Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

わかりやすいプロジェクト 国会事故調編

http://naiic.net/

2012年9月に、「わかりやすい国会事故調プロジェクト」を発足して活動を始めました。
当時プロジェクトに参加したのは、国会事故調報告書作成に従事した若手プロ集団と、大学生、社会人の18名です。
その後、2013年6月に、「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」と団体名を改め、活動を続けています。
2013年秋には高校生チームが発足しました。
2014年1月時点で、1000名以上の方にご参加いただいています。

私たちは、おそらく将来も世界史の教科書に残る福島原発事故の教訓から学ぶことが、これからの日本のために、とても大切なことであると考えています。
私たちは、原発事故の事実をまっすぐに見つめ、議論と対話を積み重ねることで、未来に関わる選択と意思決定を行いたいと考える良識ある人々が繋がることが、日本の未来にとって、とても大切なことだと考えています。
私たちは、以下の5つの問いに対する対話が、日本中で行われることを願っています。

福島原発事故では何が起こったのか。
福島原発事故の教訓とは何か。
何を残し、何をどう変えていかなければならないのか。
どれだけの選択肢があり、選択肢がもたらす価値は何か。
短期的な視点と、長期的な視点で、私たちは個々人として何をするのか。
私たちは、最初の2つの問い「福島原発事故では何が起こったのか」「福島原発事故の教訓とは何か」を、一人でも多くの方たちと共有するために、情報発信や対話の場づくりを始めています。対話に参加して欲しいのは、未来を担う中学生、高校生、大学生、社会人です。 国会事故調報告書はこう述べています。「福島原子力発電所事故は終わっていない。不断の改革の努力を尽くすことこそが国民から未来を託された国会議員、国民一人一人の使命であると当委員会は確信する。」
一人一人の使命とは何かを一緒に考えませんか。

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原発事故被害 第三者の目で総ざらいを - 西日本新聞

■大震災から3年■ 
 「『福島の復興なくして日本の未来はない』。政治家から何度も聞かされた。もう飽きた。震災から3年がたつ。約束を守ってほしい。多くの福島県民は復興が進んでいると実感できないでいる」
 福島県の地元紙、福島民報社の鞍田炎・報道部長は書いている。
 政府も関係自治体も東京電力も仕事を怠っているわけではない。一生懸命やっているはずだが、被災者にはそう映らない。何が問題か。やっている方は気付きにくいものだ。ならば、3年間を第三者の目で総ざらいするために独立した検証組織を設けてはどうか。
 ▼忘れられた77箱の資料
 先週、都内のビルの一室に7人の高校生が集まった。15日に日本赤十字社と共催するセミナーの準備のためだ。彼らは「わかりやすいプロジェクト 国会事故調編」高校生チームの面々である。
 「国会事故調」とは、国会に設置された「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の略称である。政府、事業者とは別に独立した組織として調査にあたった。
 国会事故調の報告書が出されたのが2012年7月だった。
 わかりやすいプロジェクトは、報告書作成に関わった関係者などが発足させた。福島の原発で何が起きたか、事故の教訓は何かを分かりやすく説明し、事故を風化させないための活動を続ける。高校生チームは昨秋にできた。
 日赤は原発事故に備えた対応のあり方などを考えるため、昨年12月に第1回原子力災害セミナーを開いた。2回目となる今回は中高生を対象とし、高校生チームに企画・運営を任せることになった。
 チームは一生懸命だ。一方、事故調の生みの親である国会のその後の動きはどうか。どうも鈍い。象徴的なのは事故調が集めた段ボール77箱の資料の扱いである。
 国立国会図書館に保管されたままで、資料を公開するのかどうか、国会はその取り扱いを決めず、忘れ去られようとしている。
 調査委員会を設けたのは国会だけではない。政府の事故調もできた。その報告書は国会事故調と同時期に公表された。そこで国会、政府両事故調は役割を終えたが、調査・検証は道半ばであり、続けるべきだとの認識は共通だった。
 原発安全神話の問題は何か。いの一番は大量の放射性物質原発施設外に飛散する事故が事実上想定されていなかったことだ。
 そのため、実際に大惨事が起きてみると住民、国民を守るすべはなく、情報が交錯する中で多くの住民が被ばくする結果になった。
 多種多様の被害が各地で生じた。だが大事故など想定していない政府の対応は後手に終始した。
 事業者と国の責任は曖昧で、被害救済の仕組みも貧弱だった。そこで、政府は水俣病の救済の仕組みなどを参考に、原子力損害賠償制度の仕立てを急いだとされる。
 こんな状態で事故被害者から不満や批判が出ないわけはない。
 ▼しわ寄せは全て現場に
 矛先は現場に向かった。被災者であり、事故の被害者でもある東電福島第1、第2原発職員は同時に事故を起こした加害者として責任を問われた。非難、中傷、差別を受けて精神的に深く傷ついた。
 遅々として進まない復旧・復興に対する怒りは地元自治体の首長に向かい、福島県内の選挙では現職の相次ぐ落選となって表れた。
 本来は備えを怠り、事態の進行を食い止められなかった政府や東電経営陣にこそ責任があるはずだが、しわ寄せは現場に集中した。
 原発事故と被害に対する政府や事業者のこれまでの措置は妥当だったのか、必要十分だったか−。それをただすのが国会の仕事である。まずは国会で、この3年間の総ざらいをすべきだ。問題を洗い出し、どう改善するか、仕組みをどう変えるかを詰めたい。
 福島原発事故の教訓は「万が一」は起き得るということだ。その時、政府も東電も住民の安全や生活を守ることができなかった。福島県の現実は厳しい。一度破壊された生活は簡単には取り戻せない。県全体の避難者はなお約14万人を数える。体調悪化などで亡くなる「震災関連死」も絶えない。
 同じことを繰り返すことは許されない。国会で総ざらいできないなら、国会事故調のような独立組織を設けて調査・検証すべきだ。

=2014/03/11付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/74921