Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

スタン・ダグラスとキューバの作品

◇ Stan Douglas - Wikipedia, the free encyclopedia

Inconsolable Memories (2005) is based on Tomas Gutierrez Alea's film Memorias del subdesarrollo (Memories of Underdevelopment) from 1968, updated to include references to the Mariel boatlift of 1980. Douglas's installation consists of a 16mm projection with a photographic series of contemporary Havana, Cuba. The film is looped and when presented as an installation the film and photographs create a sense of repetition, a common feature of Douglas' work.[12] Rather than strictly working from Alea's film in the manner Douglas worked from Hitchock's Marnie, Inconsolable Memories plays with the layers of its various sources (Cuba in the 1960s, the 1980s and the present).[12] Some of the photographs reference the locations used in the original Alea film[12] tying together the themes of history and memory. At issue is the utopian promise of the Cuban revolution and its decline, and as well, the parallel Cold War events of the Cuban Missile Crisis of 1962 (examined in Alea's film) and the boatlift of 1980.[12]

http://en.wikipedia.org/wiki/Stan_Douglas


◇ Still Supplementation: Stan Douglas's Cuba Photographs by Kelly Wood
http://www.torontophotographyseminar.org/sites/default/files/uploads/8_Wood.pdf


◇ Reimagining Cuba - Canada - CBC News
http://www.cbc.ca/news/canada/reimagining-cuba-1.603548


◇ Morris and Helen Belkin Art Gallery | stan douglas
http://www.belkin.ubc.ca/past/STANDOUGLAS


◇ STAN DOUGLAS | NOW Magazine
http://www.nowtoronto.com/art/story.cfm?content=152855


◇ Stan Douglas Cuba - David Zwirner
http://www.davidzwirner.com/exhibition/cuba/


◇ Stan Douglas, Details from Inconsolable Memories, 2005 - YouTube
http://youtu.be/KFpX7WuNvb4


◇ ‘Inconsolable Memories’ by Stan Douglas | Something, Something, Hill of Bees
http://hillofbees.com/2012/06/15/inconsolable-memories-by-stan-douglas/


◇ stan douglas cuba - Search results | Tate
http://www.tate.org.uk/search/stan%20douglas%20cuba

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◇ 青年の島 - Wikipedia

青年の島(スペイン語: Isla de la Juventud)は、キューバに属する島。島の面積は3,056km²で、キューバ本島を除いては最も大きい島である。西インド諸島の中でも6番目に大きい。1978年に改称されるまでは、ピノス島と呼ばれていた。
キューバ本島西部南岸のバタバノ湾から南西100km、ハバナピノール・デル・リオからほぼ真南にある。島単独かつ全体が特別自治区とされ、中央政府により直接統治されており、その広さ・人口・経済的な性格はキューバの他の州と異なる。
350もの島と珊瑚礁からなるカナレオス諸島の中で最も大きいこの島には、10万人近い住民がいる。最大の町は島の北部にあるヌエバ・ヘローナで、自治体の州都でもある。2番目に大きく最も古い町は、島の内陸部にあるサンタ・フェである。その他の集落としては、コロンビア、マッキンレイ、サンタ・バルバラ、クチージャ・アルタ、プンタ・デル・エステ、シエラ・デ・カパージョス、シエラ・デ・カサがある。

刑務所
この島のプレシディオ・モデーロ刑務所は、かつて典型的なパノプティコン型の刑務所として知られていた。プレシディオ・モデーロ刑務所は現在では閉鎖されており、記念館として公開されている。閉鎖した刑務所の代わりに、より近代的な複数の刑務所が建てられている。以下のものがそれである。

  • Prison El Guayabo(最重警備施設)
  • Center for Reeducation of Minors(更生施設)
  • Correctional Los Colonos(更生施設)
  • Paquito Rosales Cueto (1 y 11)(更生施設)
  • Prison la 60 (Columbia)(更生施設)

1953年から1955年までキューバ革命の指導者フィデル・カストロは、オリエンタ州のモンカダ兵営を攻撃した疑いでフルヘンシオ・バティスタ政権により収監されていた。のちにカストロは、ウベール・マトスに代表されるような、自分たちに抵抗する反革命勢力の指導者達、及びかつては革命軍を支持した政府軍の将軍だったものの、のちに革命政府と軋轢を起こすようになった人々を今度はここに収監した。 刑務所内での虐待、拷問が問題になっている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%B3%B6


