Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

清水博『場の思想』(東京大学出版会 2003年)より

世界の枠は本質的には人間の頭脳(黄身)によってつくりだされた観念的な境界であり、それが習慣化され、制度化され、さらには文化にも組み込まれて、生活感情の領域まで分節化されているものである。感情や文化に結びついた習慣化がおきているため、さらにはその世界におけるさまざまな既得権益が生じて制度化されているために世界の枠を変えることは容易ではない。殊に誰かが神格化された「神様」としてこの枠を守る構造ができているとたいへんである。

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誰もがこのように生きているというところに自分の生き方の根拠を置きたいのだ。互いに模倣し合うことによって空虚な基盤をつくり、その上に人生を存立させている。密着した模倣によって人生を保証されたいと強く思えば思うほど、群れ合う人々は、「我と汝」ではなく、同質「我々」でなければならないことになる。

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群れている人々が困るのは、新しい思想を生み出す人間が群れの中に現れることである。群れ合いの場は自己防御のために、創造につながるような異論を許さない。群れ合いの場が純粋生命に向かって開かれていないことから、その場には必然的にエゴイズムが育つのである。

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たとえば日本の社会全体がひところバイオチップとか、ニューロ・コンピューターというものに踊ったことがある。バイオチップは科学的に考えれば不可能な概念であり、ニューロ・コンピューターの本質は技術的限界がわかっている旧い技術であるが、米国で一時的なブームが起きた。冷静に論理的判断を下せば、その限界が明らかになる問題であっても、米国ではやりそうであるという理由だけで、日本の社会はその技術では原理的に不可能な問題まで解決してくれるという期待を膨らませて、情緒的に受け入れてしまう。そして情緒は、すぐ信念に変わる。したがって冷静に調べてみるか、少し論理的に考えてみれば明らかになる技術の陰の部分を「ないものとして」ムラの外に追い出してしまう。

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NPO法人 場の研究所 - 未来の居場所作り、始めよう
http://www.banokenkyujo.org/


◇ 『生命を捉えなおす』清水博 - 松岡正剛の千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1060.html