもみいだされるところであった。また政治や経済を「実生活」の範疇で捉えるならば、革命戦争に荷担するプロレタリア美術も、侵略戦争に荷担するいわゆる戦争記録画も、アヴァンギャルドと同じ発想を持つといってよい。これらは、すべて境界侵犯―モダニズムが必死に築きかつ守ろうとしてきた境界への侵犯として成り立つものであった。

ビュルガー「アヴァンギャルドの理論」
トリブラス+ホワイト「境界侵犯、その詩学政治学
「失われた美学」
ジンメル「額縁」
グロイス「全体芸術様式スターリン
ベルティング「美術史の終焉?」

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アヴァンギャルド以後の工芸 北澤憲昭 その3 - art memorandum

p352
だが、美術の周縁にちんぴんを 蝟集させる手法が一種の額縁効果をもたらすことには注意を要する。周縁のざわめきが概して中心の隆起を結果することを忘れてはなるまい。それを目的とするというのであれば、はなしは別だが、そのとき対象領域の拡大は歴史的思考のリアリズムから果てしなく遠のくことになるだろう。
 美術史における視野の拡大が、アヴァンギャルド系現代美術の常套手段と対応していることも見過ごすわけにはいかない。そこには現代美術に対する追認のおもむきがある。アヴァンギャルド系現代美術は、サブ・カルチャーをはじめとする非芸術てき事象を取り込むっことで、美術の境界を暴力的に乗り越える企てを繰り返してきたのである。
 しかしながら、アヴァンギャルドの企ての多くは美術の領土の拡張を結果するに終わっている。「美術」の外延の拡張は、内包を痩せ衰えさせてゆくが、「美術」という言葉に宿る記憶は、絶えず概念の修復を促さずにはおかない。「美術」は、あたかも「永遠のカテゴリー」のように、いまなお残存している。対象領域の拡大はアヴァンギャルドの轍を踏まないとはかぎらない。すなわち歴史的思考として不徹底におわるおそれがある。何でもありの面白主義的傾向は、その顕著な兆しである。
p353
近代日本における文化財保存は廃仏毀釈を契機として始まった。それは廃仏毀釈への巻き返し、つまり反=廃仏毀釈の運動であった。すなわち、それは「反」のアイロニーによって支配されていた。廃仏毀釈は物理的破壊を主として行われたが、反=廃仏毀釈は、仏像の位置づけられるコンテキストを非宗教的なそれへと転換することで、廃仏毀釈を精神的な次元において引き継いだのである。たとえば仏像を博物館に収蔵することは、仏像の価値を、礼拝的価値から展示的価値へと転換させることであり、聖性の剥奪にほかならないのだ。
 こういう意味で反=廃仏毀釈は、廃仏毀釈の完成であったということができる。このことは、美術史の意識が、いまなお廃仏毀釈によって規定されているということを意味している。美術史は対象の展示的価値を前提としている。それは廃仏毀釈を引き継いでいる。バーミヤーンの仏教遺跡の破壊は、そのことを鋭く照らし出した。

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