Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

憶・原町無線塔 - Wikipedia

原町無線塔
1921年(大正10年)7月に現在の福島県南相馬市原町区高見町二丁目(北緯37度38分8.58秒
東経140度58分55.73秒座標: 北緯37度38分8.58秒 東経140度58分55.73秒)に完成した原町無線塔は、底面直径17.7m、突端直径1.18m、尖塔高約201m、鉄筋コンクリート製の電波塔で、1928年12月に依佐美送信所の鉄塔(250m)が完成するまでアジアで最も高い建築物であった。
設計・施工については、1921年11月10日発行の『震災予防調査会報告 第97号(甲)』に収録されている「原ノ町無線電信塔振動ノ験測」(大森房吉著)に詳しいので以下に述べる。なお、1フィート=0.3048メートル、1インチ=0.0254メートル、1尺=0.30303メートルで換算した。
逓信省所管のもと、東京帝国大学(現・東京大学)工学部の3人の教授たち(柴田・草間・永山)によって設計された。円錐形をした鉄筋コンクリート造の構造物で、寸法は高さ約201.168メートル(660フィート)、直径は根本部分で約17.6メートル(57フィート9インチ、高さとの比は11対1)、頂上部分で約1.37メートル(4フィート6インチ、根本部分の13分の1)である。内部は中空となっており、壁の厚さは根本部分で約0.83メートル(33インチ)、頂上部分で約0.15メートル(6インチ)である。開口部は根本部分の狭い出入口と、高さ約40.2メートル(132フィート)ごとに約0.61メートル(2フィート)角の窓が4つあるのみである。
当地の地盤は第三紀層の丘を流れる新田川の狭い沖積層で、表面から深さ約1.2メートル(4尺)が黒色土、その下約1.2メートル(4尺)が砂、さらにその下約0.6メートル(2尺)が粘土、その下約3メートル(10尺)が砂礫となっており、これらが水平に地層を成していることから、巨大な構造物の建設に適していると判断された。
施工は東洋コンプレッソルが担当。1919年(大正8年)5月23日に起工した。工法は高さ約1.37メートル(4フィート6インチ)ずつ井戸状にコンクリートを打設するというもので、1920年大正9年)9月26日までの間、これを147回繰り返した。
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生した際に、第一報を無線通信によって世界中に打電した。関東大震災によって原町無線塔が注目されて以後、日本各地にラジオが普及していった。1958年(昭和33年)12月23日に開業した東京タワーが「テレビ時代」の到来の象徴であったのに対して、原町無線塔は「ラジオ時代」の到来の象徴であった。
長らく原町のシンボルとしてそびえ続けた原町無線塔は、コンクリート壁の崩落など、風化・劣化が進んで危険度が増し、保存か撤去かが非常に大きな問題になっていった。結局、1982年3月に解体、撤去された。


憶・原町無線塔
原町無線塔の撤去後、当時の市民の感情として、在りし日の原町無線塔の勇姿を求める声が根強く、当時の原町市役所はその対応に迫られる状況となっていた。原町市役所および原町ライオンズクラブは市民の声を尊重し、各方面からの協力ならびに経済的支援を求め、同年10月に、縮尺10分の1スケールのミニチュア版、高さ約20mの憶・原町無線塔(通称:憶無線塔)を建設した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B6%E3%83%BB%E5%8E%9F%E7%94%BA%E7%84%A1%E7%B7%9A%E5%A1%94


◇ 原町無線塔 - 下枝空撮 写真部屋 <しもえだ空撮>
http://shi.na.coocan.jp/haramachimusentou.html


南相馬市博物館 特別展「原町無線塔」 - YouTube
(Part.1)http://youtu.be/fzNgKgbCVHo
(Part.2)http://youtu.be/fsd__uYclMk