◇ Model Prison
http://modelprison.blogspot.jp/


◇ Panopticon in Cuba - nuhsnuhの日記

この Panopticon は「プレシディオ・モデーロ刑務所 (Presidio Modelo)」と呼ばれていたようで、現在は閉鎖され、廃墟みたいになっているようです。Google Maps の上空からの写真でも、よく近づいて見ると、何となくそのことがわかります。でも一応国立博物館のようなものになっているらしい。というのは、ここは Cuba の歴史に縁の深いところのようで、以前に Fidel Castro が República de Cuba 建国の前に、この刑務所に収容されていたことがあったようで、Cuba 建国の歴史的遺産、República de Cuba 発祥の地みたいな感じで、保存されているようです。

以下の blog を見ると、この Panopticon の外部や内部のいくつかの写真を見ることができます。内部の写真には人の姿も映り込んでいるので、大きさや雰囲気がよくわかります。Castro は、政治犯として Panopticon の一望監視棟内の独房に入れられていたのではなく、共同房みたいなところに入っていたようです。Castro が使っていたとされる bed の写真も出てきます。また、囚人が収監されている Panopticon 本体のみならず、管理者側の事務棟も写真で出てきます。これは今は小学校のようなものとして使われているみたいです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Presidio_Modelo


◇ Presidio Modelo, The Abandoned Panopticon Prison of Cuba | Amusing Planet
http://en.wikipedia.org/wiki/Presidio_Modelo


パノプティコン - Wikipedia

生前のベンサムは、当時のイギリスの非人道的な刑務所事情に心を痛め、パノプティコンの建設に異様なほど力を入れており、父の遺産の一部で模型までつくり、英国議会に強く働きかけた。1816年、ミルバンクで開設されたイングランド国立監獄の発想に影響を与えたものの、国立監獄そのものの実現は、ついに叶わなかった[2]。
最初のパノプティコン型刑務所の建設はアメリカで建設され、この施設の設計思想は刑務所のほか、のちに学校や病院や工場などの施設に応用されることが意図されていた。 マザス監獄やレンヌ中央監獄などに代表される19世紀フランスの監獄建築で、獄房に収監された囚人がいつ看守に監視されているか、いないのか分からないままに、すべての方向から監視されているという監獄建築[3]。ミシェル・フーコーが『監獄の誕生 監視と処罰』で、それを転用して、社会のシステムとして管理、統制された環境の比喩として用いた。
日本での監獄・刑務所のシステムは、明治時代にフランスをお手本として構築されたため、フーコーが指して言っているパノプティコン監獄のモデルは、犬山市にある博物館明治村の明治の監獄の建築展示にも小規模ながら窺い知ることができる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3

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キューバンチュの「いとこたち」との出会い - 世界各国のウチナーンチュが沖縄系キューバ人と迎えたキューバ移民100周年祭 | Articles | Discover Nikkei

その後、私たちは、日系キューバ人史上重要な、プレシディオ・モデーロ国立記念館を訪れました。

日本の真珠湾攻撃から2日後の1941年12月9日、当時のキューバ大統領フルヘンシオ・バティスタは、日本及びその同盟国だったドイツとイタリア に対し宣戦布告しました。数日後、全ての日系人は「敵性外国人」であるという声明を発表しました。合衆国で日系人に対しとられた措置と同様、キューバでも 日本人は強制収容の対象になりました。ただ、この対象になったのは、枢軸国出身の男性のみで、日本人350人、ドイツ人50人、イタリア人25人が他の犯 罪者と共に刑務所に収容されました。残された妻や子供たちは、自活を余儀なくされました。ある強制収容者の家族は、物乞いをして食べ物を得ていたことを 語ってくれました。収容されていた日本人男性の中には、スペイン語を勉強したり俳句を書いて時間をやり過ごしていた人々もいたそうです。まもなくして、日本人は模範囚と見なされ、犯罪者から離れた班に置かれることになりました。

http://www.discovernikkei.org/en/journal/2008/4/8/cubanchu/?show=ja