Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年04月01日 - Twilog

「田本研造を森山大道が見出した」みたいな話を聞いたことがありますが、それは誤りではないでしょうか?田本研造を最初に発見したのは内藤正敏さんだという話です。識者の見解に期待。【日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ/東松照明http://j.mp/YU3rW2

あと、日本写真における「アノニマス」という概念の使用についても、だれが一番最初なのか気になるところです。僕の知る限りでは、東松照明さんですが本当のところはどうなんでしょう(少なくともプロヴォーク以後ではない。ただし、それ以前に中平卓馬[柚木明]が使用している可能性はあり)。

多木浩二さんがいつから写真批評を始めたのか調べておくこと。中平卓馬さんとの出会いも。美術批評では、いわゆる御三家や宮川淳がすでに「アノニマス」という言葉を使っていそうです。そういえば、柳宗悦の「無名性」→柳宗理の「アノニマス・デザイン」の他ジャンルへの影響も気になるところです。

というか、民芸運動のことをたいしてよくわかっていません。清水穣さんがちょくちょく写真と民芸について語っていたように思いますが。。ということで、「眼と被写体 柳宗悦青山二郎土門拳」も読み直しておくこと。

良知暁さんのブログより。【A conversation on Photography from a bookshop - another field】“倉石信乃 x 清水穣 2010年12月11日、NADiff A/P/A/R/T”http://j.mp/XRum4p

http://twilog.org/n291/date-130401/allasc


◇ Nobuhiro Fukui(@n291)/2013年04月15日 - Twilog

内藤正敏は、翌 1969 (昭和 44) 年の「写真映像」に「明治初期幻想のドキュメンタリスト 私説・田本研造論」という一文を寄せたが、”http://j.mp/10V5w5u 『季刊 写真映像 創刊第1号』http://j.mp/10V59YP

重森弘淹は、『カメラ・アイ 転形期の現代写真』(1974年)で高野直太郎(東北・八戸)と田本研造(北海道・函館)に言及。“高野はこうした記録を、絵葉書にしているが、発表すべきメディアが地方にほとんどなかった時期に、一種カメラキャンペーンのメディアとして、独自に絵葉書に着目したのは

興味ぶかい。したがってかれの絵葉書は、今日のような観光絵葉書と本質的に違っているのは当然で、記録写真が絵葉書というメディアを利用した例も今日までない。しかもそれが絵葉書であるかぎり、そこに撮影者の名はなく、全くアノニマスな記録に徹しているのである”“田本研造も函館の営業写真家で

あったが、記録は素朴ながら雄勁なリアリズム手法が採用されている。田本一派の記録が官費によってまかなわれたこと、さらにグループによって集中的組織的におこなわれたという点では、高野直太郎の独力による記録とはそこで成立の背景そのものがちがう”http://j.mp/10V7R0m

メモ。重森弘淹「写真師・高野直太郎について」(『季刊映像』所収 1979年)http://j.mp/130JofC 福島辰夫『破綻と彷徨―福島辰夫写真評論集〈第3巻〉』http://j.mp/130IIqk

【田本研造ほか『田本写真帳』 - 函館市中央図書館デジタル資料館】http://j.mp/130JTpS

http://twilog.org/n291/date-130415/allasc