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「メディア論のための積木箱」ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー | 現代美術用語辞典ver.2.0

「メディア論のための積木箱」ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー
“Constituents of a Theory of the Media”, Hans Magnus Enzensberger


ドイツの詩人・文芸評論家ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーによって、自身が主催する雑誌『Kursbuch(時刻表)』に掲載された論文。エンツェンスベルガーは、1962年の著書『意識産業』において、アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』のなかの「文化産業」の章で行なったメディア消費社会批判をさらに徹底させる。その後、70年の「メディア論のための積木箱」では、例えば保守的なメディア論で頻繁に名前が挙げられるマクルーハンを批判しながら、同時に左翼陣営が従来の美学にとらわれて、ベンヤミンブレヒトのようなメディアをラディカルに使用していくポジティヴな視点を持っていないことを批判する。この論文を受けて日本では、73年2月に来日したエンツェンスベルガーを囲んで、東京ドイツ文化研究所とフィルムアート社の共催により、「エンツェンスベルガー氏を迎えてのシンポジウムとヴィデオ・トーク」が開催された。日本側のパネラーは、佐々木守東野芳明原広司寺山修司鈴木志郎康津村喬中平卓馬針生一郎今野勉(司会)らで、いわばメディア論の時代における「近代の超克」シンポジウムとも呼べるようなものであった。このなかでエンツェンスベルガーは、双方向メディアの民主主義的な可能性について訴えるが、日本側は悲観的な状況認識に終始した観があり、議論は平行線のうちに終わる。今日その議論を振り返るならば、エンツェンスベルガーの一見楽観的ともとれるメディアへの希望を、単なる当時の社会主義イデオロギー的幻想と受け取るわけにはいかない。むしろそこに徹底したペシミスティックなメディアへの批判が通底していることをむしろ見るべきであろう。一方で、対立的な論調だった日本側のパネリストにしても、現代のメディア消費社会が出現することに有効な対抗手段を持ちえず、それについても批判的に考察していく必要があるだろう。
著者: 河合政之

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「菅木志雄」展@ヴァンジ彫刻庭園美術館トークイベント「菅木志雄と周縁—1970年前後の美術」(粟田大輔さん×成相肇さん×森啓輔さん)で、成相肇さんが用意していたスライドの中にこの本があり。ただし時間がなかったため、特別な言及はなくスキップ。