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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

スイス留学を終えて 佐瀬 英俊 (平成10卒) - 南窓会

僕が農林生物学科応用植物研究室(泉井桂教授)を平成10年に卒業して早いもので5年以上がたった。実のところ僕を含む平成6年度京大入学の学生が農林生物学科という枠組みでは最後の世代となる。その後、僕自身は同研究室の大学院農学研究科応用生物科学科で修士課程を修了し、平成12年のスイスのバーゼルにあるFriedrich Miescher Institute (FMI)という研究所にPh.D. studentとして入学した。この研究所はバーゼルに本拠地をおく製薬会社ノバルティス(旧チバ-ガイギー)の基礎研究所で、ほかにもバーゼルにはノーベル賞を受賞した利根川進博士が以前所属していたことでも知られている製薬会社ロシュの免疫学研究所(現在はもうない)やバーゼル大学の研究所があり、人口は都市部だけでせいぜい10万人程度の街だが生物学研究ではヨーロッパにおいて一つの大きな拠点となっている。

僕が研究を行っていたFMIは何故か農林生物の卒業生には因縁浅からぬ所であった。学生としてこの研究所に来た日本人は僕が初めてだったが、僕が参加した当初すでに一つ下の階のDr. Thomas Hohnの研究室には植物病理出身の小林括平さん(昭60卒)が博士研究員として働いておられた。隣の研究室出身と言うこともあり何かと御世話になったのに加えて、理由をつけては早々に実験を切り上げてたびたび一緒に近くの酒場に出かけてビールを飲みながら農生時代の話や卒業生の噂話などをした。また、僕のFMIでの指導教官であったDr. Jurek Paszkowski は、博士研究員時代に同じこの研究所で働いておられた農生の遺伝出身の島本功先生(昭49卒)と大変仲がよかったと言っていた。
スイスという国は日本では山や湖といった自然が美しい国というイメージを持たれがちだが、実際それらの自然を元にした観光業に加え、時計などの精密機械や金融業、化学工業などが発達しヨーロッパの中においても群を抜いて豊かな国である。日本と違いおよそスイス人口の7−8割の人たちが現在の生活に充分満足しているともいわれている。僕がいた研究所においても最初は現地の人達のその余裕のある働きぶりに驚かされた。日本では研究に携わる者としては土日を含め朝から深夜まで研究に没頭するのが正しい姿である、というような暗黙の了解のようなものがあるが、ヨーロッパの人は学生、教授等の身分に関係なくしょっちゅう数週間単位で休みを取ってどこかへ出かけてしまい、年間を通して研究室の構成員全員がそろう時の方が少なかった。平日でも夕方は6時を過ぎるともう研究所はガラガラ、週末に至っては研究所で会うのは同じ日本人研究者かアジア系の人たちばかりという有様。こんな勤務態度(?)でありながら研究に関しては日本の一般の研究室と比較して数倍の業績をあげているのだから不思議だ。僕にとってなによりイヤだったのは、週末あけの月曜日に研究室の連中と顔を合わせるとまず最初に週末どこに遊びに行ったか必ず聞かれたことだ。「ラボにいて実験していた」と答えると非常な哀れみを伴った目でみられ「お前は少し働きすぎだ」と言われるのだがこちらとしては特にそれほど働いているわけではく、「あなた方があまりに働かないのだ」と思っていた。かつては「眠らない日本人」として現地の新聞に取り上げられた日本人研究者が居たという話を聞いたことがあるが、やはり外国では「日本人は勤勉で辛抱強く手先が器用」、というステレオタイプな印象が一般に定着しているのを感じた。

http://www.nansou.kais.kyoto-u.ac.jp/55/switzerland.html