Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

コンセプチュアル・アートが試みているのは、〔抽象芸術とは〕対照的な、一般化による脱マテリアル化である。... - journal

コンセプチュアル・アートが試みているのは、〔抽象芸術とは〕対照的な、一般化による脱マテリアル化である。その場合、十分に中性化された合成=創作平面[…]を設立することが必要であって、なぜそうするかというなら、一切が、すなわち、物、映像あるいはネガ、命題が、その平面上で無限に複製可能な感覚の価値を帯びるようになるためである[…]。だが、コンセプチュアル・アートにおいては、そのようなやり方で、感覚に到達しているのか、そして概念に到達しているのかは確実ではない。なぜなら、〔コンセプチュアル・アートにおいては〕合成=創作平面は「情報伝達的」になる傾向があるからである、また感覚は鑑賞者のたんなる「オピニオン」に左右されるからであり、〔感覚を〕「マテリアル化する」かしないかということ、すなわちそれは芸術に属するのか否かを決定することが、場合によっては鑑賞者のなすべき仕事になりうるからである。
G.ドゥルーズ+F.ガタリ『哲学とは何か』河出文庫版、pp.334-335

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