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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

アナトリア半島 - Wikipedia

アナトリア半島ギリシア語: Ανατολία, Anatolia / Aνατολή, Anatolē、トルコ語 Anadolu)は、アジア大陸最西部で西アジアの一部をなす地域である。現在はトルコ共和国のアジア部分をなす。
日本語でアナトリア半島と言うと半島の名称のようだが、本来はアナトリアで、地形ではなく人文地理的な地域を表す言葉である。小アジア (希: Μικρά Ασία, Mikra Asia, 羅: Asia Minor) とも言う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6


小アジア とは - コトバンク

アジアの西端に突出した半島で,アナトリア(トルコ語アナドルAnadolu)ともよばれる。古くアジアという地名は漠然と〈東方〉を意味し,最初は現在の小アジアの西部をさして用いられた。ヘロドトス以来,アジアが,少なくともペルシアまでを含めた地名として使われ始めると,これと区別するためにアナトリアをさす小アジアという呼称が生まれた。小アジアという地名が文献に初めて現れるのは,5世紀に著されたスペインの司教オロシウスの《世界史》であるといわれている。

http://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2


小アジアアナトリア - 世界史の窓

アナトリアとも言う、西アジアの西端に位置する半島。

 世界史上、小アジアアナトリアとも言われ、北を黒海、西をエーゲ海、南を地中海にはさまれ、東にアルメニアメソポタミア、シリア地方につながる地域を指し、ほぼ現在のトルコ共和国のアジア側の半島部にあたる。「アジア」とは本来、ローマ時代に現在の小アジアアナトリア)西部の属州の名前であったが、次第にヨーロッパに対して東方世界全体を意味するようになった。そのため本来のアジアを「小アジア」と言って区別するようになった。
注意 小アジアのトルコ化 小アジアアナトリア)は現在のトルコ共和国であるが、トルコ人はこの地に最初からいた民族ではないことに十分注意する必要がある。アナトリアはかつてヒッタイト王国、リディア王国が存在し、ペルシア帝国、アレクサンドロス帝国、セレウコス朝ローマ帝国の支配を受け、4世紀以降は東ローマ帝国の領土となり、次いでそれを継承したビザンツ帝国の領土として続いていた。この間、ヘレニズム期からローマ時代まではほぼギリシア文化・ローマ文化が支配的であり、ギリシア人の他、ユダヤ人も多く、キリスト教が最初に広まったのもこの地域であった。

http://www.y-history.net/appendix/wh0101-023_1.html
http://www.y-history.net/index.html