Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

2014-06-11 - 偽日記@はてな

柄沢祐輔さんがツイッタ―に書いているエリー・デューリングの「プロトタイプ論」の話が面白い。
≪フランスの哲学者、エリー・デューリングさんとお会いし、飯田橋キャナルカフェで2時間半に渡って、世界の哲学と文化、芸術の最先端の動向、現在の建築の世界の潮流について、議論を行った。≫
≪エリー・デューリング氏の「プロトタイプ論」は、近代の完結した作品(オブジェ)でもなく、ポストモダンから現在に至る「終わらないプロセス」を主題とした「開かれた作品」(プロジェクト)の概念でもない、その中間の地点を新たな芸術概念「準芸術=プロトタイプ」として定義しようというもの≫
≪このプロトタイプ論は、今日のアルゴリズムによる創作を考える上で、極めて大きな意味を持つ。なぜならば情報技術を利用して創作を行うことは、とりもなおさず無限の可能性の中から、一つの可能性を切り出すことであり、本来的に終わらないプロセスを、完結した作品として切り出すことを意味するからだ≫
≪この当たりの機微を、デューリングさんは極めて上手く論理的に説明してくれた。彼によると、内燃機関の発達が、このプロトタイプを考える上で極めて良い事例になるということ。その概要を、「安定化(スタビリティ)」と「不安定化(メタスタビリティ)」という二つの言葉で説明をしてくれた。≫
≪かつて自動車のエンジンは、その発する熱によって度々炎上するという問題があった。そこでエンジンを冷やすための、空冷の機構の形状がさまざまに検討された。この形状を多様に検討することをプロトタイプ論では「不安定化」と呼び、最後にひとつのデザインの形状を決定することを「安定化」と呼ぶ≫
≪この「安定化」によって生み出された形状は、様々な形状の可能性から取り出されたもの、ひとつのオブジェだが、それがうまくデザインされたならば、空気でエンジンを冷やすという目的(プロジェクト)によって生み出される様々な可能性をすべて包含している。そのためにそれは「プロトタイプ」となる。≫
≪以上がデューリング氏の説明だが、私見では、今後さらにデジタル・ファブリケーションやアルゴリズムなどの情報技術を用いたデザインが浸透するにつれて、デザイナーや建築家の試みは、この「プロトタイプ」をどのようにして作るかということが、大きな目標であり、問題系となるのではないかということ≫
≪そんな刺激を受けながら、エリー・デューリング氏にs-houseの写真を見せたところ、これはまさに「プロトタイプ」に他ならないとおっしゃってくださった。このアイデアが、住宅を問わず、商業施設や美術館、公共施設などのビルディングタイプを問わずいかなる建築にも応用可能であるためだという≫
●これを受けての清水高志さんの反応。
≪このスタビリティ、メタスタビリティという議論は、シモンドンも援用しながら語られたようだが、ピエール・レヴィの「ヴァーチャル、アクチュアル」の議論と通じる。結果として出来上がったものがプロジェクトを内包する、というのも面白い。≫
≪ヴァーチャル、アクチュアル、リアル、ポッシブルの話は、勿論ドゥルーズを援用しながらレヴィの情報哲学の中で出てくるのだが、これらは四つ巴で複雑な関係を織り成すものとして考察も可能だ。≫
≪先日日仏でデューリング氏の講演を聴いたとき、ディレイ(遅延)の問題について彼が触れていた。そのとき僕は「何からの」ディレイなのかはっきりさせるべきで、むしろ目的性からのディレイという風に言ったほうが良いだろうなと思ったのだが、≫
≪その目的性がプロジェクトという言葉で考えられており、プロジェクトそのものよりもある意味で先立ち、暫定的に置かれている準オブジェクトなりプロトタイプなりがある、という話になるようである。≫
≪気になるのは、彼がまたホワイトヘッドをどう位置付けているかだ。先の四つ巴のうちに恐らくバランスよく配して立論しているはずだ。≫
≪メタスタビリティは、レヴィが言う「問題提起的な複合体」への遡行としてのヴァーチャル化に近いものだろう。。≫
≪この「メタ」のニュアンスを入れて彼が「メタフィジックス」ということを言っているなら、それは「ヴァーチャル化、可塑化した自然学、技術論」というニュアンスをもったメタフィジックス(形而上学)、という性格のものなのかも知れない。≫
≪手元の辞書でmetaという接頭辞を改めて引いてみると、?連続、変化?超越、包括、といった語義がでてくる。。これまで哲学ではこのうちの?の前者にかなり限定してこの接頭辞を用いていたのではないか。連続、変化、そして包括としてのメタのあり方とは何だろう。≫

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20140611


◇ 2013-05-19 - 偽日記@はてな

●「ポイエーシスとプラクシスのあいだ エリー・デューリングのプロトタイプ論」(武田宙也)という記事を読んで、ここで書かれていることと、ラトゥールのアクター・ネットワーク論やジェルのアート・ネクサス論とが、きわめて近い感触をもっているように思われたのだけど、この記事では狭い意味での「アート」(アート界)の文脈のなかに限られた話題になっていて、そのような名前は触れられていない。
http://repre.org/repre/vol18/note/03/
それで、「エリー・デューリング」という名前で検索してみたら、岡本源太さんがブログに多数の記事を書いていて、そこではラトゥールやセールなどとの関連も指摘されていて、ああ、やはりと納得できた。
http://d.hatena.ne.jp/passing/searchdiary?word=%A5%A8%A5%EA%A1%BC%A1%A6%A5%C7%A5%E5%A1%BC%A5%EA%A5%F3%A5%B0
ここで、≪ときおりカンタン・メイヤスーの名前は――エリー・デューリングと並んで――耳にしていて、ミシェル・セールからブリュノ・ラトゥールへの流れとの親和性から多少気にしてはいたものの、いつのまにやら大きな動向になっていたよう≫と書かれているので、デューリングという人は、メイヤスーラトゥール、セールというようなライン上にいるということだろう(だとすば、ジェルやストラザーンなど人類学との関連もきっとあるのだろう)。
そもそも「プロトタイプ」というのはジェルからきているのでは?、とか思ったけど、デューリングの言うプロトタイプは、武田宙也さんの記事を読むかぎりではジェルで言えばインデックスに近い概念みたいだ。前にこの日記で書いた、ジェルのアート・ネクサスについて。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130227
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130301

http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130519


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/25927844571


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/26060923504


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/26683312099


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/26063986080


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/26548930807


◇ journal — プロジェクトからプロトタイプへ(あるいはいかにして作品をつくらずにすますか)
http://ryoheiito.tumblr.com/post/27237987626