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河合隼雄 - Wikipedia

河合 隼雄(かわい はやお、1928年〈昭和3年〉6月23日 - 2007年〈平成19年〉7月19日)は、日本の心理学者。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。文化功労者。元文化庁長官。
専門は分析心理学、臨床心理学、日本文化。学位は博士(教育学)。兵庫県多紀郡篠山町(現・篠山市)出身。
日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、日本における分析心理学の普及・実践に貢献した。また、箱庭療法を日本へ初めて導入した。1988年には日本臨床心理士資格認定協会を設立し、臨床心理士の資格整備にも貢献した。

英語で努力を積み重ねた後、1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学し、クロッパーやJ・M・シュピーゲルマンの指導を受けた。
米国ではロールシャッハに関しては教授から大きな信頼を得た。留学期間が切れた後も助手として採用されて引き続き滞在。ネイティブアメリカンについての共同研究を行った。河合は第二次世界大戦での敗北を経験しており、西欧流の合理主義に傾倒していた。しかし、河合は米国の合理的な社会制度・思想に触れ、自分の日本人としてのアイデンティティについて深く考えさせられたという。
クロッパーはかつてドイツに在住していたが、ナチスの迫害を逃れて米国へ亡命したユダヤ系であった。ヨーロッパの精神医学・心理学に精通し、ユング研究所に1年間の滞在した経験のあった彼は、河合が米国で学位を取るよりも本場のスイスのチューリッヒユング心理学を修める方がよいと判断し、河合にスイスへの留学を勧めた。この際、河合の為に推薦書を書き、河合はユング研究所から奨学金を支給される事となった。


ユング心理学との出会い
1962年に天理大学助教授になった後、大学の許可を得て1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所](Jung Institut Zuerich) で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。その際、C・A・マイヤー (Meier CA) に師事した。
帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部で教鞭を執る。退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長、文化庁長官を歴任する。

1965年に河合は、スイスの心理学者ドラ・カルフが子どもやの成人のクライエントへのセラピーとして用いた箱庭療法 (Sandplay Therapy) を日本へ紹介した。最初は天理市京都市に導入され、そこから徐々に日本に広がり、臨床場面で幅広く使用されるに至った。
河合は非言語的な表現が多い日本人に向いていると考えていたという。その後、日本箱庭療法学会の設立に携わる。また、1985年に国際箱庭療法学会が設立され、河合はその創設メンバーであった。
精神科医風景構成法を考案した中井久夫神戸大学名誉教授)は、東京で河合の箱庭に関する発表を聞き、箱庭に枠が使用されている点に注目した。そして、患者が箱庭の「枠」があるために、箱庭による自己表現が可能であり、治療効果があることに気づき、自身の風景構成法の「枠付け法」に応用した中井久夫や山中康裕などの精神科医が、箱庭療法を病院に導入したため、箱庭が教育現場だけでなく、病院臨床でも使用される契機となる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84