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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

書評『Rethinking Curating: Art after New Media』 - メディア芸術カレントコンテンツ

時は1996年、「The Death of Computer Art(コンピュータアートの死)」という過激な題名の文書が発表された。その影響は極めて大きかった。「デュシャンランド(Duchamp-land:現代アートの巨匠Marcel Duchamp)とチューリングランド(Turing-land:現在のコンピュータの理論的な原型を作った数学者Alan Turing)の間に、コンバージェンスは起こらないだろう」という見解が提示されていたからである。
デュシャンランドとチューリングランドとは、ディーズニーランドをもじった皮肉な表現であり、それぞれ、現代アートの世界とコンピュータアートの後継者としてのメディアアートの世界を例える言葉である。この見解によると、ISEA、Ars ElectronicaSIGGRAPHのアートショーなどを舞台とするチューリングランドに期待してはいけないのは、デュシャンランドで受け入れられるような「アート」である。なぜならデュシャンランドが求めるのは「アート」であり、ニューメディアの新しい美学的可能性に関する「リサーチ」ではないため、両者の間にコンバージェンスは起こらないはずだと、著者は最後にもう一度釘を打つ。
実はこの著者は、『The Language of New Media』(The MIT Press, 2001)をはじめとする著作活動で、メディア理論に非常に高い影響力を持っている研究者のレフ・マノヴィッチ(Lev Manovich)氏だった。

http://mediag.jp/news/cat3/rethinking-curating-art-after-new-media.html